記憶を想起させるもの
全員が息を飲んだのだろう。新宿駅の地下道は静寂に包まれた。一つ目というステレオタイプな特徴を持つ怪物に、俺はあの日以来の恐怖を覚える。ロボットを操作していた佐野さんも、まるで目の前に怪物がいるかのように微動だにしていない。
「まさか、一つ目とはね……」
伊佐美が呟いた。映像越しに恐怖を覚えるほど伊佐美の性格は良くはない。顎を擦りながら何かを考えているようで、画面を食い入るように見ている。
「サイクロプスか、キュクロプスだね」
伊佐美が言っている事はわかる。ゲームに出てくる一つ目の巨人そのものだ。ゲームの表現と違いは棍棒も持ってないし、腰布もつけてはいなかった。
「サイクロプスはわかったけど、後から言ったのは何だよ?」
俺は何故だが小声で会話をしてしまう。サイクロプスに聞こえるのではないかと、あり得ない想像にでも支配されているようだ。
「キュクロプスはギリシャ神話に出てくる巨人だよ。英語読みがサイクロプスで、ギリシャ語がキュクロプス」
同じ存在であるという事を、天才少女は凡庸の俺に懇切丁寧に説明してくれた。そんな中、サイクロプスがロボットに顔を近づける。異質な存在を訝しげに見つめ、その目と不釣り合いなほどに小さい鼻を動かしている。そして、まばたき一つしないその目はロボットが持つカナリアを凝視し始める。
「カナリア……か!……」
佐野さんが頭を掻いている。巨人も一つ目も気にすることなく、カナリアは呑気に鳥籠の中を動き回っている。ロボットを動かさないように細心の注意を払っていたのに、それが徒労だったのだ。頭を掻いてストレスを爆発さ
せるのも仕方ない。
「う〜ん、興味はないみたいだね」
サイクロプスはカナリアを見てはいるが襲う気はないようだ。
「なんでだよ?」
俺は疑問を口にする。伊佐美はそんな事も分からないのかと、俺の出来悪さを笑うように八重歯を覗かせる。
「圭ちゃんはさ、アリが美味しかったとして、アリ食べる?」
「食べねぇよ、面倒くさいし」
俺は馬鹿にされた気がして、ぶっきらぼうにその質問に答えると、伊佐美は答えは知っていたというようにケラケラと笑う。
「大きい体を維持するためには、それなりのカロリーがないといけないからね。そうなるよね?あのサイクロプスもそうなんじゃないかな?」
「だからゴブリンを捕まえて食ったってわけか……。じゃあ、俺たちが眼の前にいたら、ヤバいってことか」
「でもそうなると、不可解な事が一つあるね?あの時、何故サイクロプスは見えてもいないのに手を伸ばしてきたんだろうね?」
伊佐美はそんな口ぶりだが、ニヤニヤして八重歯を見せている。どうせ、もう答えにたどり着いているのだろう。
俺は、今とあの時の違いを考える。あの日はたくさんのオタク戦士たちが人が居た。渦が発生する時、伊佐美に向かって風が吹いた。生ぬるくて少し据えた匂いがしたのを思い出す。そうしたらスライムが、ゴブリンが、立て続けに新宿駅に現れた。
「……匂い?」
「その可能性は大いにあるよ。あの日オタク戦士たちの中には、その独特の臭気を放っている者もいたし……」
たしかにそれは分かるが、はっきりそう言い切ってしまうとオタク戦士たちが可哀想ではないか?伊佐美は何も考えていないだろうが、俺も修練で汗をかく。臭いと言われると思春期の男子は傷つくのだ。
ふと俺は、ここに来る前に見た釣り堀を思い出す。父親は魚が寄ってくるようにと、練り餌を溶かして匂いをエサに魚を集めていた。そして、父親はこうも言っていた。
(俺たちだって、美味しい匂いでお腹が鳴ることはあるだろう?自然の中で生きる生き物たちは、俺たちよりも匂いに敏感だ)
「……なら、匂いであいつを呼び寄せて、出てきた腕を攻撃するのは?」
伊佐美の顔がパァッと明るくなった。目が輝き、俺を拝むように手を合わせている。
「圭ちゃん!それだよ!もしかして、圭ちゃんも天才?」
興奮しながら伊佐美は俺に抱きついて来た。俺は防弾チョッキ同士がぶつかり合う感触を感じながら、防弾チョッキが邪魔だなと思った。




