第30話 覇王も時には猫をかぶる
カンッという、ぶつかり合う木樽ジョッキの、小気味いい音。
仕事終わりの商人や護衛兵たちが、その日の終わりを笑ったり、愚痴ったり、はたまた噂話に花を咲かせる夜。
女給はそんな喧騒の中を、注文されたエールを両手に持って右往左往している。
ノヴァスとヒナカは酒場の隅っこの、あまり目立たない席に陣取って夕食をとっていた。
「そのサミュエルって人が?」
訊いてから、あーんっと、ヒナカは嬉しそうにパンを頬ばる。
「ああ、おそらく帳簿の管理をしている可能性が高い」
「うーん」
真面目な顔で考えながら、それでも彼女の口はもぐもぐと動いている。
やがてこくりと飲み込み、言った。
「名前が分かったら、たとえば噂話とか、情報屋さんとか、的を絞って探せるね」
優雅な所作で肉を切り分けていた手を止め、ノヴァスはヒナカの言葉にうなずいた。
「だから、夕食ついでにここに来た。噂話は運次第だからそう都合よくも行かないだろうが、後者ならおそらく――」
言葉を切って、酒場を見渡す。
酒場のホールは酔って騒ぐいくつかの集団が多数を占めていたが、その中にあって、何人かは油断のない顔で一人飲んでいる者たちがいた。
視線をめぐらせて彼らを観察していると、人を食ったような皮肉な笑みを浮かべた男が一人こちらを見ていた。手元を見ると、指先や手のひらの端が薄っすらと黒ずんでいる。
男の視線に返答するように、ノヴァスは真っすぐと見返す。
すると、ニヤついた男は静かに立ち上がり、こちらへ近づいてきた。
「ご両人、何かご入用で?」
突然やって来た男の出現に、ヒナカが目をぱちくりさせている。
「何か面白い話の種はないかと思って、酒場を見ていたんですよ。そうしたら、あなたのその指先が気になりまして。どうぞ、おかけください」
ノヴァスは猫を被ると、仄めかすように言って椅子を引いた。
「くくっ、お目が高いですね。旅の御仁。……どんな情報をお求めで?」
席についた男が、すっと目を細めて提案して来た。
予想通り、彼の手の黒ずみは頻繁にメモを取る者特有のものだったようだ。
「本題に入る前に、あなたの情報がどこまで信頼できるものなのか、証明できますか?」
ノヴァスの返答に男は虚を突かれたようにすると、くくくっと顔を抑えて笑う。
そして、言った。
「そうですねぇ。では、ご新規さん向けに一つ面白い話を。ここから東へ行ったところ……禁域の森のそばに砦が建設されていたんですが」
男の話題に、トマトにフォークを刺していたヒナカの手が止まる。
刺しどころが悪かったのか、中身がびゅっと皿の端に飛んで行った。
「最近になって、魔人族の襲撃に遭ったようで壊滅したそうです」
「へぇ、興味深い話ですね」
ノヴァスは意外そうに相槌を打つ。
男に気取られぬよう表情を作るが、あの砦の状況がもう広まっていることに内心で驚いた。
「そうでしょう? 貴族が奴隷交易の効率化のために無駄金を費やして建ててたものらしいんですが、看守も奴隷も全滅。ただ、奇妙なことに戦場に遺体はなく、全員忽然と姿を消したそうなんです」
あの戦いで散った者たちの遺体は、心祝の木の群生地の端に墓を造って埋葬した。砦の近くを見ただけで真相にたどり着くのはまず無理だ。
「捕虜として魔人族に連れて行かれたのでは?」
素知らぬ顔で、ノヴァスはもっともらしいことを言う。
「ええ。遺体がない以上、それが一番可能性が高いでしょうね。しかし、私はこうも考えました。何人かはその手を逃れていて、この街に来ているかも、と」
ヒナカが、誤魔化すように食後のタルトに手を伸ばす。
さくりと、かぶりつく音がやけに大きく聞こえ、妙な沈黙がノヴァスと男のあいだに生まれた。しかし――。
「確かに面白い話ですね。ご新規向けに、筋の通ったお試し情報と言ったところですか」
ノヴァスが友好的に微笑む。
男はこちらを値踏みするように見ていたが、すぐにふっと表情をやわらげた。
「信用していただけますか?」
「ええ。情報の鮮度は移ろうものですが、あなたは最新の動向にも詳しそうだ」
「ご納得いただけたようで、何よりです」
男は皮肉げな情報屋としての表情に戻る。
ノヴァスはさっそく本題を切り出すことにした。
「第一商会のサミュエルという人物について、その容姿、そして毎日の習慣について何か知りませんか?」
その質問に、情報屋の男は淡々と答えた。
客の質問内容に対して、感情を見せない対応だった。
