第3話 醜悪なるフルクトゥアトの人々
(――左手が、熱い)
あたり一面の闇。
光のかけらすら存在しない、漆黒の空間。
ノヴァスは、その闇の中でまどろみ漂っていたが、左手の甲に妙な熱を感じた。
見れば、白い楕円形の輝石――神の加護を受けた証が埋め込まれていた。
ぞくりとした。
こんなもの、手に入れた覚えはない。
やがて――白い輝石の真ん中に、黒い瞳孔が開く。
(なんだ……これは!?)
それはギョロリと、まるで目玉のように動き、こちらを見た。
黒い瞳孔はどこまでも暗く。見ていると鼓動が激しくなっていく。
その目玉は、ノヴァスをせせら嗤うように三日月型になり、目じりから漆黒の闇の涙を流した。
闇が、左手の甲から徐々に広がり、淡く光るノヴァスの身体を吞み込むように広がっていく――。
◆
ノヴァスは、跳ね起きた。
(夢……か)
全身に伝わる鼓動を感じ、左手の甲を確認する。
そこに白い輝石はない。
呼吸を落ちつけ、ソファの柔らかさに安堵しつつ、周囲を見渡した。
ここは、冒険者ギルドの一階と地続きになっている宿酒場のロビー。
壁のない吹き抜けの向こうでは、依頼を吟味しに来た冒険者が掲示板の前でうなっている姿が見えた。
アイサを見送ったあと、加護植装の儀まで空いた時間に仮眠をとっていたのだ。
壁の時計は朝の九時前。そろそろ大聖堂へ向かっていい頃合いか。
「おや、もういいのか?」
宿屋の店主が声をかけて来た。
「ああ、助かったよ、親父さん」
「まだ時間あるだろ? こいつを食っていきな」
差し出されたトレイには、焼きたてのパンとスープが並んでいた。
傍らでは彼の娘が、スプーンやフォークを並べている。彼女はノヴァスと目が合うと、顔を真っ赤にして頭を下げ、逃げるように厨房へ引っ込んでいった。
「人見知りでな。あんちゃんに礼がしたくて、今朝は早くからパンを焼いてたんだ」
「……そうか。ありがとう、いただくよ」
きつね色のパンにかじりつく。
無性に、懐かしい味がした。
香ばしい匂い。ほんのりとした甘さが、口に広がる。
「なんか、泣けるくらい美味いな」
一つ目をあっという間に平らげて、二つ目のパンに手を伸ばした。
「ほお? そんなに気に入ったなら、娘と店をやってもいいぞ。あいつも喜びそうだが、どうだ?」
「むぐ」
突然の大胆な申し出に、パンを頬張っていたノヴァスは言葉に詰まる。
「はっはっはっはっ! その気になったらいつでも言ってくれ!」
店主の快活な笑いに、ノヴァスは参ったなと曖昧にほほ笑み返した。
そのとき、バンッ! とギルド入口のドアが乱暴に開かれた。
士官学院の制服を着たブロンド髪の少女が現れ、ノヴァスを見つけるやいなや表情を険しくする。
「ノヴァスお兄様! こんな下賤な場所にいたなんて!」
怒りで目を吊り上げる義妹。
ルイーゼ・フルクトゥアトだった。
「ルイーゼ……よく下町まで来たな」
彼女は周囲のよそよそしい視線も気にせず、まるで荒波のように言葉を繰り出し始めた。
「このような場所、好んで来たくはありませんわ! お兄様、ここに入り浸るのは家の恥だと何度言えば! もうすぐ儀式が始まるというのに、こんな、汚らわしい下むぐ――」
ノヴァスは、義妹の口を手でふさいだ。
「親父さん、騒がせて悪い。すぐ出るよ」
「むーーー!!! ぐうぐっぐっ!!!!」
慣れた手つきで義妹を黙らせ、騒ぎになる前にギルドを後にする。
通りにそって流れる水の都の運河はおだやかなれど、手の中でもがく義妹の癇癪は嵐のようだった。
そのまま少し歩いてから、義妹を解放する。
