第9話「包囲の調べ」
冬の空が最も重く暗くなる季節の底で、フォンテーヌ領は死に絶えたような静寂に沈んでいた。
ヴァレンティア公爵による多面的な攻勢は、エリオの想像をはるかに超える速度と精度で屋敷の息の根を止めにかかっていた。
マリエルが必死に近隣の村を回って物資を調達しようとしたが、どの扉も固く閉ざされている。
かつて好意的だった商人たちでさえ、決して目を合わせようとしなかった。
公爵に逆らえば商売が成り立たなくなるという無言の圧力が、領地全体を冷たい氷で覆い尽くしている。
暖炉にくべる薪すら事欠き始めた東棟の執務室で、エリオは古びた毛布を肩に羽織り、白く濁った息を細く吐き出した。
『物語なら、ここで誰かが颯爽と助けに来て悪役をなぎ倒すところだ。だが現実の公爵は、剣で斬れるような場所にはいない。法と教義を盾にして、完全に合法な手段で私を追い詰めてくる』
机の上に置かれているのは、数日前に聖庁の法務局から届けられた一通の書状だ。
白地に金色の蝋印が押されたその書類には、違法な音操作および王国臣民への身体的危害に対する正式な調査令状という名目が冷酷な文字で刻まれていた。
反動によって暴走事故を起こしたガリウスたちの件が、完全にエリオの罪として王国の法に組み込まれた証拠である。
エリオには、この令状を拒否するいかなる権利もなかった。
「エリオ」
静かな呼びかけとともに、執務室の扉が開いた。
王都から戻ったシリルが、軍服の肩に白い雪を薄く積もらせて立っている。
彼の表情には深い疲労の色が張り付き、目の下には黒い影が落ちていた。
王都に戻っていたこの数日間、シリルが上層部に対してどれほどの抵抗を試みたのかは、その消耗しきった姿を見れば一目でわかる。
「シリル。雪の中を急いで来てくれたんだね。でも、そんなに無理をして……」
「俺のことはどうでもいい。公爵が王宮の法務会議を動かした」
シリルは歩み寄り、エリオの机の上に両手をついて身を乗り出した。
その顔が近くに迫り、冷え切った冬の空気と、かすかな馬の汗の匂いが混ざり合って届く。
「俺は調査の不当性を主張し、近衛隊長としての権限で令状の執行を止めるよう意見書を出した。だが、公爵派の貴族たちが満場一致で却下した。彼らは……最初から、俺の発言を封殺するつもりで会議を組んでいた」
「シリル、それ以上は……」
「聞け。このままでは数日内に正式な逮捕状が出る。公爵は、法廷ではなく異端審問の地下牢にお前を放り込むつもりだ。そうなれば、二度と日の光は拝めない」
シリルの声には苛立ちと、それを隠しきれないほどの強烈な切実さが混じっていた。
彼は王国の剣であり、法を守るために生きてきた男だ。
その彼が、法そのものが愛する者を不当に切り刻もうとする現実に直面し、板挟みになって苦しんでいる。
エリオはそっと手を伸ばし、机の上で握りしめられているシリルの拳の上に、自分の手を重ねた。
冷たい革手袋越しの感触。
「シリル、無理をしないで。あなたまで巻き込まれたら、本当に誰も助からなくなる」
「巻き込まれるも何もない。俺は自分の意志でここにいる」
シリルはエリオの手を裏返し、その細い指を壊れ物のように優しく、しかし確かな力で握り返した。
「俺は、お前を守る。そのために近衛の地位を捨てることになっても構わない」
「だめだ。君は近衛だ。王国のために、君自身の誇りのために剣を振るってきた。その誇りを、僕のせいで失わせたくない」
エリオの言葉に、シリルは唇を強く噛みしめ、藍色の瞳を痛ましく揺らした。
彼は自分の癒しの調べを封印され、感情を殺して生きてきた。
その二十年間の代償として手に入れた地位すらも、今の彼はあっさりと捨てようとしている。
エリオにとって、それは何よりも残酷な献身に思えた。
前世を含めた三十八年分の理性が、シリルのキャリアをここで終わらせてはならないと警告している。
しかし同時に、目の前にいる男の体温が、どうしようもなく愛おしかった。
二人は机越しに手をつないだまま、迫り来る足音にじっと耳を澄ませていた。
屋敷の外では、雪がすべての音を吸い込み、冷たい静寂だけが世界を支配している。
公爵の放った網は、もう彼らの足元まで迫っていた。
◆ ◆ ◆
二日後の早朝。
まだ夜が完全に明けきらない薄暗い時間帯に、屋敷の周囲を囲むように多数の松明の火が灯った。
足音が雪を踏みしめ、金属の鎧がこすれ合う硬質な音が鳴り響く。
エリオはすでに身支度を整え、薄い外套を羽織って玄関ホールの前に立っていた。
父エルヴァンは重い薬で眠らされている。
マリエルをはじめとする使用人たちには、奥の部屋から絶対に出ないよう厳命してある。
やがて、重い鉄の扉が乱暴に叩かれ、外から声が響いた。
「聖庁調律院からの勅命である。エリオ・フォンテーヌ、出頭せよ」
エリオは一つ深呼吸をし、冷え切った真鍮のドアノブを回して重い扉をゆっくりと開いた。
冷たい風とともに、十数名の武装した査定官たちが立ち並ぶ光景が目に飛び込んでくる。
その中心に立っていたのは、公爵の腹心である上級査定官ダリウス・コルバンだった。
彼は冷ややかな笑みを口元に浮かべ、手にした巻物を広げた。
「違法な音操作による傷害、および王国調律制度への組織的妨害。これら重罪の容疑により、お前を連行する」
ダリウスの背後から、二人の査定官が進み出て、重々しい魔力封じの拘束具を手にした。
エリオは逃げるそぶりも見せず、静かに両手を差し出そうとする。
しかし、そのときだった。
「待て。その任務は、近衛が預かる」
松明の明かりの向こう、雪が舞う暗がりから、一人の男が歩み出てきた。
シリル・ロシュフォール。
王国の正規軍装に身を包み、腰には近衛の剣を佩いている。
彼の登場に、ダリウスの顔に一瞬の驚きが走ったが、すぐにそれは嘲笑に変わった。
「これは驚いた。王国の剣たるロシュフォール隊長自ら、このような辺境の罪人の連行に赴かれるとは。よほどこの少年にご執心のようだ」
「令状の執行に近衛が立ち会うのは、法が定める権利だ。それとも調律院は、軍の監視を拒む理由があるのか」
シリルは感情を完全に殺した声で告げ、ダリウスの前に立ちはだかった。
ダリウスは肩をすくめ、一歩後ろへ下がる。
「よろしい。ならば、ロシュフォール隊長。その手で彼に拘束具をかけていただこう。法を重んじる貴殿なら、罪人に手心を加えるような真似はすまい」
それは公爵の計算し尽くされた罠だった。
シリルがエリオを逮捕すれば、二人の関係に致命的な亀裂が入り、同時にシリルの心は完全にへし折られる。
もし命令を拒否すれば、近衛隊長としての地位を剥奪され、シリル自身も法の下に裁かれる。
どちらに転んでも、公爵の勝利が確定する盤面。
雪が降りしきる中、シリルはゆっくりとエリオの前に歩み寄った。




