兆し
「では、こうしましょう。今から使いを出しましょう」
「使いとは、主の元に知らせると」
「はい。お貴族様には配下思いの方が多いもの。すぐに駆けつけてくれますよ」
「まぁ。そうだと思うが、今主は忙しくてな。俺の用で煩わしたくはない」
「さすが……、出来てらっしゃる。素晴らしいお考え。私、感銘を受けました」
自分で言いながら、
多少言いすぎかなと思うが、
面白くて止まらない。
「わかりました。
では今日のお代分だけ頂いて、
あとは後日取りに伺うという事で」
「今日の持ち金は全部出す。
取りにこられると、仕事が忙しくてな。
相手ができない」
「他の方に、代金をお渡しになられては?」
「別にそれでも構わぬのだが、少々面倒でな」
「では……、御足労願えますか?」
「あぁもちろんだ。
ただな。
金はあるのだが、時間がなくてな。
来月でも良いか?」
「さすが、立派な方はお忙しいと聞きますが、それほどお忙しいのですね」
「あぁ」
「せっかくこれから沢山通っていただこうと思ってましたのに……」
「それも厳しそうだな。たまたまなんだ。こういう場所に来たのは」
「そうなのですか?ずいぶん遊びなれておられるように、見受けられましたが」
「そうでもない。あら腹が……」
「どうされました」
あぁ、もうそろそろ薬が効いてきたか……、
「いや大丈夫だ。ではこれが金だ。来月に支払いに来るから、こっちには来るなよ。わかったな……」
「はい。もちろん。またのご来店をお待ちしております」
私は深く頭を下げた。
男は腹を抑え真っ青な顔をして、外に出て行った。
……
男の使用人は頭を下げる。
「すみません。俺男なのに守れませんでした」
「なに言ってるの。守ったじゃない」
私はペグマを見る。
ペグマも頷く。
それでも男の使用人は悔しそうな顔をしている。
「どうしたの?」
「悔しいんです」
「なぜ?」
「上手くできなかったから」
「あなた。ここに来てどのくらい?」
「一ヵ月です」
「そう。どうやったら上手くいったと思う……、
殴る?」
「いえ……、殴ったら喧嘩になります」
「喧嘩になったら、なぜ駄目なの」
「店が壊れるし、俺も痛いです」
「あら……、
あなた頭良いじゃない」
「そんなの当然の事じゃないですか?」
「当然?
そうかしら……、
こういう商売の男は、不埒な客は殴り倒すのも珍しくないわ」
「俺はそういうのは嫌いです」
「そう、気が合うわね」
「シルトさんも、
なのですか」
「ええ。
私も殴る事はできるけど、
暴力女主人だと、噂されますから」
「頼りになると思いますけどね」
ペグマが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「そうね。
あなた達からは頼りにされる。
でも婚期は逃すわ」
「え~。シルト男と結婚するつもりなの」
ペグマはわざと拗ねた顔を見せる。
「シルトさんは、お綺麗です」
男の使用人が言った。
「ありがとう。えっと」
私は男の使用人の名前を、
誰かが言いだすのを待つ。
「この子はライアンよ」
ペグマは言った。
「あぁそうだったわね。ライアン。お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞ではありません。シルトさんは、お綺麗です」
ライアンは繰り返す。
その目はまっすぐだった。
なぜだか、妙に恥ずかしい。
話を戻さなくては……。
何の話をしていたかしら。
「何の話をしていたかしら」
「殴らないのが賢いとかなんとか」
ペグマは言った。
「そう。殴らないのは賢いと私は思う」
「でも。そこからどうしたらいいかわかりません」
ライアンは言った。
「私だってわからないわ」
「でも丸く収められたじゃないですか?」
「たまたまよ」
「そうですか?」
「そうよ。考えてもごらんなさい。私がやった事。あなた、再現できる?」
ライアンはしばし考え込む。
真面目な男だ。
悪い気はしない。
「再現は難しいかなと」
「そうでしょ。それに、こういう事は、そもそも起きないようにする事が大事なの」
「あぁいう輩は入れないようにするのは?」
「ライアン。あなた客を顔で判断できる?」
再びライアンは考え込む。
「たしかに難しいですね」
「そうでしょ。でも一つだけ、真似できることがあるわ」
二人は興味深げに私の顔を見る。
「安物の葡萄酒に下剤を仕込むのよ」
「まさか……、あの酒」
ペグマは尻尾を振る子犬のように私を覗き込む。
「そう。高級な葡萄酒の空瓶に、安物の葡萄酒を入れて、下剤まで入れておいたの」
私がそう言うと、
ペグマはケラケラと笑い出した。
「どう?気分はスッキリした」
「うん。シルト最高。もう大好き」
ペグマは私に抱きつく。
私はペグマの頭を撫でる。
ライアンは真剣な顔をしている。
「どうしたの?」
「何本か、仕込んでおきましょうか?」
ライアンは真顔で言った。
ペグマはお腹を抱えて笑い出した。
「仕込まなくてもいいわ。
ただこれから高級な葡萄酒の瓶は捨てずに置いておきましょ」
私が言うと、
ペグマはさらに笑った。
しばらくすると、
コクヨウがやってきた。
「あぁ……、あの客疲れたわ。酒飲みたい。ねぇ酒ない」
コクヨウはペグマに絡む。
ペグマは横目で、
先ほどの高級な葡萄酒に目をやる。
「あぁ良い酒あるじゃない。これ誰も飲まないの」
「私は飲まないわ」
「私も飲みません」
ペグマは笑いを堪える。
「俺もいりません」
「そう。じゃあ私飲んじゃおう」
「身体に毒だからやめときなさい」
私は止める。
「酒はね。飲みすぎるとダメだけど……、百薬の長といって……」
「コクヨウさん。マジでやめておいた方が良いと思います」
ライアンは言った。
「なにライアン。私の事心配してくれてるの?ありがとう。君良い子だね。チュウしてやろうか」
コクヨウはライアンに絡む。
「コクヨウ。あなた最近お通じ良い?」
私は尋ねた。
「それがね。全然出なくてさ……」
その一言に、
皆が腹を抱えて笑った。
コクヨウは、
不思議そうな顔をして、葡萄酒を飲み干した。
そして……、
しばらくして
「この葡萄酒。安物入れたでしょ。どうも様子がヘンだと思った。味も変だったわよ」
そう言い、トイレに駆け込んだ。
あの件以来、
お通じが悪くなれば、あの葡萄酒を作ってくれと、皆にせがまれるようになった。
私も飲んだが、
独特の風味で確かに癖になるような気もしなくもない。
ペグマも嬉しそうに飲んでいたのは、不思議なようで、納得もできる。
そんな曖昧な感覚だった。




