第23話 普通の日々
「――禁域の森って、魔物とか出ないのか?」
いまだ戦いの焦げ跡が残る外壁広場。
そこに設営された天幕の下で、ノヴァスとレインズが打ち合わせをしていた。
作戦卓には、狭間の領域の南東部を覆う森の地図が広げられ、浅層、中層、深層と三段階の等高線のように分けられている。
「浅層は普通の森とそう変わりません。モルタル生成の作業で森に入って木材を切り出していたでしょう?」
「ああ、言われてみれば、確かに」
ノヴァスは顎に手を当て、思い出したように視線を上にやった。
「魔物が出たとしてもはぐれゴブリンくらいです。熊のほうが現実的な驚異度は上でしょうね。とはいえ、戦えない者にとって危険であることは変わりませんが」
そう淡々と説明する、怜悧な青髪の青年をまじまじと見る。
「……何でしょうか」
「いや、敬語が新鮮だと思ってな。ほら、キールと話してるときは良い先輩って感じだったじゃないか」
「ノヴァス、あなたは敬意を払うべきリーダーです。当然でしょう」
冷静に、しかし、どこか信頼の混じった力強い言葉で肯定される。
ノヴァスは、どこか気恥ずかしくなりながら応じた。
「もっとフランクに接してくれてもいいんだぞ。年上だろう?」
「関係ありません。実はこれが、本来の私ですから」
「む……そうか。ならいいか」
きっぱりとしたレインズの物言いを、ノヴァスはきっぱりと呑み込んだ。
別によそよそしいわけでもない。本当にこれが、レインズなりの居心地のいい距離感なのだろう。
こちらの心情を察してか、レインズは先ほどよりもどこか清々しい様子で話を続けた。
「中層から奥は魔物や猛獣との遭遇率が上がり、森を支配しているエルフ族の罠も張り巡らされています。とはいえ、目的が食糧採集であれば浅層で事足りますので」
よどみない説明に、ノヴァスはうなずき返す。
「なるほどな。じゃあ、戦えない者を何人か連れて行っても問題ないか」
「ええ。採集と狩猟で班を分けるとしましょう」
二人が打ち合わせを終わらせて外へ出ると、明るい夕日のなか、広場はちょっとした人混みでごった返していた。
宴の準備のために食材がいるからと招集をかけたのだが、想定以上の集まりだった。ノヴァスたちが唖然としていると、妖狐の少女が呆れ半分の笑顔を浮かべながらやって来る。
「狐っこ、この多さはなんだ……? ほぼ全員来てないか?」
「安静にしてなきゃダメって言った人たちまで来ちゃったからね~。野営の整備してた人たちも作業が落ち着いてたし。あそこの女の子たちは……その、あなたと一緒に仕事したいってさ」
「そうか……」
彼女が指し示した男衆も女衆も、やる気に満ちて活気にあふれていたが、ノヴァスたちが天幕から姿を表したことでこちらへ注目が集まっていた。
「みんな、集まってくれてありがとう。手が空いていて余裕がある者を募ったつもりだったが、まさかこんなに集まるとは」
ノヴァスが驚き半分に言うと「あんたが砦を機能不全にしたから暇人であふれてんだ」という男衆のからかいの言葉が飛んで来た。
どっと、大きな笑いが起こる。
その反応に、ノヴァスは目を瞑って優しく微笑んだ。
「仕方ない。なら、楽しく働いてもらうか」
ぱん! っと拳で手のひらを叩き、レインズへ視線を送る。
彼はうなずき、衆目の前へ出て来た。
「班を二つに分けます。採集と狩猟で、そうですね……ノヴァス、あなたは彼女たちを護衛しながら果物や野草などの採集を頼みます」
レインズが一画に集まっている女性陣の様子を見てからノヴァスに割り当てた。
「ん? 俺は危険の多い狩猟に回ったほうが――」
ノヴァスが言いかけると、レインズが静かに耳うちして来た。
「空気を読んで。狐っこさんも言っていたでしょう」
彼の示した先に目をやると、ピンクブロンド髪の女性をはじめ、彼女たちはどこかそわそわとノヴァスに意識を向けているようだった。
「うん、モテモテだねぇ。まあ、やったことを考えれば? 当然だと思うけど」
隣にいた狐っこがとぼけたような、茶化すような笑顔のジト目を向けて来る。
すかさずレインズが追撃を入れるように言葉を重ねた。
「彼女たちの中には、元看守だった自分たちと仕事をすることにまだ抵抗が抜けきれていない子がいます。ですからノヴァス、あなたに一任します。そのほうが面し――」
