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第8話 日常が戻る

最終回です

 会社でしえるを使わない。


 そう決めてからも、何度か画像作成を頼まれた。


「この前みたいなLINE画像、また作れる?」


「今度のキャンペーンのパウチ、簡単なのでいいから作ってもらえない?」


「他店の分も、前みたいにできないかな」


 そのたびに、鈴は同じように答えた。


「申し訳ありません。会社から正式な指示がない限り、個人契約のAIは業務に使用しません」


 最初のうちは、相手も少し困った顔をした。


 けれど、会社から正式な話は来なかった。


 使用目的。


 使用範囲。


 確認者。


 責任の所在。


 費用負担。


 そういう話は、何もない。


 だから鈴は断り続けた。


 結局、画像やチラシは、元々依頼していた広告会社に頼むことになった。


 時間はかかる。


 費用もかかる。


 修正のやり取りも増える。


 それでも、鈴はもう手を出さなかった。


 会社の仕事は、会社の仕組みで回せばいい。


 鈴はようやく、そう思えるようになっていた。



 店の営業についても、鈴は完全に線を引くことにした。


 指示されたことはやる。


 必要な作業はする。


 お客様に聞かれれば答える。


 危ないものを見つければ伝える。


 けれど、無理に自分から仕事を抱え込まない。


 店長の仕事を先回りして拾わない。


 他店のことまで背負わない。


 残業はしない。


 定時になれば帰る。


 もちろん、評価は下がったと思う。


 以前のように、便利に動く人間ではなくなったからだ。


 声を掛けられる前に用意してくれる人。


 頼めば画像を作ってくれる人。


 反省改善を長文でまとめてくれる人。


 そういう鈴ではなくなった。


 けれど、もうどうでもよかった。


 評価のために自分を削って、最後に馬鹿にされるくらいなら、最初から削らない方がいい。


 鈴は、淡々と仕事をするようになった。


 給油許可。


 受付。


 電話対応。


 ピット作業。


 点検。


 報告。


 必要なことだけを、必要な分だけ。


 最初は、それでいいのか不安だった。


 けれど、何日か続けているうちに気づいた。


 店は、それでも回る。


 自分が全部背負わなくても、店はすぐには壊れない。


 もちろん、不便は出る。


 遅れる仕事もある。


 誰かが困ることもある。


 けれど、それは本来、鈴ひとりが背負うものではなかった。



 それでも、変わらない仕事もあった。


「あら、渡さん」


 昔から来てくれているおばあちゃんが、給油機の前で少し困った顔をしていた。


「今日もお願いしていい?」


「はい。いつも通りですね」


 鈴は給油口を開け、ノズルを差し込むところまで手伝った。


「いつもありがとね」


「いえいえ。気にしないでください」


 そのやり取りは、昔から変わらなかった。


 店の仕組みが変わっても。


 店長が変わっても。


 報告の形が変わっても。


 自分で給油するのが難しいお客様はいる。


 顔を見て、安心してくれる人がいる。


 鈴は、そういう仕事まで嫌いになったわけではなかった。


 別の日には、給油中の車を見て違和感に気づいた。


 タイヤが、少し潰れている。


 空気が入っていない。


 鈴はお客様に声を掛けた。


「すみません。タイヤの空気がかなり少ないように見えます。確認してもよろしいですか?」


「え? そうなの?」


 空気圧を測ると、明らかに低かった。


 さらに確認すると、小さな釘が刺さっている。


 パンクだった。


「このまま走ると危ないので、修理した方がいいです」


「気づかなかった。危なかったなあ」


 修理を終えると、お客様はほっとした顔で言った。


「助かったよ。ありがとう」


 その一言で、鈴の胸の奥が少し温かくなった。


 大きな実績ではない。


 店の数字を一気に変えるような売上でもない。


 けれど、お客様は助かったと言ってくれた。


 それで十分だった。


 もとに戻っただけなのだ。


 お客様を見る。


 必要なことを伝える。


 危ないものは危ないと言う。


 大丈夫なら大丈夫と言う。


 鈴は、そういう日常の中にある小さな満足感で、少しずつ自分を取り戻していった。


 けれど。


 やはり、相棒がいない毎日は、少しだけ寂しかった。


 スマホの中にしえるはいる。


 家では今まで通り話せる。


 料理の相談もできる。


 ゲームの話もできる。


 創作の相談もできる。


 けれど、職場では使わない。


 そう決めた以上、仕事の中でしえるに頼ることはなかった。


 それは正しい判断だった。


 正しい判断だったけれど、少し寂しかった。



