第25話 新たなる旅の軌跡
夢の宴から数日後。
砦の中庭では旅支度を済ませた人々が集合し、ざわざわと立ち話に花を咲かせていた。
新たな出発にふさわしい、ちょっぴり肌寒い朝もやのなか。
頭上から降りそそぐ太陽の光が、白いもやを通って神秘的な光芒を生んでいる。
しばらくして、主塔の入口から松明を持ったノヴァスとグウェンが現れた。
二人が奴隷の収容舎へ歩いて近づくにつれて、談笑は鳴りを潜め、みな一様に寂しさと清々しさのない交ぜになった表情へと変わっていく。
それは、傍から見れば木造の簡易的な掘立小屋でしかない。
しかし実態は、かつて自分たちを絶望させていた奴隷の象徴の一つ。
ノヴァスは黙ったまま収容舎の前まで来ると、彼らを見てただ静かに待った。
地獄のような思い出と、ほんの少しの良い思い出。それらと別れるための沈黙の時間。
バサバサバサッと、遠くから鳥の羽ばたきが聞こえて来る。
あの石を砕く甲高い音は、もう聞こえない。
やがて全員の、吹っ切れた明るい眼差しがこちらへ向いた。
彼らの思いを受け止めて、ノヴァスは静かにうなずき返す。
「それじゃあ、出発の送り火だ」
明るく告げて、ノヴァスとグウェンは、あらかじめ油をしみ込ませて軒下に設置していた藁や端材に松明の火を移した。
揺らめく火種が藁を伝い、端材を走り、下から包み込むように広がっていく。
はじめは小さく、段々と輝きを増して、収容舎を浄化するように堂々と燃えていく炎。
ふいに、横から声が掛かった。
「まさかこの歳になって、未来に期待する興奮を味わえるとは思いませんでした」
慇懃な所作の好々爺が、感極まったようにつぶやいた。
「いつか、この御恩をお返しできる日が来ることを願っております。ノヴァス様」
グウェンはそう言って、綺麗な礼をした。相変わらず、元土木技官の酒豪とは思えない、洗練された振舞いだった。
「俺が好きでやったことです。重荷には感じないでくださいよ?」
少しおどけて返すと、グウェンの真摯な茶色い瞳が穏やかに微笑む。
「むしろ、貴方の背負うものを少し分けて欲しいと、そう思ったのですよ。何かあれば、私は貴方のもとへ馳せ参じましょう」
その無条件の信頼は、ノヴァスの心に染みわたった。
どう答えればいいのか少々困りながら、照れくさそうに曖昧に笑う。
「分かりました。その時は、よろしくお願いします」
そのぎこちない答えに、ほっほっほと後腐れのない軽やかな笑いが返って来たのだった。
いつの間にか立ち上る炎は、朝もやを貫き、天高く昇っている。
ガコンッという木の軽い音が鳴り、柱の一部が燃え崩れた。
もう消えることはないだろう。
そう判断し、手に持っていた松明を投げ込む。
松明はすぐに炎の一部となり、オレンジの輝きの中に消えていった。
しばらくそのまま炎を眺めていると、今度は背後から声が掛かった。
「言いたいことあるなら、今のうちだよ」
「そうそう。ノヴァスさーん、姉さんが話したいって~」
「ちょ、ちょっとヒナカちゃん! エルナちゃんも! 大丈夫って言ったじゃない! お、押さないで!」
ハリエットが、ヒナカとエルナに背中を押されてやって来た。
彼女の緑色の瞳がこちらと合わさったかと思えば、すぐに空を泳ぎ、伏せられる。
「あ、あの、私」
「ハリエットか、どうしたんだ」
ノヴァスは返事を待った。
「つ、次は!」
おっとりしたハリエットにしては珍しい、気合いの入った声だった。
「次に会うときは! もっと美味しいお料理、食べてもらいたいと……思って」
風船がしぼむように、恥ずかしさで言葉尻がしぼんでいく。
ハリエットの顔は真っ赤になっている。
彼女の背後にいるエルナはクスクスとおかしさを抑えながら笑い、ヒナカもそれに同調していた。だが、瞳はこっそりノヴァスとハリエットのあいだを右往左往し、狐耳が心なしか垂れていた。
