第8話 現場主任ワーグの憂鬱
砦の内部に進むにつれて、奴隷たちのうめき声が次第に大きくなった。
薄暗い夕闇のなか、足を震わせながら切り石を運ぶ者。
建築材を荷車から降ろす者。
主塔と食糧庫らしき建物を行き来し、食材を運ぶ女性奴隷の姿もある。
誰もがせわしなく動いているが、誰もが瞳に昏さをはらみ、目線と肩は力なく下がっていた。
その様子を観察していたノヴァスの視界が、ばさりと覆われる。
「おっと」
銀髪の看守長が、背後から腰布を投げつけて来たのだ。
切れ端がボロボロになった、幅広の大きな麻布。
「……それを巻け」
「この格好は、あんたの命令だろうに――つまり、一回戦は俺の勝ちか?」
一糸まとわぬノヴァスは、ニヤリと肩をすくめてみせた。
「……貴様のような異常者が全裸でいたら、他の奴隷たちの気が散り、規律も乱れる」
「それは好都合。また脱ぎ捨てるのも一興だ、動きやすいからな」
おちょくるような発言に、看守長の眉根がぴくりとする。
「黙れ。現場主任のワーグから命令を聞き、さっさと労働に励むんだな――ゴミ貴族」
彼は冷淡にそう告げると、主塔へと向かってしまった。
ノヴァスは拍子抜けした様子で大きな布を見やり、それを腰元で二重に巻いて尊厳を取り戻す。
様にはなっているが、どこか落ち着かない。余った布の端をグイと力任せに結び、無骨に左腰へと垂らした。
(……重みがない)
失われた愛刀への寂しさから、ため息をつく。
そんな彼に休む間もなく、汚いだみ声が飛んできた。
「さあさあ、楽しい楽しい労働の始まりだぞぉ、新入り奴隷くん!」
煽るように手をぱんぱんと叩き近づいて来たのは、入口でノヴァスを殴った看守だ。加虐心が顔に表れ、傲慢に足がついたような風体の男。
「俺様は現場主任のワーグ。奴隷たちにありがたーい命令をくだす王みたいなもんだな。だから敬え。ワーグ様、はい、復唱!」
ワーグと名乗ったその男は、ニコニコとわざとらしい笑みを浮かべて返答を期待していた。
しかし、ノヴァスは冷めた目で一瞥を返しただけだった。
いつまでも口を閉ざす彼の態度を見て、ワーグの眉は次第にぴくぴくし始める。
「てめ――」
「王とは、他人の尊厳を踏みにじることでしか自分を保てない者のことか?」
さえぎるように、ノヴァスは言った。
どこまでも反骨的な口答え。
現場主任の顔からニヤつきがさっと消え、無表情になる。
「……てめぇ、まだ立場を理解してねぇのか」
「奴隷だ。貴族の財産。労働力。そのくらい知っている」
「……」
「ところで、俺の仕事はなんだ? お前から指示を仰げと看守長に言われた」
「……」
「おい、何を黙ってる? 指示を出すのがお前の仕事だろう。働け」
「……」
「指示が出せないなら、勝手に適当な仕事を見繕うぞ。……それとも、指示の出し方を俺が教えてやろうか?」
一方的に浴びせかける不遜な言葉の雨。
ワーグは、すぅーっと息を吸い「……よーく、わかった」と小さくつぶやく。
「……死ぬほど後悔させてやる。ついてこい」
眉をぴくぴくさせた現場主任ワーグは、南東側にある小高い丘の石切り場へとノヴァスを先導した。
そこには――力尽き、地べたを這う奴隷たちの姿があった。
「ああ? てめぇら、誰の許しを得て休憩なんてしてるんだぁ?」
無情にも、ワーグが彼らを責め立てる。
「ひっ、わ、ワーグ様……こ、これは違うんです。も、もう、足に力が入らなくて……それで」
「うるせぇ!! 死ぬ気で無理にでも働くのがてめぇらの存在意義だろうが!! さっさと今日のノルマを果たしやがれ!!」
ビュンッ! と、空気を切り裂くような音ともに鞭が振るわれ、一人の奴隷の耳元に当たってしまう。