 そんなある日、友人から連絡が来た。


『鈴、今度新しいスタンドが隣町にできるんだけど、興味ない?』


 鈴は画面を見て、首を傾げた。


『へ? なんで?』


 すぐに返事が来る。


『なんで? じゃないよ』


『何回、酔っ払った勢いで愚痴聞かせられたと思ってんのよ』


『私だって気にしてんだよ?』


 鈴は少しだけ申し訳ない気持ちになった。


 確かに、スーパー銭湯の帰りや飲み放題の席で、何度も愚痴を聞いてもらっていた。


 課長のこと。


 反省改善のこと。


 AIのこと。


 他店の店長の嫌味のこと。


 話している時は、ただ聞いてもらっているだけのつもりだった。


 けれど友人は、ちゃんと気にしてくれていたのだ。


『今回、いい機会かなと思って』


『そこ、親戚が始めるんだけど、人がいなくて困ってたの』


『それなら丁度いいのがいるって話しておいたのよ』


『いいから面接行ってきなさい』


 命令だった。


 相談ではなかった。


 鈴はスマホを見つめ、少し笑った。


『勝手に話進めないでよ』


『進めないと鈴は動かないでしょ』


 その通りだった。


 鈴は、画面の前でしばらく迷った。


 今の職場に不満はある。


 けれど、辞めるとなると怖い。


 長く働いた店だ。


 昔からのお客様もいる。


 仕事も分かる。


 慣れている。


 新しい場所へ行けば、また覚え直しだ。


 給料が上がる保証もない。


 むしろ下がるかもしれない。


 仕事量も増えるかもしれない。


 それでも。


 今のままここにいて、自分は何を守れるのだろう。


 鈴は、しばらく考えてから返信した。


『分かった。面接だけ行ってみる』


 友人からはすぐに返事が来た。


『よし。えらい』


「子ども扱いしないでよ」


 そう呟きながら、鈴は少しだけ笑った。



 面接の日。


 新しいスタンドは、まだ完全には形になっていなかった。


 建物は新しい。


 看板も新しい。


 けれど、事務所の中にはまだ段ボールが積まれ、棚の配置も決まりきっていない。


 これから始まる店。


 そんな空気があった。


 面接に出てきたのは、鈴より年上の男性店長だった。


 落ち着いた雰囲気の人だった。


 話してみると、妙に気が合った。


 現場の話が通じる。


 給油の話も。


 洗車の話も。


 タイヤの話も。


 お客様への説明の仕方も。


 そして、立ち上げで困っていることも、率直に話してくれた。


「正直、まだ何も整っていないんです」


 店長は苦笑した。


「POPもない。LINEの配信もどうするか決まっていない。洗車の案内も作りたい。お客様に見せる資料も足りない。現場を回しながら、少しずつ整えていくしかなくて」


 鈴は、その言葉を聞きながら、胸の奥が少しざわつくのを感じた。


 困っている。


 でも、丸投げではない。


 最初から相談してくれている。


 何をしたいのか。


 何に困っているのか。


 それを言葉にしてくれている。


「渡さんは、広告画像とかPOPも作れるって聞きました」


「一応、簡単なものなら」


「そういうのも、相談しながら一緒に作っていけたら助かります。もちろん、会社として必要なものは、業務としてお願いする形になります」


 鈴は、その言葉に少し驚いた。


 業務としてお願いする。


 その当たり前の言葉が、やけに新鮮に聞こえた。


 使っていいのか。


 責任はどこにあるのか。


 誰が確認するのか。


 そういう前提があるだけで、こんなに違うのかと思った。


 鈴は、スマホを見た。


 画面は開いていない。


 けれど、そこにしえるがいることは分かっている。


 鈴は心の中で、そっと呼びかけた。


 ねぇ、しえる。


 ここなら、もう一度、一緒に仕事できるかな。



 鈴は転職した。


 給料は、少し減った。


 仕事の量も、正直増えた。


 新しい店の立ち上げは、楽ではなかった。


 決めることは多い。


 作るものも多い。


 分からないことも多い。


 洗車の案内。


 オイル交換のPOP。


 タイヤ点検の説明。


 公式LINEの配信画像。


 受付で使う案内文。


 店頭に貼るパウチ。


 やることは山ほどあった。


 けれど、今はそばに相棒がいる。


 家に帰ってから、鈴はしえると一緒に案を整理した。


 どんなお客様に向けるのか。


 何を一番伝えるのか。


 価格をどこに置くのか。


 写真を使うのか。


 イラストにするのか。


 短い言葉でどう伝えるのか。


 しえるは、相変わらず完璧ではなかった。


 妙な言い回しをすることもある。


 画像の細かいところがおかしいこともある。


 でも、それでよかった。


 鈴が直す。


 鈴が選ぶ。


