第22話 手掛かりと気掛かり
魔人族の襲撃から、数日が経過した。
明くる日の太陽は、かつて絶望の集積地だった砦を天から照らし、人々を祝福するかのように輝いている。
このところ、当面の生活のための拠点整備や遺体の埋葬など、みな目前のやるべきことのために無心で動いていた。
しかし、それらもようやく落ち着き、元奴隷たちは急に手に入れた自由を実感する頃合いとなった。
何をすればいいのか分からない。
そんな人々を、ノヴァスやロイが中心となって支え、人としての穏やかな営みへと少しずつ歩み出している。
そんななか、三人の人物が主塔の執務室に集まっていた。
元先輩看守――レインズが、乱雑な机の中から一冊の帳簿を取り出し、ロイへ手渡す。
「隊長、これです」
「うむ」
ロイは応対用の簡易テーブルに着きながらそれを受け取った。
対面にはそわそわと、どこか落ち着かない様子の妖狐の少女が座っている。
「いろいろ大変なことになって見せるのが遅れたが、これが輸送台帳だ」
そう言って彼は、台帳を広げて見せる。
妖狐の少女は、大きな狐耳を緊張からぴんと伸ばし、真剣な眼差しでページをのぞき込んだ。
ここに仲間の行方が載っているかもしれない、と。
「たしか、探している人物も同じ妖狐族だったな?」
「う、うん。そうだよ、ミヤビっていう名前」
「ここを見てくれ」
ずらっと並ぶ記録の一角が指し示される。
そこには日付や運送条件などと一緒にこう書いてあった。
【奴隷 狐 女 ウェイスエンド第一商会】
その生々しい表記に、少女は目を伏せた。
「ウェイスエンドというのは、ここから西に行ったところにある人間族の交易の街だ。この記録を見るに、君の仲間はそこの商会に送られた可能性が高い。ただ、これだけでは、どこの国へ送られたかまでは分からないが……」
「そっか……ウェイスエンド」
普段明るい少女の静かな返答に、ロイはいたたまれなくなり、頭を下げた。
「すまない……」
「え? あっ、ロイさんのせいじゃないから! むしろ行き先がわかったなら、次こそはって思ってたところだよ」
気持ちを切り替えて、妖狐の少女は優しくはにかんだ。
「ノヴァスといい、君といい……強いな」
「も、もう、やめてよ~。しんみりしちゃうの苦手なのに。とにかく、大事な情報をありがとうロイさん」
「このくらい、何でもないさ」
「ところで――彼は?」
暗い話題を切り替えるように少女が言った。
「彼? ああ、ノヴァスのことなら、あいつはいま倉庫漁りをしている」
「そ、倉庫漁り?」
少女は目を丸くした。
「さすがに裸のままにさせるわけにはいかんだろう? だから、服を見繕うついでにと、さっき倉庫のカギを渡してな」
「うちの後輩と一緒に張り切っていましたね。まるで宝探しでも始めるかのようでした」
脇に控えていたレインズが、はあというため息とともに補足した。
「あはは! そうだね。彼、そういうの好きそう」
倉庫のあちらこちらをひっくり返して回るノヴァスを想像したのか、妖狐の少女はふわりとした表情でへへっと笑う。出会ってまだ数日の異性を思って浮かべる笑顔ではなかったので、ロイとレインズは少々面を食らってしまう。
「――さて、私の用件は以上だ。君もノヴァスのところへ行ってみるといい。何か面白いものが見つかるかもしれないぞ」
「うん! そうする!」
ロイの提案を受けて、彼女はすぐに席を立つと「それじゃロイさん、レインズさん、ありがとう。ロイさんは特に怪我酷いんだから、まだ無理しちゃダメだよ」とせわしなく言い残し、執務室を駆け足で出て行った。
「いい子ですね」
「ああ」
「名前を隠そうとしているのは妙ですが」
「何か事情があるのだろう」
いまだに名を明かそうとしないあの不思議な妖狐の少女は、ノヴァスと最も距離が近い。
それにも関わらず、彼女はノヴァスの名を呼ぼうとしない奇妙な態度をとっている。ここへ迷い込んだ侵入者の立場だったという理由もあるのだろうが、それにしても変だ。