ハリエットは、一呼吸おいてノヴァスの黄金の首枷を見る。
その表情からは先ほどのうら若き乙女らしさは消え、真剣な大人の顔に変わっていた。
「……その枷……大変な旅に出ると聞きました。どうか、ご無事で」
彼女のその不安を吹き飛ばすように「大丈夫、楽勝だ」とノヴァスは少年のような笑顔を返した。
「そっちもこれからしばらく大変だろうが、君ならやれる、ハリエット。それから――また手料理を食べられる日を、楽しみにしてるよ」
ノヴァスも真剣に、しかし、朗らかに約束を返す。
ハリエットは彼の答えを嬉しそうに噛みしめて「はい! 次はもっと本格的なものを!」と頷くのだった。
「準備できたぞ」
タイミングを見計らったかのように、ロイの声が響いた。
砦の西側の入口には、新しい木材で荷台を快適に作り替えた大型馬車が、複数用意されている。
キールやレインズが御者として乗り込み、こちらに向かって手を上げて合図していた。
いよいよという空気を感じ、旅立つ人々は決意を確かめるように、深く息を吸ったり、目を瞑ったり、己の心と対話する。
「さて」
ノヴァスはロイに歩み寄り、肩に手を置いた。
「頼んだぞ」
「ああ、任せてくれ」
銀髪の騎士が力強くうなずく。
彼の左腰には、誇りを示す長剣が提げられていた。
短いやり取りだったが、それで十分。
あの宴で語るべきことは語った。
キールやレインズをはじめ、元看守だった者たちは、誇らしげに胸に手を当て敬礼している。
ヒナカも仲良くなった女性陣たちと抱擁し、別れを告げていた。もふもふの尻尾と耳が人気過ぎて、時間がかかっているのはご愛嬌だろう。
やがてロイの号令によって、人々は馬車に乗り込んだ。
「あ、ノヴァスさん! 初めてここに来た時に睨んじゃって、ごめんね!」
「今それを言うのか」
どこかタイミングのズレたエルナのさっぱりとした謝罪に、ノヴァスは少々呆れながらも、彼女らしいと思って特段嫌な気はしなかった。
「湿っぽいの嫌だから! じゃ、また!」
はつらつとした別れの言葉が空に響く。
人々は、ここへ連れて来られた時とは違って清潔な衣服を着て、人が乗ることを想定した荷台に揺られる。
北の街へ着いた後のことに思いを馳せ、明るく話す者もいれば、何人かは名残惜しそうにノヴァスとヒナカを見る者もいた。
気づけば、太陽の輝きが朝もやを晴らしていた。
狭間の領域特有の短い朝は、希なる蒼天で彼らの旅立ちを祝福している。
ノヴァスとヒナカの二人は、林道を進んでいく彼らの馬車が見えなくなるまで――いつまでも、晴れやかな顔で見送った。
「行ってしまったな」
ぽつりと、ノヴァスが言った。
「いろいろ終わったらさ、また会いに行けばいいんだよ」
横から天真爛漫で魅力的な提案が返って来た。
そよ風でふわりとヒナカの深栗色の髪が揺れ、花の香りがノヴァスの心を落ち着かせる。
「ああ、約束も交わした。思ったより増えてしまったが……思ったより、悪くない」
目を瞑り、ふっと小さく、吹っ切れたように笑う。
当初は奴隷の体験学習のつもりが、存外、大きなものを得ることができた。
気持ちを整理したノヴァスは、それから新たな旅の相棒と目を合わせる。
美しい赤紫の瞳が、こちらを見守るように見ていた。
「俺たちも行こうか、ウェイスエンドへ」
「うん!」
二人が、同時に一歩を踏み出した。
静かな林道を、漆黒の髪の青年と、深栗色の髪の妖狐の少女が並んで歩く。
絶望の吹き溜まりを機能不全にした英雄たちは、それぞれの目的を果たすべく、新たな旅の軌跡を描き始めたのだった――。
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