配信デビュー
電車を降りると、新宿特有の人の老廃物を煮しめたようなアンモニア臭がする。先ほど電車の中でブラックホールの脅威から世界を救った仲間たちも散り散りになり、俺たちは目的地であるA10〜A17出口の地下道を目指していた。
伊佐美と二人で並び階段を上っていると、ふと、すれ違った男二人のうち一人が伊佐美を二度見した。
「あれ?今の子。こんどういさみじゃね?」
近藤伊佐美は有名人だった。過去、フォーブスに載った飛び級の天才と言う強烈なキャラクターは、一時ワイドショーを騒がせた。が、供給過多の情報に晒されている現代人には、
「あ?新選組の?」
「ちげぇよ、天才少女だよ」
「あぁ~、居たねぇ。そんな天才少女……」
と言うのが世間での共通認識だ。実を言えば帰国の理由が個人的過ぎ、見た目がステレオタイプ。伊佐美の性格に難ありとテレビ向きではなかったらしく、世間は俺たちをそっとしてくれている。
「はぁ……?配信?」
階段を上りきったところで伊佐美に渡されたのは、謎の水平維持装置付きのやたらめったらにごっつい自撮り棒だった。俺が自撮り棒をぐるぐる振り回しても、伊佐美のスマホは水平を維持する。その性能は売れば金になるのではないかと、小市民の俺に思わせてやまない。
「すごいでしょ、それ。それがあれば何があってもいい絵が撮れるでしょ?」
伊佐美がヘタクソなウインクをしてみせる。そのヘタクソさに、俺は配信という異常な発想について、伊佐美と語らねばならないと思い出した。
「違う、そうじゃない。何でいちいち配信なんだよ?」
「え〜、だって。ボクが、ダンジョンはありまぁす。とか言っても、誰も信じないし。動画なんて、今どきAIでイジり放題じゃん?だったら配信でリアルな記録を取るのは、合理的じゃない?」
伊佐美の言うことは至極ごもっともである。確かにデータの改ざんや、情報の捏造がありふれた昨今。現在進行型のリアルしか、情報として価値はないのかも知れない。だが、しかし……。
「だからって顔出し配信かよ……」
全世界に顔を晒した経験のある伊佐美の胆力に俺は、脱帽しつつ自撮り棒に取り付けられた伊佐美のスマホを見つめる。
「大丈夫だって、誰も観てないから!」
自信満々に言う伊佐美の言う通り、現在配信中でありながら誰も見てなどいなかった。視聴者も居なければ、コメントなどもありはしない。映っているのは顔を引きつらせる没個性という個性を内包した俺の顔だ。
「って!ちょっと待て。もう配信してんじゃん!」
「ん?そうだよ〜」
当たり前のことを聞くなと言わんばかりの伊佐美の顔は、俺を哀れんでいるように見える。
「ほらほら、ただの記録なんだから文句言わないの!」
そう言って伊佐美は俺の背を押して、目的地である地下道へと向かう。普段は通るのもやっとのような人混みの中で自撮り棒を掲げて歩くと、俺たちを避けるように人々は通り過ぎていく。
周りから感じる奇異の目から逃れるように、俺は伊佐美のスマホを凝視した。伊佐美が入力したであろう配信タイトルは『金曜スペシャル。新宿駅にダンジョンは実在した!!』であった。果たしてこんなタイトルで、人が見に来るのだろうか。
「こんなふざけたタイトルで、見に来るバカいるわけないだろう?」
と、俺が伊佐美を振り返りながら抗議した時。何かを見つけたのか、伊佐美は俺の持つ自撮り棒を指差す。
「圭ちゃん、もう来てるよ?」
『バカで悪かったね。圭ちゃんwww』
自動でそのコメントは読み上げられ、俺は目が点になる。俺は周りの人が映らないようにインカメラに切り替えていた自分を呪った。俺の顔と本名の25%が、どこかの誰かに知られてしまったのだ。
「え?あ……?ちょ!」
「どうも〜、よろしくね?歴史的瞬間を見てって〜。てか、ボクのこと覚えてる?」
俺の動揺など関係ないかのように、伊佐美は初めて来た視聴者に向けて手を振っている。
『知らんがなwww』
「そっか〜。ボクは近藤伊佐美!昔ワイドショー?とかに出たんだよ。天才少女」
そう言って伊佐美は屈託なく笑う。見ず知らずの人に自己紹介をする伊佐美の微笑みに、なぜか俺の心はささくれだった。何でそんな事を思ったかすぐに分かった。伊佐美のやつ、配信に、世界に、自分のフルネームを言いやがったのだ。
「おまっ!今、フルネーム言っただろ!」
「なにを言ってるんだい?世界を変える百人の一人捕まえて、個人情報なんて今更だよ」
『うわっマジだ。ググったら出てきたwww』