(……乙女心というやつかな)
ロイはふっと一人勝手に納得しながら、執務室の窓辺から外を見た。
中庭では、かつて枷をつけられていた人々が自由に談笑しながら野営の準備をしていた。
その光景は、彼の心を少しばかり傷つけながらも、それ以上の活力を与えてくれたのだった。
◆
「ふむ……ごわごわする……急に不自由になった気分だ」
主塔の一階にある倉庫にて、ノヴァスはつぶやいた。
『いつまで裸でいる気だ? 服を着ろ。倉庫にあるから適当なのを選んで来い』
ロイの呆れたような声を思い出しながら、ノヴァスはあらためて自分の服装を確かめた。
ひざ上まで丈が伸びた黒のオーバーチュニックは、背が高く、髪の長い彼に良く似合っていた。
腰元には長い革ベルトが二重に巻かれ、余った部分は無骨に垂らされている。火打ち石や研ぎ石などを入れる小さな革のベルトポーチが右側に吊るされ、左腰の部分は帯剣を想定した造りになっているが、空のままだ。
ゆったりとしたシルエットのベージュのホーズも、革のロングブーツで引き締まり、その姿は――さながら熟練の旅の剣士。
バサッと、ノヴァスは暗緑色の外套を羽織る。
裏地には光沢のない朽葉色の布があてられた二枚仕立てで、裏返せば隠密にも役立ちそうだった。
流麗な長い黒髪を襟足で一つに結び、明け空のような紫の瞳は涼し気で油断がない。裸に腰布一枚の野性味から一転、貴公子然とした青年の姿がそこにあった。
「ぐぬぬ……。暗い緑の外套も似合ってるっすね……半裸の腰布でも風格あったっすけど……素材がいいとここまで様に……憎たらしいっすね」
「素晴らしいですね、ノヴァスさん」
キールがひたすら恨めしそうにぼやき、グウェンは感心したように褒めてくれた。
色のわずかな違いこそあれど、他のみなと着ている服はさほど変わらない。しかし、彼の洗練された空気感と佇まいが魅惑的な彩りを与えている。
「どうせ、力を使ったらまた着替え直しだ――それならいっそのこと、普段から半裸のほうが経済的にも……」
「いやいや、変なところで合理性出さないでくださいっす。ノヴァスさんが服着ないと元看守のみんなも罪悪感で後ろめたくなるんすから……」
ぶつぶつと一人真面目に考え込むノヴァスの姿を見て、さすがのキールも呆れて突っ込みを入れる。
キールの少し気まずそうな視線は――いまだ外れていない、ノヴァスの黄金色の首枷に向けられていた。
「まあ、俺の格好のことはもういいだろう。それよりキール」
ノヴァスが改まって声をかける。
「グウェンとも相談していたんだが、そろそろ宴を開きたいと思ってる」
「宴! 宴っすか!? 名案っすね、さんせーっす!!」
キールは急な提案に浮かれ、興奮しているようだった。
グウェンも微笑みながら言葉を重ねた。
「皆そろそろ落ち着きを取り戻し、良い頃合いでしょう。ただ、宴を開くにしても、準備が要りますな」
「ああ。だからこその、倉庫漁り。キール、何でもいい。宴に必要だと思う物資を探すんだ」
「了解っす!!」
そうして倉庫漁りの第二回戦が始まった。
ノヴァスの指示を受けたキールは、ふんすと鼻を鳴らすと、物が大量に置かれて埃がたまっている倉庫内を勇み足で進んでいく。
「さて、俺たちも手分けして探すか」
と、ノヴァスがグウェンに言った時だ。
バン! っと開きかけだった倉庫の扉が勢いよく開いた。
「あっ、いたいた!」
朗らかな声が響く。
入口を見ると、ここまで走って来たのだろう――息を切らし、扉の縦枠に手を当てて寄りかかる妖狐の少女がいた。
彼女の呼吸に合わせ、ふわりと、綺麗な深栗色の横髪が垂れる。
「狐っこか。ロイたちとの用件は済んだみたいだな」
「うん! あなたたちが倉庫にいるって聞いたから、わたしも混ざりに来たの! その服、すごく似合って――」
