第36話 暗躍
「ほ、本当にやる気ですか? ノヴァスさん」
ベレロが自分の馬車を移動してやって来た。
「もちろんだ」
ここは黒い馬車の停止位置のちょうど反対側。
遠目に様子を確認できるが、怪しまれることはない絶妙な位置だ。
街道沿いの通りには何台か他の馬車も停まっているが、積み荷を降ろした空の馬車ばかりで人はいない。
「助けた後、保護してくれるんだろう?」
猫かぶりをやめたノヴァスが、近くに移動したベレロ所有の馬車を見て笑う。
大きさは黒い馬車の荷台より少し小さいくらいだが、保護した奴隷を隠すには十分だ。
「え、ええ。それはそうですが、しかし、法に則って取引をしなければ」
ベレロは歯切れが悪そうに言った。
商人としての矜持か、良心の呵責か、仮にも合法的な商品の輸送を妨害することには気が引けるようだ。
「だから言ってるだろう? この馬車はたまたま賊の襲撃に遭い、助けを求めに来た奴隷たちを、ベレロがたまたま自分の馬車の中へ保護する。賊がたまたま襲い掛かって来たので、仕方なくベレロはこの町を後にした。だがまあ――通りがかりの者からは、ただの賊同士の諍いに見えるだろうな」
ベレロの顔が引きつった。
「ほら、問題ない」
事もなげに言って見せるノヴァスだった。
「こ、こんな白昼堂々なんてことを……。それに、あの厳重なカギや鎖をどうやって突破するつもりです?」
もっともな反論だった。
だが、あの黒い荷台の金属がアダマントじゃないのなら、ノヴァスの前では機能しない。
「見ていれば分かる。ところでコレ、壊れてしまっても大丈夫か?」
そう言ってベレロから事前に借りたステッキの感触を確かめてから、暗緑色の外套を裏返して羽織り、フードを目深にかぶる。
顔がよく見えない、朽葉色の外套の男が姿を現した。
「え? あ、はい、それは構いませんが……」
「なら、問題ないか。金属じゃないと耐えられなくて壊れるんだ」
「い、一体、何の話を」
説明は保留し、ノヴァスはステッキを剣のように振って構えた。
「ほ、本当にやるんですか!?」
「助けたいのか、助けたくないのか、どっちだ」
問いかけるようにベレロの黄色い瞳を見据えると、彼はとうとう覚悟を決めたのか、ゆっくりと頷いた。
「よし」
ノヴァスは静かに言うやいなや、遠くに見える黒い荷台を見据え、疾走した。
遠浅の砂地が、静かな爆発に遭ったかのように飛沫を上げる。
目前に迫る漆黒の荷台。
ステッキに青い闘気を纏わせたノヴァスは、まず十字を切るように鎖を断ち切った。シャリンっと金属の擦れる音が響き渡る。
この間、三秒。
青銀の槍となったステッキで鍵穴を突き――粉砕。
バキッという音とともに、耐えきれなかったステッキの木片が飛散し、空中で燃え尽きる。
四秒。
同時に漆黒の荷台の両開きの扉が開け放たれ――中でうずくまっていた奴隷たちの前に、太陽の光と謎の黒影が現れる。
五秒。
有無を言わせぬ〈孤龍〉が朽葉色の外套をひるがえし、奴隷たちを両手に抱え、荷台とベレロの馬車とのあいだを往復して三重の影線を引く。たまたま窓の外を眺めてあくびをしていた魚屋が、「んあ?」と謎の影に首をかしげた。
十秒。
最後の奴隷を優しく乗せたノヴァスはフードを深くかぶり直し、馬車から離れるように大きく後方へ飛んで着地する。
「……十秒か。まだまだだな」
ひゅっ――という音を立て、漆黒の荷台へ向かって革巾着に入っていた有り金の半分を投げ込んだ。
足りないだろうが、御者へのノヴァスなりの迷惑料の支払いだ。
それから、町中へわざと聞こえるように叫ぶ。
「てめぇっ!! 待ちやがれッ!!! そいつは俺の獲物だ!!!」
その怒号を合図に、ヒヒーンという馬のいななきが響き、賊に襲われそうになった馬車はコルヴィの町から逃げ出した。
ざわざわと騒ぎを聞きつけ集まって来た警備の者や野次馬に、朽葉色の外套に身を包んだ姿をしっかり目撃させた賊は、そのまま人とは思えない跳躍で町の家屋を飛び越え、彼らの前から姿を消した。
「はあああっ!? 何だこりゃ!? 俺の馬車は――ど、奴隷たちはどこへ!?」
少し遅れて――コラヴィの空に大男の御者の悲鳴が上がったのだった。
◆
何食わぬ顔で海鮮ピラフとサラダと飲み物を調達したノヴァスは、人目を避けて外套を処分し、素早く宿の一室に帰って来た。
キイっと扉を開けると同時に「お、おかえり!」と恥ずかしそうに言ったヒナカが出迎えてくれる。
