第27話 ウェイスエンド
高度、上空7メートル。
ウェイスエンドの空に、可憐な悲鳴が響き渡る。
「いやああああああああああッ――!!」
「ひ、ヒナカ、声を抑えてくれ。透明化が解けてる!!」
「だ、だってえっぷう――!!」
変な音が鳴り、二人は再び透明になった。
ノヴァスは今まさに、ヒナカを抱きかかえて街の防壁を飛び越えた。
透明化で検問をすり抜けるより、人目の少ないところから壁を飛び越えたほうが手っ取り早い。
そう判断してのことだったが、彼女の下り限定高所恐怖症のことを失念していた。
必死に呼吸を我慢するヒナカが、おでこをぐいぐいとこちらの首元に押しつけて来た。
直に伝わる人肌の熱と花の香水の匂いが混ざり合い、少しクラッと来てしまう。
それが、ノヴァスの着地を狂わせた。透明であることも相まって、地面と足の距離感がズレる。裏路地についた左足のバランスを崩し、軟着地ではあったが、そのまま静かに倒れ込んでしまった。
咄嗟にヒナカの頭があると思われる位置に腕を回し、身体の位置を入れ替わるように石畳から守った。
「ふう、何とかなったな」
「ぷはぁっ! ふーっ、ふう……!」
すうっと、透明だった二人の姿が浮かび上がる。
顔を真っ赤に染め上げたヒナカが、ノヴァスを尻に敷きながら思いっきり息を吸って呼吸を整えていた。
落ち着きを取り戻すと、すぐに自分の状況に気づき、ばっと急いで立ち上がった。
「ご、ごめん! 重かったよね! 怪我、してない……?」
紅潮した頬のまま焦り散らしながら、不安げな表情で訊いてくる。
その反応にノヴァスはくすりと微笑んだ。
「このくらいじゃ怪我なんてしないさ。でも、心配してくれてありがとう」
その真っすぐな言葉で、ヒナカはほっと胸をなで下ろしたようだった。
ノヴァスは立ち上がると、転んだ際についてしまった埃を確認しつつ、ぱっぱっと手で払う。
そうして、あらためて顔を上げ、ヒナカを見た――。
太っていた。
「は?」
「ん?」
きょとんとした顔で、天真爛漫な少女は黒い外套の胴回りを不自然に膨らませている。
「……ヒナカ? それは、どうなって」
「ああ! これね。ほらっ」
と言って、彼女は閉じられた外套の前を開いて見せて来る。
愛らしい大きな尻尾が、彼女のお腹にくるりと巻きついていた。
再び外套を着こむと、そこには胴回りだけが不自然に膨らんだ少女の姿があった。
「ぶふっ」
ノヴァスが吹いた。
「わ、笑わないで! 自分でもちょっと変かなーって思ってるんだよ!」
「わ、悪かった。確かに、尻尾が完全に見えないようにするにはそうするしかないか。くくっ、可愛いな」
ヒナカは何か反論しようとしていたようだが、ぐっと、口を固く閉じ、下唇を上に引き上げて羞恥に耐えていた。ただ、口角が上がったり下がったり、閉じた口の線がわずかに波打ってるようにも思えて面白い。
見ていて飽きない子だと、楽しさに世界が明るく見えた。
(一人旅じゃ、こうはいかないな)
「ほ、ほら! 行こうよ!」
気を取り直したヒナカが、フードで耳を隠しながら提案して来る。
ノヴァスは「ああ」と答えると、並んで歩きながら表通りに進んでいった。
◆
ウェイスエンド第一商会。
街の中央通りに面した場所に、その煌びやかな建物はあった。
ノヴァスとヒナカの二人は、通りの斜向かいの土産屋を見物しながら、怪しまれないようにその意匠を観察する。
他の建物が安価なレンガや石で造られているのに対して、その建物だけは白い大理石造り。
一階には、外から屋内が見える大きなガラス窓が並び、それはまるでホール全体を商品に見立てた飾り窓のようだった。
入口には黄金のエンブレムが二つ施されていて、一つは世界樹の紋章。もう一つは二匹の蛇が巻きつき、柄から翼が生えた奇妙な杖の紋章。
二階からは、金の枠で装飾された小さな窓だったが、それが三階、四階と続いている。
極めつけに、てっぺんには赤い屋根の時計台があった。
豪華に作り込まれたそれらの意匠に、ヒナカが「お~」と声を上げている。