「ぐっ、あああああァ……!!」
「さっさと、動け、働け、死ぬまでなァ!!」
リズムに乗るように容赦なく鞭を振るい、倒れた奴隷の頭に足を置くワーグ。
「は~、気持ちいい。そうそう、これだよこれ。奴隷ってのは、鞭で打てば鳴いて、こうやって惨めに地べたに伏して、這いずり回って、俺様に媚びへつらうもんなん――あ?」
ノヴァスはおもむろに屈み、奴隷の頭からワーグの足をどけて解放した。
「大丈夫か?」
「……ぁ、え……?」
「おい、裸野郎。誰の許しでそんなことしやがったァ。ああ?」
「俺の許しだ」
立ち上がるノヴァスの黒髪が、夕日になびく。
解放を告げる紫の瞳が、明確な怒りをたたえてワーグをにらんでいた。
「……さっきからいい度胸だてめぇ。望み通り指示をくれてやる。そこにひざをつけ。両手を頭の後ろで組んで背中をこっちに向けろ」
命じられるまま、怒りの表情を挑戦的な笑みに変え、ワーグの指示通りにしてやる。
「チッ……クソがッ」
その態度すら我慢ならなかったのか、ワーグは長鞭をおおきく振りかぶって、何度も何度も、鬱憤を晴らすようにノヴァスの背中へ振り下ろした。
一回、二回、三回。
何度も、何度も。
空気をはじく怖気の走るような音があたりに響き渡り、周囲の奴隷たちは恐怖で身を竦めてその光景を見ていた。
しかし、二十回を超えた頃になっても、ノヴァスは涼しい顔のままだ。
一方で、ワーグは明らかに疲弊し、息を切らしている。
「はあ、はあ……ッ!! チッ……!!」
鞭を振るう手が下げられ、ワーグはその場にしゃがみ込む。右肩を痛めたのか、かばうように手を当てていた。
「もう音をあげるのか? 腰の入ってなかった看守長よりはマシだが、お前の場合は体力つけたほうがいいな、ワーグ様」
そう言って肩をすくめるノヴァスの背中には、かすかな赤みがあるだけだった。あれほど激しく叩き込まれたはずの鞭の跡とは到底思えない。
周囲の奴隷たちは、信じられないものを見るような顔で、ただノヴァスに釘付けになっている。
しかし、ゆらりと立ち上がったワーグの口角が、屈辱から狂気じみた三日月に変わる。
「一か月だ」
ワーグの宣言に、石切り場がしんと静まり返る。
「罰として今から一か月以内に、南東の壁を完成させろ。できなきゃ三日間のメシ抜き――てめぇら全員への連帯責任だ」
息も絶え絶えな奴隷たちから悲痛な声が上がる。
「そ、そんな……普通なら倍以上は掛かるのに……」
「こ、こんな生活で……三日も食事を抜かれたら……し、し」
「いいねいいねぇ、可愛い奴隷たちだ。その絶望する姿がよく似合うんだよ。恨むならこの裸野郎を恨めよぉ!! こいつが招いた事態なんだからな!!」
彼らの反応に気を良くしたワーグは、その悪感情をノヴァスへ向かうように誘導する。
奴隷たちの誰もが、ノヴァスへ恨めしい視線を向けてしまっていた。
「あんた、何てことしてくれるんだ……ただでさえ限界だったのに、こんなの……こんなの、死んじまうよ!! どうしてくれるんだ、なあ……!!」
「ふはっははははははっ!!! そうだ!! 裸野郎、どんな気分だ? てめぇのせいで他の奴隷の負担が増えた。なあ? どうする気だぁ?」
絶望に暮れる奴隷の肩に手を置き、ノヴァスは優しく言った。
「お前たちは、しばらく休んでいいよ。俺が許可する」
「何が休んでいいだ裸野郎!! てめぇ一人で何ができ――」
ワーグは怒鳴り、再び鞭を振り上げようとした。
だが、瞬時に間合いを詰めたノヴァスは、彼の左胸をとんと突く。
するとワーグは、足に力が入らなくなったかのように、ひざから崩れ落ちてしまった。