ずぶ濡れの服が乾くほどの時間は経っていないからか、いまだに純白のタオル一枚の無防備さだった。
ノヴァスは思わず視線をそらして「ただいま」と平静を装い、誤魔化すようにテーブルに調達した料理を置いた。
「あれ? あのカッコいい外套、どうしたの?」
ヒナカが首をかしげる。
「町中で誤って引っ掛けた時に大きく破れてしまったから、捨てて来たんだ」
「ありゃ……じゃあ、服が乾いたら新しいの出さないと――何色が良いかな、うーん……濃紺、深紅……お揃い」
こめかみに人差し指を当てて、真剣に悩みだした。
色を選べるほど予備を用意していたことに驚き、思わずくすりと笑いつつ、お腹を空かせているだろう彼女を食卓へうながす。
「ほら、冷めないうちに」
そう言うと「うん!」と嬉しそうな声を上げたヒナカが隣にやって来る。
ふいに、花の香りが漂って来た。
手作りの香水で髪の手入れをしていたのだろうか。
さっきまで真面目な奴隷の救出劇を繰り広げていたのに、この少女のそばにいると、いろいろと調子が狂ってしまう。
ノヴァスは旅の相棒との食事に舌鼓を打ったが、緊張であまり味に集中できなかったのだった。
◆
――その夜。
ノヴァスとヒナカが、相変わらずベッドでどっちが寝る問題の攻防を繰り広げているなか、闇夜の〈遠浅街道〉を一台の馬車が進んでいた。
助けた奴隷たちを乗せた、ベレロの馬車だ。
「そういえばあんた、名前は?」
荷台から、首枷をつけられた犬人族の男が訊いた。
「ベレロです。ポイマン・アンドレス商会の、ベレロ」
「そうか、ベレロさん。あらためて礼を言わせてくれ。俺たちを助けてくれて、本当に感謝してる。ありがとう」
「いえ……私の自己満足ですよ。そうしたいと思ったから、やったんです。それに、私一人ではこうはならなかった」
ぱしゃ、ぱしゃ。と。
遠浅の波をかき分けて、月明りも隠れた暗黒の闇の中を進む馬車。
ベレロは人好きのする微笑を浮かべて振り返り、幌の中で安堵している奴隷たちに声をかけた。
「ノヴァスさんのおかげです。こんな清々しい気持ちになれたのは。……あのような方と出会えたなんて、本当に幸運です」
彼の優しげな声に、奴隷たちもつられて小さく笑った。
そして彼らは一様に、希望を口にする。
やれ、故郷の家族に会いに行くだの。
やれ、仕事に戻って夢の金細工を完成させるだの。
やれ、自由に旅をするだの。
(――ンフフフフッ、叶うわけ、ないじゃないですか)
手綱を握るベレロの口が、闇の中、ゆっくりと三日月のように歪んだ。
煌々とギラつく黄色い瞳は、あまりにも純粋で、己の欲望を信じて透き通っている。
(ああ……最高でしたぁ。〈自ら王都に輸送する奴隷を、自ら救おうと苦悩する妄想一人芝居〉をしていたら、まさか一緒に踊ってくれた人が現れたんですから)
恍惚な表情で、空を見上げる。
(ポイマン・アンドレス商会……ああ、甘美な名前です。自称することしかできないのが残念ですが……流石は我があこがれの、あの御方の商会……!! このベレロ、きっと成し遂げますよ!!)
無言でバッと、天を仰ぐベレロを名乗る何か。
すーっ、はーっと、大気を味わい、だらりと首を右に傾けた。
茸のような髪型の白い前髪が、そろって傾く。
「ところで、ベレロさん」
再び荷台から声が掛かる。
犬人族の男はすっかりベレロを信用していた。
ベレロは、だらりと首を傾けたまま、黄色い瞳だけぎょろっと動かした。彼の様子は闇に紛れ、奴隷たちからは見えない。
「俺たち、これからどこへ行くんだ?」
「楽しい宴の会場ですよ」
優しい声だった。
「う、宴?」
要領を得ない返答に、奴隷たちが戸惑う。
「はい。皆さんを解放する前に、ぜひ味わっていただきたいお祝いです。大丈夫、みなやっていることです」
その物言いに、どこか違和感を覚えた犬人族の男は言う。
「な、なんか、変な宴だな」
「ンフフッ、きっと、気に入ると思いますよ」
ベレロは、ぐわんと右に傾いていた首を左に振った。時計の振り子のように。
「麗しき水都の宴です。極上の役者と極上の料理、極上の舞台で彩る――腐った水のね」
ぱしゃっ、ぱしゃっ。と。
遠浅の闇の海を進む馬車は、一路、王都を目指してしまった――。
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