第31話 商会潜入
夜が深まり、中央通りの店々も今日一日の商いを終わらせてしんと静まり返った頃。
ウェイスエンド第一商会の前に一台の馬車が止まった。
金の装飾が目立つその馬車は、財務責任者サミュエルが彼の送迎のためにわざわざ作らせた専用の馬車だ。
馬車が到着してほどなく、煌びやかな商会の一階から小太りの男が一人現れる。
緑色の服に、トレードマークの黒いシルクハットを被っている彼こそが、今回のターゲット――サミュエルだ。
「一目見たら分かるって言ってた通りだね」
ヒナカが静かにつぶやいた。
ノヴァスたちは、通りの物陰からサミュエルの容姿を観察していた。
潜入前に一度見ておかなければならないと、こうして彼が現れる時間帯にあたりをつけ、暗闇に紛れて張り込んでいたのだ。
「あいつが出て来る前、一つだけ明かりがついたままの窓があった。四階の、右から二番目の窓だ」
ノヴァスが指摘し、ヒナカは同意したようにうなずく。
「そこでお金数えてたのかな」
「おそらくな。少なくとも、あいつの執務室は四階にあるだろう」
「じゃあ、とりあえずの目的は達成?」
「ああ、サミュエルの外見と執務室のある階が分かれば、あとはヒナカの透明化で対処できる」
ふふんと、褒められたヒナカはドヤ顔で胸を張った。今は太っちょモードのため、お腹が出ていたが。
しかし、そのドヤ顔はすぐに神妙な面持ちへと変わった。
彼女の変化を不思議に思い、ノヴァスは問いかける。
「……どうした?」
「その……このタイミングになって今さら言うのは卑怯だと思うんだけど」
ヒナカは遠慮したように言いよどむ。
ノヴァスは「いいさ。気にせず話してくれ」と穏やかに言って空気をやわらげる。
その言葉に勇気づけられたのか、彼女はキッと真面目な顔をして告げた。
「――ありがとう。あなたの行き先は決まってるのに、わたしのことを手伝ってくれて」
ノヴァスは内心で一人身構えていたが、返って来たのは何とも健気なお礼だった。
たしかにこちらの目的は黒刀の奪還。それだけを見据えれば、ウェイスエンドはただの休憩地でしかない。早い話、ここでヒナカと別れて一人で水の国を目指すのが合理的だ。
だが、その選択肢はあり得ない。
ノヴァスは心の底から、ヒナカのことを助けたいと思っているのだから。
「ヒナカ」
「は、はい」
叱られると思ったのか、太っちょモードのままカチコチに〈気をつけ〉をする彼女の姿にノヴァスはぶふっと再び吹いてしまう。
「こ、このタイミングで笑うってどういうこと!?」
ヒナカは焦りつつもこの空気をどう処理していいのか分からず、ささやきながら叫んだ。
「わ、悪い。思わず、な。はは――俺がお前を助けたいから、俺の好きなようにしてるだけだよ。気に病む必要はない」
相変わらず真っすぐと、遠慮なく心の奥まで風を吹かすようなノヴァスの言葉。
ヒナカの瞳がきらりと、暗闇の中で一瞬輝きを増し、彼女はこちらに背を向けてしまった。
少しの沈黙のあと、彼女はいろいろと吹っ切れたのか、んーっと明るい声で伸びをした。その際、お腹に巻いていた尻尾も解放感とともにほどけ、本来の彼女の姿に戻る。
くるりと振り返ったヒナカは、ニコッと、照れ隠しの魅力的な笑みを返してきたのだった。
その思いを受け止めるように微笑を返し、ノヴァスは気持ちを切り替えるように言った。
「よし。潜入は明日の夜。サミュエルがこもって帳簿を取り出している瞬間を狙うぞ。手早く終わらせよう」
二人は優しい空気に満ちた闇のなか、溶け込むように物陰から立ち去った。
◆
一方、遠くから二人に観察され、狙われていたとも知らずに。
財務責任者サミュエルは、出迎えの御者に愚痴愚痴と文句を垂れていた。