「な!? て、てめぇ!! 何しやがった!?」
「へぇ、成人しててこれが効くのか、ワーグ様」
「あ、足に力が……入らねぇっ!!」
ワーグは両手を踏ん張り、何とか立ち上がろうとしているようだ。
しかし、思うように足に力が入らない。気味の悪い事態に冷や汗をかきながら、説明を求めるようにこちらを見上げて来た。
「〈心央〉というツボを突いた」
「な、なんだそりゃァ! 聞いたことねぇぞ!!」
「そこを突かれると、身体の中を流れる魔力が乱れる。面白いことに、この流れを的確に乱すと、身体が魔力切れと勘違いして一時的に動けなくなる」
ノヴァスの言葉通り、ワーグは屈辱を感じながらも地べたでもがいている。
「子どもの頃、師匠に叱られたときによくやられた。とはいえ――身体が成熟した大人相手には、筋肉や脂肪が邪魔して魔力の流れが乱れるだけ。熟練の戦士にはそもそも効かない……はずなんだが――どれだけ怠惰な生活をしていたんだ、ワーグ様」
「ぐ、うぐぅ……!」
「お前はそこで見ていろ。作業が終わる頃には動けるようになるはずだ」
ノヴァスはそう言って適当な楔を拾い上げると、短剣でも扱うようにくるりと一回転させて感触を確かめる。
そして一瞬の溜めの後――ズン! という衝撃と共に、彼の踏み込んだ大地は半円形にえぐれる。
黒影が岩塊へ向かって疾走した。
自分よりはるかに巨大な岩の横面を斜め下から軽く蹴り上げ、わずかに宙に浮かせると、ノヴァスは居合の構えを取った。
そして体内の闘気を練るように、一瞬で集約させる。
楔の先から揺らめく青白い光が伸び、本来あるはずのない青銀の刀身となった。
「ふっ――」
小さく息を吐いて、楔を一閃。
いくつもの青銀の斬撃が巨岩を通り抜けていく。
次の瞬間には、精巧な切り石が寸分の狂いなく彼の横に積み上がっていた。
他の奴隷たちが数人がかりで切り出し、運び、整形する巨石を、ノヴァスはたった一人で流れるように作り上げていく。
それは重労働というより、もはや一種の洗練された剣舞のようだ。
「……か、神の業か?」
震える声で、奴隷の一人がつぶやいた。
先ほどまでノヴァスに悪感情を抱いていた彼らの顔から、少しずつ、絶望が取り払われ明るくなっていく。
やがて、腰を抜かしたままのワーグの元へ舞い降り、ノヴァスの演舞は終幕した。
残心するように楔をひゅんと振り抜くと、青銀の闘気が光の粒子となって消える。
「終わったぞ、ワーグ様。次は?」
斜陽の中にたたずむ覇王の影に、ワーグはただただ唖然とするしかなかった。
目の前で起こったことが信じられないのか、しばらく凍りついたまま動けない。
はっと我に返ったワーグは、自分を奮い立たせるように叫び散らした。
「ま、まだだ!! つ、次はこっちだ!! さっさと来やがれ!!!」
しかし、その叫びには先ほどまで存在しなかった確かな怯えが混じっているのだった。まるで、砦内の序列が音を立てて崩れて行く予感を、抱いているかのように。
◆
一方その頃、主塔の上階からノヴァスの神業を目撃した人物がいた。
銀髪の看守長だ。
「……あれが、加護なしだと? 輝石を使わずにどうやって……。まるで魔人族――いや、違う。獣の特徴がない。……ただの、人間だというのか」
彼は窓枠をつかみ、顔を驚愕に染めながら、次の現場へ連れていかれるノヴァスの背を見送る。
看守長は首を振った。
「……関係ない。ここの管理者は私だ。何も持たない裸のゴミなど、問題にはならん」
そう言った看守長の声は、砦の秩序を根底から突き崩す異物の出現に、少し震えていた。
ご読了ありがとうございます!
ブックマークに追加での応援、よろしくお願いいたします。