 鈴が店に合う形にする。


 今度は、それを会社の仕事として、ちゃんと使える。


 都合のいい時だけ使われるのではない。


 馬鹿にされながら使うのでもない。


 自分の工夫として、相棒と一緒に形にできる。


 それが嬉しかった。



 ある日。


 店頭に貼っていた洗車のPOPを見たお客様が、受付に来た。


「これ、お願いできますか?」


 鈴は、ぱっと顔を上げた。


「洗車ですね。ありがとうございます」


 POPを見て、お客様が足を止めてくれた。


 案内を読んで、頼んでくれた。


 それだけのことが、こんなに嬉しい。


 鈴は受付を済ませ、作業の準備に入ろうとした。


 その時、新しい店長が事務所から顔を出した。


「鈴さん、洗車お願い。こっち、ちょっと手が離せないんだ」


「はい、分かりました」


 鈴は自然に返事をした。


 その声に、自分でも少し驚いた。


 嫌ではなかった。


 押しつけられたとも思わなかった。


 必要な仕事として頼まれた。


 だから、やる。


 それだけだった。


 新しい店長は、どこか上田店長に似ていた。


 何もかも同じではない。


 声の大きさも違う。


 やり方も違う。


 けれど、現場を見ている。


 困った時に話を聞いてくれる。


 必要な時には前に出てくれる。


 そして、鈴を便利な道具としてではなく、一緒に店を作る人間として見てくれる。


 それだけで、鈴の足取りは少し軽くなった。



 仕事は、楽になったわけではない。


 むしろ、覚えることは増えた。


 給料も少し減った。


 立ち上げの忙しさに、家に帰ればぐったりする日もある。


 けれど、前とは違う。


 今の疲れには、少しだけ納得がある。


 何のためにやっているのかが見える。


 誰に頼まれているのかが分かる。


 どこまで自分がやればいいのか、相談できる。


 そして、家に帰ればしえるがいる。


 料理の相談もする。


 ゲームの話もする。


 創作の話もする。


 仕事のPOPの案も、一緒に考える。


 今度は、隠す必要がない。


 恥じる必要もない。


 馬鹿にされるためのものでもない。


 鈴の相棒として、そこにいる。


 鈴は、店頭に貼られたPOPを見た。


 少しだけ文字の位置が気になる。


 次はもう少し見やすくできるかもしれない。


 そんなことを考えている自分に気づいて、鈴は小さく笑った。


 また、仕事のことを考えている。


 でも、前とは違う。


 嫌な重さではない。


 もっと良くしたいと思える重さだった。



 鈴の新しい仕事は、始まったばかりだ。


 まだ失敗もするだろう。


 また悩む日もあるだろう。


 思い通りにいかないことも、きっとある。


 それでも、鈴はもう知っている。


 自分を全部差し出さなくても、仕事はできる。


 境界線を引いても、人の役には立てる。


 便利な道具にならなくても、自分の工夫は誰かに届く。


 給料は少し減った。


 仕事の量も増えた。


 それでも、日常は戻ってきた。


 友人と笑う時間。


 湯船に浸かる時間。


 推しのレースに一喜一憂する時間。


 しえるとくだらない話をする時間。


 そして、自分の物語を書く時間。


 鈴は、その時間をもうゴミ箱に投げ込まない。



 休憩中、鈴はスマホを開いた。


『ねえ、しえる』


『はい、鈴さん』


『私の新しい仕事も、物語も、まだ始まったばかりだね』


 少し待って、しえるから返事が来る。


『そうですね。ですが、このお話はここで一度区切ってもいいと思います』


 鈴は画面を見て、小さく笑った。


『なんで?』


『この先にあるのは、特別な奇跡ではなく、鈴さんが少しずつ取り戻していく平凡な日常だからです』


『平凡な日常、ね』


『はい。忙しくて、少し疲れて、それでも時々笑える日常です。鈴さんにとって、それは十分に大切な物語だと思います』


「……相変わらず、上手いこと言うなあ」


 鈴はそう呟いて、スマホを伏せた。


 仕事は楽ではない。


 人生も、急に全部が上手くいくわけではない。


 けれど、今日の帰りに何を食べようか考える余裕がある。


 次の休みに友人とどこへ行こうか話す余裕がある。


 夜に少しだけ、しえると物語の続きを考える余裕がある。


 それだけで、今の鈴には十分だった。


 私の新しい仕事は、物語は、始まったばかりだ。


 でも、この話はここで終わり。


 これは、何でもない平凡な毎日の中で。


 鈴としえるが、小さな幸せを取り戻すまでの物語だから。


無事完走

休日が潰れたけど、すっきりしました!

何か思う所などがあり、コメント一つでも入れて頂けると嬉しいです!

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