ヒナカ曰く、ミヤビさんという人物は、奴隷としてこの商会へ引き渡されたらしい。
時間が経っていることからここに本人はいないだろうが、どこの国へ送られたのか、その情報を記す帳簿があるはずだ。
「本当にあんな綺麗なところが、奴隷を扱ってるのかな?」
胴回りを膨らませた姿のヒナカは、不思議そうに首をかしげている。
「綺麗だからこそ、だな。しかし、困った」
ノヴァスは腕組みして考える。
「あんなところ、入るにはドレスコードがあるに決まってる」
「あー……あはは」
今は外套で隠しているが、趣味の悪い首枷をつけた放浪者が一人。
そして胡散臭い黒い外套で全身を隠している不自然な太っちょが一人。
正装とは程遠い、胡散臭い二人組。
貴族御用達の上流階級の場に繰り出すには、あまりにも怪しげだ。
こうやって通りの店を見ているだけでも、少し浮いている。先ほどから、何かにつけてヒナカをちらりと観察する視線があることにノヴァスは気づいていた。
幸い、この街には冒険者ギルドもあり、似たようにフード付きの外套で姿を隠している人物はざらにいる。だからギリギリ溶け込めてはいたが、目立たないに越したことはない。
「あ、ならわたしの出番だよね。透明化あるし」
ヒナカのやる気に満ちた提案に、ノヴァスは難色を示した。
「……確かに有効な能力だが、今回はダメだ」
ノヴァスは落ち着いた声で語る。
「あの商会は奴隷を扱う商会。そこに妖狐族であるお前を一人で向かわせて、もし何かあった時、どうする。そんなリスクはとれない」
彼の言葉を受けて、ヒナカは目をぱちくりさせた。
そして、けろりとしたように言う。
「一緒に行けばいいでしょ?」
ノヴァスは虚を突かれたように一瞬黙ってしまった。
自分一人で解決しようと無意識に思い込んでいたのだ。
「……二人での透明化は、どのくらいもつんだ?」
「うーん、頑張れば一分半くらい? 身に着けてるものが少ないほど楽になるから、使う時は外套は着ないほうが良いかも」
ヒナカの説明にノヴァスはふむと考える。
楽に負荷を下げる方法があるじゃないか、と。
「俺が裸になれば――」
「ダメ」
ばっさりと断られた。
「あ、物陰に隠れて息を整えてからまた透明化してって感じで繰り返せば、実質無限です!」
それは無限とは言わない。
というツッコミを抑え、ノヴァスはふっと小さく笑う。
「だがなるほど、案外アリかもな。上から侵入して、その方法をとれば現実的だ」
「へへっ、やった」
「失敗して見つかっても、俺がすべて薙ぎ払って逃げれば身の安全も問題ない」
「……さらっとすごいこと言ってるね。ノヴァスらしいけど」
「最悪の場合だよ。できればやりたくない最終手段だ」
ヒナカのジト目に対し、肩を竦めて見せた。
「それじゃあ、いく?」
真剣な顔で決意する彼女だったが、ノヴァスはそれに待ったをかけた。
「まずは情報収集だ。いざ潜入して、しらみつぶしに帳簿を探すわけにもいかないだろう? それだと息を止めるお前の身が持たない」
「言われてみれば……」
「誰が帳簿を管理する立場にいるのか、その人物は何階のどこの部屋で仕事をするのか、まずは見当をつけなきゃな。それに帳簿は間違いなく、カギ付きの入れ物で保管されているはず」
考え込みながら状況を整理していると、ヒナカからの視線を感じた。
赤紫の瞳がまじまじとこちらを見ている。
「どうした?」
「ん、頼りになるなぁって。わたし一人じゃ捕まってたかも」
へへっという笑い声とともに、ニコッといつもの笑顔が向けられた。
ノヴァスは心がじわりと温かくなるのを感じながら、切り替えるように言う。
「――それじゃ、期待に応えられるよう、まずは休息だな。砦から出発して、まともに休めてないだろう?」
「了解!」
胡散臭い二人組は、明るく作戦会議を終わらせると通りを後にしたのだった。
◆
「……なかなか見つからないね」
「そうだな。こればかりは仕方ない」
とぼとぼと、人気の少ない裏路地を歩く二人。