「っぷは! 何をしますの! 公衆の面前で花も恥じらう妹の口をふさぐなんて!」
にらみつけて来るルイーゼに、静かに応えた。
「……そういう態度はやめるんだ。いいかルイーゼ、彼らも俺たちと同じ人間だ」
「同じではありませんわ。わたくしたちは貴族。あれらは下民。存在の格が違います」
「俺も、元下民だ」
端的に事実を突きつけられ、ルイーゼは一瞬たじろぐ。
「う、うるさいですわ!! お兄様は本日、神聖な加護をさずかってフルクトゥアト家を担う存在になるのです! すでに未来は決まっているのですわ!!」
「……はいはい、そうだな。俺の未来は、もうすぐ決まる」
自嘲気味につぶやき、ノヴァスは大聖堂へと向かうのだった。
◆
(肌寒い)
大聖堂の身廊へ続く扉をくぐると、歴史を感じさせる静寂と冷気が顔をなでた。
太陽の光は極彩色のステンドグラスにさえぎられ、最奥の主祭壇は、まるでこちらを威圧するかのように荘厳だ。
「……っ、静か、ですわね」
隣を歩くルイーゼが縮こまり、思わずノヴァスの陰に隠れる。
すでに士官学院生をはじめ、各家の紋章を胸に掲げた貴族たちが、階級の順に列をなしていた。
遅れてのうのうと入場したノヴァスは、他の貴族たちからは傲岸不遜に見えたことだろう。
高いヴォールト天井に反響したひそひそ声が、いたるところから聞こえて来る。
しかし、一人の男が空気を読まずにこちらへ歩み寄って来た。
「や、やあ、我が義弟ノヴァス。ようやく来たね。みな待っているよ」
「……ああ、すまないな兄上。いま行く」
馴れ馴れしく肩に触れようとした彼の手を、ノヴァスはさりげなくかわし、最前列の所定の場所へついた。
それでもめげず、彼は隣に来てノヴァスに話かけ続ける。
「き、君なら間違いなく最強の加護を授かるはずだ。そうなれば、我らフルクトゥアト家は安泰……私の将来も安泰……いや、なんでもない!」
小声で卑屈な笑みを浮かべるこの小太りの男は、義兄オズワルド。
彼も同様に士官学院生の一人だが、実兄であるにも関わらず、ルイーゼからはすこぶる嫌われている。
「愛しきルイーゼも、今日は加護を受けるにはいい日和だと思わないかい?」
「話しかけないでくださいまし、兄さま」
「ぐぅっ……」
すげないルイーゼの返答に押し黙るオズワルド。
気持ちを切り替えるように、再びノヴァスへ取り入ろうと矛先を変えてきた。
「しゅ、首席は最初に登壇するそうだ。弟の晴れ舞台、さぞかし素晴らしいものになると思っている」
しかし、ノヴァスの意識は別の場所へ吸い寄せられていた。
祭壇への階段を挟むように位置する左右の共唱席。
そこには、水の国の大貴族たちが黒い影のように居並んでいる。
その高みから、こちらを微動だにせずに見下ろしている男――フルクトゥアト家当主、ヒューゴ・フルクトゥアトと視線がぶつかる。
数年前、養子縁組の際に言われた言葉が再び、鮮明によみがえった。
『……フン、得体の知れぬ化け物を迎え入れるなど、我ながら酔狂よ。逃げればあの孤児院がどうなるか、分かるな?』
あの時の、歪んだ笑みが脳裏にこびりつく。
『――今日が貴様の再誕の日だ。フルクトゥアト家の威光のため、役に立ってもらうぞ』
ノヴァスは頭の中の声を振り払うように視線を逸らし、静かに目をつむる。
(思い通りにさせてやる気は、毛頭ない)
老司教のどうでも良い口上を聞き流しながら、ノヴァスは反骨心をたぎらせる。
――加護植装の儀が、目前まで迫っていた。
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