妙な咳払いが入った。
「適材適所でしょうから」
そしてニコリと、良い笑顔を見せて来るレインズ。
「……お前、何だか生き生きしているな」
「気のせいです」
ふいっと明後日の方向を見たレインズだったが、彼の口角が若干ぷるぷる震えていたことをノヴァスは見逃さなかった。
「お前――」
「あ! 先輩! 俺もそっちがいいっす!」
しかし、耳ざとく聞いていたキールが立候補したことで、反論を諦める。
「ダメだ。お前は俺たちと一緒に猪狩りだ」
レインズがすげなく言い放つ。
「ええええ~~~! ノヴァスさんずるいっす!!」
こうして、宴へ向けた食材の調達が始まったのだった。
◆
(禁域、ね……)
採集にあたって目をつけていた果実の群生地を目指し、ノヴァスは女性陣をともなって林道を進んでいる。ノヴァスも、他の皆も、果実や野草を入れるための空カゴを背負っていた。
(こうしてあらためて歩くと、意外と普通の森だな)
背中のカゴを背負い直し、空を見上げた。
まだ日が高い夕暮れの光が、樹冠のあいまから穏やかに降りそそぐ。
禁域の森という物々しい呼び名からは想像できないほど優しく、オレンジ色の木漏れ日が歓迎してくれていた。
少し前を歩く狐っこが、ゆったりと鼻唄を歌っている。
その曲は、背後から聞こえて来る女性たちの明るい会話の音と相まって、すずめが鳴きあうような、一度聞いたら忘れない郷愁を感じる曲調だった。
「なんか、夕焼けによく合う曲だな」
「うん、故郷の祭囃子だよ。本当はもっと軽快で、笛とか太鼓で演奏して踊ったりするんだけど、ゆっくりな鼻唄だとちょっと寂しい感じになっちゃうかな。へへっ」
「そうか……」
振り返った狐っこは、寂しさと楽しさが同居したような、幻想的な笑みを向けてきた。
何か気の利く言葉を返そうと思ったが、どう返せばいいか迷っているうちに、目的地に着いてしまった。
後ろから、女性陣たちのわあっという華やかな声が上がる。
幹だけが天高く伸び、樹冠が遠い木々。
それらは心祝の木と呼ばれ、甘く瑞々しい赤い果実をつける。
他に比べて頭一つも二つも高く伸びた木々は、太陽の光を遮ることなく大地へ届け、根本ではスミレをはじめとした花々や野草が豊かに広がっていた。
夕焼け色に染まった高木たちと、その下の色とりどりの花畑、そして野草の緑。
近くを流れる小川も相まって、まるで絵物語の一幕のような、幻想的な風景が広がっていた。
「スミレの花は香水にできるんだ! あとそっちの黄色い花も。お酒いっぱいあったし、あとで作ってみようよ」
狐っこが嬉々として声を上げ、何人かの女性たちをともなって花畑に駆けていく。
彼女らは着いて早々に果実の採集という目的を忘れてしまっているようだった。
何人かは残ってノヴァスに遠慮がちな視線を向けていたので、彼は穏やかにうなずいて見せる。楽しんできていい、と。
すると、彼女たちの表情が明るく一変し、嬉しそうに狐っこたちのもとへ混ざりに行ってしまった。
「さて」
一人残されたノヴァスは、心祝の木を見上げて品定めを始める。
(ここまで高いとなると、俺や狐っこ以外は登るの無理そうだな。実は俺が集めよう)
彼は思うやいなや、タンッという身軽な跳躍で赤い果実がなる天高い木の樹冠に降り立った。
◆
一方、小川のほとりの花畑では――。
女性陣は狐っこの解説を聞きながら花を愛で、野草を摘んでいた。
「あなた、花に詳しいのね」
ピンクブロンド髪の女性が、狐っこへ穏やかに笑いかけた。
おっとりとしていて、大きな緑の瞳が特徴の年上のお姉さん。そんな雰囲気の彼女に、狐っこも安心感を覚える。
「うん! 薬草について調べるうちにお花にもハマっちゃって」
「あなたの手当てのおかげで、みんな元気になったのよ。本当にありがとう」
狐っこは急な賞賛に、照れたようにもじもじする。大きな尻尾はぶんぶんと揺れていた。
「そういえば、名前はなんていうの? 私はハリエットよ」
「あ……えっと、それは」
何気ない質問だったが、狐っこはちらりと木の上にいるノヴァスへ視線を送る。
「あ、ハリエット姉さん。それは聞かないであげて」
横合いから、気の強そうな黒髪の少女が会話に加わった。
ノヴァスがやって来た頃、彼の行動に反発した時の険しさは消え、今は気の強さの中に優しさが見え隠れしている。本来の彼女の姿は、こちらなのだろう。