「なるほど、彼の情報ですか。ええ、もちろん。お望みの情報を用意できます」
「いくらですか?」
ノヴァスが懐から革巾着を取り出したが、情報屋は首を振った。
「金銭も魅力的ですが、旅の御仁なら何か私の糧になるような情報と交換する、という支払いもできます。いかがですか?」
彼の提案にノヴァスはなるほどと考える。
情報という形のないものなら、一時の金銭を得るよりも旅人からの情報という手札を増やしたほうが彼の利になるのだろう。
これから何かと先立つものは必要になる。ここで節約できるなら、それに越したことはないし、ノヴァスにとっては無価値でも、彼には有用になりえる情報に心当たりがあった。
「……わかりました。では、水の国の大貴族フルクトゥアト家の、次男についての情報とか、どうですか?」
ノヴァスの提示した言葉に、情報屋の男の目が丸くなる。
手ごたえを確信した。砦の末路については知っていても、オズワルドの独断による蛮行でノヴァスがそこへ送られたことについては知らないようだ。
「それは魅力的ですね。ぜひ、お伺いしても?」
乗り気の情報屋に微笑を返し、大貴族フルクトゥアト家の次男が〈加護なし〉となり、奴隷に落ちてしまったという噂話を披露した。
「……そういえば、士官学院の首席が事故死したと情報が。彼は確かフルクトゥアト家だったはず」
情報屋のつぶやきに、一瞬固まる。
事故死。なるほど、フルクトゥアト家としての今の自分はそういう扱いになっていたのか。
思いがけずもたらされた情報に、ノヴァスはふっと自嘲する。
正面を見ると、ヒナカが心配そうな顔をしていた。彼女にはまだ自分の事情を話していないが、不穏な情報だと感じ取ったのかもしれない。
余計な心配をさせないよう、まだ手を付けていなかったテーブルの上のタルトをさっと滑らせて譲った。
彼女はむっとしつつも、ごくりと喉を鳴らす。
だが結局、我慢してそれを押し返してきた。
予想外の行動にノヴァスはぶふっと吹いてしまう。
「どうかされましたか?」
「ああいえ、ちょっとむせてしまいまして」
怪訝な顔で訊いてきた情報屋に、素知らぬ返事をする。
「そうですか……わかりました。この情報で商談成立としましょう」
情報屋は淡々と話を進め、今度はノヴァスたちの目的の情報を提示して来た。
「では――」
彼は一度咳払いすると、懐から出した手帳を広げ、読み上げ始めた。
「ウェイスエンド第一商会の財務責任者サミュエル。彼は小太り体系で、よく緑色のダブレットを着込んでいます。両手には財力を示威するかのように指輪がはめられ、商会長が不在なのをいいことに、けっこう派手にやっているようですね。ああ、あと、頭のてっぺんがハゲているので、それを隠すために常に黒いシルクハットを被っています。シルクハットは貴族への憧れの表れ……影では成金と揶揄されているようです」
「一目見たら忘れなさそう」
ヒナカがつぶやいた。
「ええ、とても目立つので、見れば分かるかと。それから彼の習慣ですが、早朝に出勤してからは一日中、商会の中にこもりっきりであまり表に出て来ませんね。派手さの割に臆病な性格をしています。しかし」
ここからが本題だというように、情報屋は一度周囲を確かめてから、顔を近づけて声をさらに潜める。
「彼は他の職員が帰宅した後も一人居残り、夜ごと執務室に残って金勘定をするのが趣味だそうです。なんでも、表ざたにできない貴族との取引の書類を整理しているとかなんとか」
そこまで言い切ると、情報屋は姿勢を正した。
「とまあ、彼の情報はこのくらいでしょうか。どうでしょうか、まだ何か質問があれば、お答えしますよ」
追加料金を少しいただきたいですがね、とニッコリと笑った情報屋。
しかし、ノヴァスもニコリと猫かぶりの笑顔で返答する。
「いいえ、もう大丈夫です。とても役に立ちました」
「そうですか。お役に立てたようで何より。では、私は酒飲みに戻ります」
仕事は終わりだと、情報屋の男は潔く言って去って行った。
「名演だったね」
ふうっと一息ついたところで、からかいの言葉が正面から飛んで来た。
にやにやと、ジト目混じりにこっちを見て来るヒナカ。
「こういう腹芸は、昔、知り合いの商人から手ほどきを受けてたことがある」
「じゃあその商人さんに感謝だね」
次の行動への手がかりを得た二人は、勝利の乾杯をして、穏やかな夕食を過ごしたのだった。
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