「まったく、あの砦に一体何枚のセレスト神貨を注ぎ込んだと思ってる!? え? おい、お前答えてみろ」
詰問された御者は、「はあ」と気の抜けた声を出しながらも一応答えを出す。
「10枚、ですか?」
サミュエルは信じられないものを見るような目で御者を見た。その目には成金ゆえの傲慢さが見て取れる。
「200枚以上だ! 200枚以上! まったく、水の国方面へ新しい人形の販路を開くため、私も一枚噛んで投資していたというのに、台無しだよ! えっ? おい」
セレスト神貨。
1枚でクラウン金貨100枚分。
一般市民が使う機会はまずない、とても高価な貨幣だ。
ペナ銅貨10枚で手のひらサイズのパンを買うことができるが、セレスト神貨1枚あったらパンが10万個買える。それを200枚以上とサミュエルは言った。
しかし彼の当てつけを、御者は慣れたようにスルーして丁寧に馬車へ誘導した。
セレスト神貨200枚以上はどうせ張ったりで、実際の費用はその半分くらいだと見当をつけていた。
動いた金のほとんどは各国の貴族から投資されたもの。サミュエル本人が出したのはそのうち、三分の一にすら届かないだろう。彼のドケチさを見ていれば分かる。
だからこそ、御者は10枚と答えたのだ。
そんな御者の内心を知ってか知らずか、サミュエルは苛立ちを隠さずにふんと鼻を鳴らして馬車へ乗り込む。
「まあいい、少し前にお釣りが来るほどの取引ができたからな――しかし、妖狐か。あれほどの美魔女……貴族との取引がなければ、私が所有しても良かったのだがな。えっ? おい。はっはっはっはっは! あーっはっはっはっはっは!!」
静まり返った中央通りの闇に、小汚い笑いが人知れず響いた。
◆
翌日の深夜。
「――へぐぅッ!」
出オチのような醜い呻き声を上げて、背後から手刀を喰らったサミュエルは気絶した。
どさりと、肥えた身体がデスクに倒れ込み、金勘定のために積まれていた金貨が音を立てて崩れる。
勢い余って脱げたサミュエルのシルクハットが執務室の床をコロコロと転がっていく。
〈光石〉ランプの強い光を受け、彼の煌びやかな頭頂部はデスクの上の金貨を反射していた。
「一分くらいか」
「ぷはぁっ!」
執務室に声が響き、たちまち二人の人影が現れる。
純白の浄衣姿に戻ったヒナカを左脇に抱えた――上半身が裸のノヴァスだった。
あらわになった彼の黄金色の首枷が、上裸の色気を引き立ててしまっている。
ヒナカがじたばたと暴れたので、ノヴァスはそっと床に降ろす。
彼女は透明化の負荷でふらつきながらも距離を取り、顔を赤くしながら呼吸を整えた。
街に入った時の数秒間と違い、今回はおよそ一分。
ひざに手を着きながら、はあ、はあ……と、あえぐ彼女を見てその負荷の重さを実感する。
(この方法、濫用はできないな)
短時間ではあったものの、二人分の透明化の疲労は想像以上に重いようだった。
念のために上を脱いでおいて良かった、とノヴァスは気を引き締めてヒナカに大丈夫かと声をかけるようとした。
が、じとっとした視線が向けられてしまう。
彼女はちらちらと恥ずかしそうにノヴァスの筋肉で引き締まった上半身を見ている。
「け、結局、裸になるんだもん……ダメって、言ったのに」
「上だけだ」
「ダメって言わなきゃ……下も脱ごうとしてた……?」
疲労混じりの赤紫のジト目が、さらに深くなる。
「まあ……そっちのほうが透明化は楽なはずだ。その疲れようを見たら、なおさらな」
親切心のつもりで答えたが、反してヒナカは肩を落としていた。
「もう……見てるこっちが恥ずかしくなるんだよ……真面目な時ほど脱ぐって……」
ヒナカはため息をつき、綺麗な眉を疲れたように下げ、しょげた表情のまま何かに気づく。