「え? どうして?」
「訳アリみたいだからさ」
ね? と軽く明るい調子の気遣いに狐っこはお礼を返した。
「ありがとうエルナちゃん。でもやっぱり変だよね。ごめんね、気を悪くさせちゃったら――」
「いいのいいの。あんたの薬のおかげで、ずっと体調悪かった子が元気になったしね。感謝してるんだよ、あたしたち」
さっぱりとした様子で、エルナと呼ばれた黒髪の少女は応えた。
「そうね、魔人族が来たとき、あなたが命がけで砦を守ってくれてたってことも聞いてるわ。本当にありがとう」
狐っこは、照れと夕日で顔を真っ赤にしながら、へへっと屈託のない笑顔を浮かべた。
「でも呼び名は必要よね。ノヴァスさんみたいに私たちが狐っこと呼ぶのも変だし……狐ちゃんでどうかしら?」
「うん!」
妖狐の少女が元気にうなずくと、頭上から声がかかった。
「狐っこー、この実、美味いぞ。休憩用に落として行くからみんなキャッチしてくれ」
そう言ったノヴァスの背のカゴは、赤い実で満杯になっていた。
「あ! うん! でも――」
と、狐っこは一部の女性たちへ視線を送る。
運動神経に自信のない彼女たちは、キャッチしてくれという申し出に不安げな顔をしていた。
ノヴァスもそれを察しているのか、気楽に言う。
「心配いらない、たぶん取りこぼすことはないし、ちょっとした遊びさ。じゃあみんな、水をすくうように両手を合わせて、地面と水平に真っすぐ前に出してくれ」
突然の指示に、みな一様にきょとんとして首をかしげる。彼の意図は分からなかったが、とりあえず言われるままに両手を伸ばした。
「お椀みたいに包み込む感じで……そうだ、そのまま。よし――」
次の瞬間、ひゅっという軽く風を切る音がしたと思えば、彼女たち全員の両手のひらの上に、くるくると回る赤く瑞々しい果実が落ちて来た。
果実は上手い具合に手のひらの湾曲に沿って回転し、そのまま彼女たちの小さな両手の真ん中に収まる。
「わっ! びっくりした!」
狐っこが驚いて目を見張る。
他の女性たちも同様に声を上げるが、誰一人落としてはいない。
精密な狙いと回転で安定したそれらは、弧を描くようにして少女たちの小さな手に見事に収まったのだ。まるで果実のたどる流れを完全に把握しているかのように。
魔法のようなその技は、あまり機敏に動けない者への気遣いでもあるのだと察し、彼女たちの心がじわりと温まる。
「おお、上手く行った。やってみるもんだ」
木の枝の上に立ったノヴァスが腕を組み、意外そうな表情で笑っている。
ワーグや魔人族といった敵に見せていた姿とはまるで違う――悪戯が成功した少年と大人の色気が併存した、そんな空気感。
風に揺れる濡れ羽色の長い髪と、落ち着いた緑の外套。
それらは少年らしさと相反する大人の色気を引き立たせ、何人かの少女は見入ってしまっていた。
とても強くて、敵対者には怖いかと思えば、優しく純粋な人。
突然現れて、夜に光る星のように、自分たちを闇から救い上げてくれた人。
ハリエットの緑の瞳が揺れた。
彼女は感極まったように、そして何か思いつめたように唇を噛み――他の少女と示し合わせるように視線を合わせた。
エルナや、他の女性たちも、何かを決めたかのようにうなずき合う。
「ねぇ、ノヴァスさんも降りてきて一緒にどう?」
ハリエットが提案した。
「そうだね、みんなで食べようよ」
彼女たちの考えは露知らず、狐っこが無邪気に提案すると、ノヴァスは「分かった」と言って木から飛び降りた。
◆
花畑に降り立って早々に、女性陣たちの表情に迷いを感じた。
言いづらい言葉を喉元で抑え込んでいるような、そんな躊躇いが見えたのだ。
狐っこも、急に変わった空気に首を傾げている。
「ノヴァスさんって恋人はいるの?」
ハリエットが唐突に言った。
ぴくりと、狐っこが反応してそわそわし始める。
誤魔化すように赤い果実にしゃくっと小さな噛み跡をつけた。もぐもぐと、気を紛らわすために味に集中しているようだった。
「いや、いないよ」
ノヴァスは受け入れる色も、拒絶の色もなく、静かに返した。
「それなら――私たちを、あなたのモノにしてもらえないかしら」
予想外の提案に、ノヴァスの呼吸が一瞬止まる。
しかし彼女の目は、ひたすらに、すがるような寂しさがにじんでいた。
「けほっ、こほっ」
隣で狐っこがむせている。