まさか宿酒場一つ借りることにすら苦戦するとは、夢にも思っていなかった。
「ごめんね、わたしのせいで」
しょんぼりと肩を落とし、小さく謝罪するヒナカ。
しかし宿が借りられないのは別に彼女の責任ではない。
だから、すぐに首を振って否定する。
「お前のせいじゃない。俺だって加護なしだ」
彼は左手の甲にある傷跡を見た。
中央通り沿いの宿はどこも高級志向が高く、とてもじゃないが今の格好で泊まれるような雰囲気ではなかった。ただ、そもそも高級宿に泊まろうなんて思ってはいないため、これは大きな問題じゃない。
盲点だったのは、一般的な水準の宿に泊まる際にも身分確認を求められたことだった。
ノヴァスたちはまず街の中心部から少しはずれ、行商人や護衛、輸送隊など、仕事でこの街にやって来た人々が利用するごく普通の宿を訪ねたのだが――。
『それじゃ、加護輝石をお願いします』
『何だって?』
『加護輝石ですよ、加護輝石。身分の証明になるから見せてください――何? お客さん知らないの? ……怪しい』
『邪魔したな』
という感じで、まともに宿を借りることすらできない事態だった。
(王都の親父さんとこじゃ、そんなもの見せる必要なんてなかったぞ……)
水の都の懐かしき宿酒場を思い出し、内心で愚痴るノヴァス。
二人は現在、中心街からさらにはずれ、裏路地の奥まった場所で宿を探している。
古びた木造で、柱が腐っていそうな建物まである。路地の剥き出しの土はぬかるんでいて、時折、動物の巣のような悪臭が鼻を突くこともあった。
煌びやかな中央通りが嘘のような、狭間の領域特有の格差の激しさが見て取れる、そんな区画。いわゆるドヤ街だ。
「な、なんか、急に雰囲気変わったね」
ひそひそと言いながら、ヒナカは心なしかノヴァスの少し後ろを隠れるように進む。
「周りに気をつけろ。こういう空気の場所は、よそ者はカモにされる」
ノヴァスの言葉を受けて、ヒナカの目力が強まった。油断しないように気持ちを切り替えたのだろう。少し抜けた空気感が面白いが。
「――そこのお二人さん」
ふいに横合いから声が掛かったので、ノヴァスはさりげなくヒナカを後ろに隠すように前に出た。
声の主は、何の変哲もない。ごく一般的な服装をした中年の男だった。
掃き掃除の途中だったようで、右手には箒が握られている。
「宿をお探しなら、うちがおすすめですよ」
ノヴァスはあらためて、宿の主と彼の背後にある建物を観察した。
柔和な笑みと、他に比べたらかなり綺麗な木造の家屋。
こちらの警戒心を察してか、その男はさらに言葉を続ける。
「この街並みを見て身構えてしまうのも無理はないでしょうが、だからこそ、ワケありの人のための宿というものもあるんです」
男は一瞬だけちらりと、ノヴァスの背後にいるヒナカに視線をやった。
「身重の奥さんにとっては大切な時期でしょう? 野宿で身体を冷やすわけにはいかないでしょうし」
「えっ?」
ヒナカが間の抜けたような声を上げた。
「お父さんも、まともな屋根の下に泊まれたほうが安心でしょう」
「おっ、おとっ」
ヒナカは混乱している。
「ちょうど、ダブルベッドの部屋が一つ空いてるんですよ。はは、中央通りの高級宿に比べたら粗末で恥ずかしいものですが……」
「どっ、だぶっ、えっ!?」
背後からの変な音が鳴り止まない。
「分かった。じゃあ、妻と二人で一室借りよう」
ノヴァスはあえて否定せず、話の流れに乗ってそのまま承諾してしまった。
相手に怪しまれないよう、実にいい笑顔だった。
男はたちまち表情を明るくし、「さあさ、こちらです」と宿の入口へ促すように手で示した。
「行くぞ、ヒナカ――ヒナカ?」
ノヴァスが背後へ振り返ると、黒い外套ですっぽりと全身を覆い、お腹周りが膨らんだ身重の妻(仮)が、立ったまま「ツマ……ツマ……」とぶつぶつ言って動けなくなっているのだった――。
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