「あっ……」
そう切なげに囁くと、床に落ちてしまったサミュエルの黒いシルクハットを拾い上げ、彼のハゲ頭にかぶせてあげたのだった。
余計なお世話である。
彼女をよそに、ノヴァスは侵入した窓を静かに閉め、部屋の出入り口の奥の廊下に耳を澄ませた。
「問題なさそうだな」
騒ぎにはなっていないことを確認し、ふうっと一息つく。
「ねぇ、帳簿ってこれかな?」
頭頂部の介抱ついでに、ヒナカはデスクの上に開かれて置いてあった一冊の書類を手に取った。
赤紫の瞳が、左右に行ったり来たり、目的の記録を懸命に探している。
ノヴァスもそばに歩み寄り、横合いからそれを覗き込む。
しかし――。
「うーん、見た感じ、普通の商品ばっかりだね」
「ふむ……」
その帳簿の記録には、衣類や食料品、燃料など、一般的な商売の記録ばかりが羅列されている。取引の相手にも不審な点は見られず、奴隷のどの字も見当たらない。
ノヴァスはふいに、かつて商人トリスから手ほどきを受けた時の言葉を思い出した。
『――いいかノヴァス。商人ってのはどいつもこいつも狡猾でな。自分の不利益になる情報はまず見えるところに置かない。たとえば、隠し場所はカギをかけただけじゃ満足しないもんだ。記録の書き方も、本能で直接的な書き方を避ける。秘匿性の高いものほどな』
その記憶を反芻しながら、部屋全体を俯瞰する。
本や書類がひしめく書棚。成金趣味の宝石箱や銅像。わざわざ異国から取り寄せただろう見慣れない観葉植物。
いや、と首を振る。
『それから、臆病なやつほど、自分の近くから遠ざけられないもんだ』
トリスから得た知識に導かれるように、ノヴァスの視線はデスクの開きかけの引き出しのところで止まった。
迷いなく引き出しを開け放ち、引き出しそのものを検分し始める。
「どうしたの?」
不思議に思ったヒナカが覗き込んだ、その時。
ガコッという音とともに、引き出しの底板が外れた。
下の空間には、ヒナカが手にしている帳簿の外装と同じものが保管されていた。
「おおっ」
感激したようにヒナカの声が上がる。
「……裏帳簿と言ったところか」
取り出したそれをヒナカにも見えるように、〈光石〉の明かりに近い床に置いて広げた。
先ほどの帳簿と形式は変わらないが、内容は明らかに異なっていた。
【農耕の御用人形(白)】
【剣の御用人形(白)】
【奉仕の御用人形(黒)】
【小さな御用人形(黒)】
【犬を模した御用人形(白)】
「多いな……」
「これって……」
ヒナカがぞっとしたように声を上げた。いつもの明るさはない。
記録を読み進めるうちに、二人の顔が険しくなっていく。
直接的な記述ではないが、間違いなく奴隷を扱った記録だった。
そうして次のページをめくり上げたその時。
【狐を模した御用人形(黒)】
ぴたりと、ノヴァスとヒナカの視線がそこで止まる。
「これか」
ノヴァスは落ち着きを払ってつぶやきながら、そっと隣にいるヒナカの様子をうかがう。
彼女は唇を固く結び、目を伏せて黙り込んでしまった。透明化の疲労もあって、だいぶ落ち込んでいるように見えた。
その力なく下がった肩にぽんと手を置く。
「ありがと……」
彼女はさびしげに笑ってから、気を取り直すように両頬をぱんっと手ではさんだ。そして、表情を引き締めて帳簿に意識を集中させる。
彼女の強さを見たノヴァスは静かに微笑むと、後に続いて記録されていた文面に注意を向けた。
【王都パラロス】
「水の国の王都か……そして――」
【時計のない部屋の住人】
買い手の名義を記録する項目にはすべて、不気味にそう書かれていたのだった――。
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