「えっ? えっ? は、ハリエットさん? 何言ってるの?」
「突然驚かせてしまってごめんね、狐ちゃん。あなたも、嫌じゃなければ一緒に」
その言葉の裏の意味を察して、ぼふんと狐っこの尻尾が爆発して膨れ上がり、顔は心祝の木の実のように真っ赤に染まる。
「ま、ままま、待って! 待ってよ!! えっ? 本当に?」
「本気よ。ノヴァスさん、私たち全員、あなたに上書きして欲しいの」
上書き。
一般的に見てしまえば、とんでもない提案だったが……しかし、境遇を考えればそう判断しても不思議じゃない。
重く、暗い、傷跡。
ノヴァスは少々困りながらも、彼女たちの心を探るように、一人一人の目を見た。
共通しているのは、冷えた川の流れに任せる落ち葉のような、そんな危うさを秘めた眼差し。
一度地に落ちたら、青々と茂るあの木々の樹幹には帰れない。自分たちはもう戻れない。そんな諦めにも似た悲しみが、寄る辺を探してさまよっている。そんな気がした。
狐っこも、彼女たちの心模様を察し、悲し気にうつむく。
「やっぱり、私たちじゃダメかしら……元、奴隷だものね」
そういって、ハリエットたちは自分の身体を抱くように腕を組み、目をそらして曖昧に笑う。
「ご、ごめんなさいね。さっき言ったことは忘れ――」
「そんなことはない」
力強い言葉で存在を肯定した。
「君たちは魅力的な女性だ。もし、それが本当の救いになるのなら、一つの方法かもしれないが――」
狐っこの顔は、頭から湯気が出んばかりに紅潮している。
「自分をモノ扱いするなんて、良くない方法だ」
先ほど見せていた年相応の空気からまた変わり、王の顔を見せたノヴァスに、彼女たちは息を呑んだ。
「君たちの存在は、誰のモノでもなく、君たち自身のためにあるべきだ。助けられたことに引け目を感じていたとしても、報酬として誰かに差し出すべきじゃない」
爽やかな風が、木々のあいまを通り抜け、花びらを舞い上げた。
誰かにすがらず、自分の足で立てと。突き放しつつも温かい始まりを祝福する春のような叱咤だった。
「じゃ、じゃあ、ふとした瞬間に思い出す、嫌な記憶は……どうしたらいいの……?」
震える声で、ハリエットは助けを求める。
他の女性たちも、瞳に涙を浮かべている。
どう救うかは、もう決めていた。
「狐っこ」
優しい声だった。
「は、はいぃ!」
突然の指名に、耳をぴんと立て、口を堅く結んで緊張する妖狐の少女。
「ははっ、面白い反応だな」
ノヴァスがからかうようなジト目返しをすると、狐っこはむっと頬をふくらませる。
「狐っこ、ハリエットさんとハグだ」
「えっ、わ、わたしが?」
「お前が適任だ。難しいことは考えず、ほら」
ぽんっと背中を押してやると、妖狐の少女は迷子の女性と対峙した。
美しくもやわらかな深栗色の髪が、風にふわりと舞う。
赤紫の瞳と緑の瞳が見つめ合う。
助けて。と言われた気がした狐っこは、すべてを受け入れ抱きしめるように、両手を大の字にする。
そして、ゆっくりと抱きしめた。
「――ハリエットさん、大丈夫。もう、大丈夫だよ」
「……狐ちゃん」
ハリエットの頬に涙が伝っていた。
「あなた、いい香りがするわね……。さっき話してた香水の香りかしら。それにあったかくて、やわらかくて……なんだか、安心する」
「そ、そう?」
「モテモテだな狐っこ、ちゃんと全員抱いてやれよ?」
ノヴァスが再び悪戯っぽい笑みを浮かべながら茶化す。
「ご、誤解を招くような言い方しないでよ!? いじわるっ!!」
二人のやり取りが笑いを呼び起こす。
悲しみをさらい、吹き飛ばすような、明るい笑いだった。
「ははっ、悪かったよ。ほら、これ、甘くて美味いぞ」
ノヴァスは、手に持っていた赤い果実をくるりと一度宙に舞わせてから、しゃくりと食べて見せた。
彼にならい――狐っこはふくれっ面で、ハリエットたちは涙を浮かべ、しかし微笑みをたたえて果実をかじった。
(友達と一緒に美味しいものを食べて、安心してぐっすり眠る。今はきっと、それが一番だ――)
迷子の女性たちの顔は、優しい夕日に照らされ、明日への期待に満ちていた。
ご読了ありがとうございます!
次回24話もたっぷりボリューム回です。お楽しみに。
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