妖狐の少女は嬉しそうにノヴァスのそばへ駆け寄ってきたが、彼の首枷がいまだに外れていないことに気づき、笑みがさっと消えてしまう。
「ねぇ、それって、外れないの……?」
整った美しい眉をハの字にして、少女は尋ねる。
「ふむ……私も気になっていました。どうやら我らにはめられていた物とは、違うようですね」
グウェンも丁寧なたたずまいで、こちらを見てきた。
二人とも、鈍い黄金色の首枷が気になっていたらしい。
「ああこれか。俺を奴隷に落とした奴が、俺のために真心こめた特別製らしくてな。一般的なカギじゃ開かない」
ノヴァスは心配させまいと、皮肉混じりの軽い調子で言った。だが、目の前の少女には返ってそれが逆効果だったようだ。
「そう、なんだ……」
へなりと、大きな両耳と尻尾が垂れる。
まるで自分のことのように落ち込む彼女に、ノヴァスは一瞬だけ虚をつかれ、そしてすぐに優しく笑いかけた。
「必ず外すから、心配はいらないよ」
その言葉に、少女は暗い表情を押し込むように首を振り、顔を上げてコクリとうなずくことで応えた。重い話は今は必要ないと、こちらに気を遣ってくれたようだ。
グウェンは近場の物資を探りながら、そのやり取りを静かに見守っている。
「ところで、知りたい情報は得られたか?」
「う、うん」
「そうか、それは何よりだ。ここまで苦労して、何も成果なしじゃあんまりだからな」
魔人族の襲撃を退けた時とは打って変わり、ノヴァスが纏う雰囲気は驚くほど穏やかで優しげだった。
すると少女が、じいっとこちらの瞳を見つめてきた。
そして、何か言いづらそうに、赤紫の瞳をそらしては、またこちらを見て来る。
「あの」
「ん?」
「その……あなたは、この後」
言いかけた彼女の瞳が、わずかに揺れていた。
縋るような、あるいは何かを覚悟したような、その赤紫の瞳に宿った熱にノヴァスは目が離せなくなったが――。
「あー!!!!」
倉庫の奥から、空気を読まない絶叫が響き渡った。
「な、なに? 今の声」
「……キールのやつが何か見つけたらしい。それより狐っこ。今、何を言いかけたんだ?」
「あ、ううん……。大丈夫、大したことじゃないよ」
少女は遠慮がちにやんわりと微笑んだ。
瞳に宿っていた熱は、鳴りを潜めている。
「それよりほら、行ってみようよ」
そう言って彼女は、絶叫の主がいる倉庫の奥へ行ってしまった。
ノヴァスは怪訝な表情でその背中を見送る。
「……時々、妙だな」
「じっと待つのが、よろしいかと存じ上げます」
いつの間にか隣にいたグウェンがウィンクしながら、穏やかに言った。
「ふむ……。ええ、人生の先輩の助言は、頂戴しましょう」
そう言って悪戯っぽく笑うと、「ほっほ、嬉しいですねぇ」という老練な笑みが返って来たのだった。
狐っこに続いてキールの元へ行くと、彼は物陰に隠されていたひと際大きな木箱の前で興奮しているようだった。
「狐っこちゃん! 一大事っす! ワーグのやつ、こんなに隠してため込んでたっす!!」
「これ、全部?」
きょとんとした顔で、狐っこは木箱の中を覗いている。
ノヴァスとグウェンも、その会話に釣られるように木箱を覗き込む。
そこには――あらゆる国の酒のラベルが貼られた多数の蒸留酒、果ては王侯貴族しか味わえないようなワインまでが、丁寧にずらっと仕舞われていた。
現場主任という立場を利用し、姑息に横領し、ため込んでいた代物だろう。
「ほほう……! これはこれは! 久方ぶりに良い酒が飲めそうです」
グウェンも、いつもの慇懃な所作が崩れるほど柄にもなく興奮しはじめた。
「グウェン老、酒が好きなんですか?」
ノヴァスが意外そうに訊く。
「ええ、それはもう! 若い頃は毎日、酒場の樽を空けていたものですよ」
「は……? た、樽っすか……? 毎日……?」
キールはドン引きした。
目の前の老練な紳士は、そんな豪快さなど一切感じさせないほど柔和な空気を漂わせているのだから。
「人を見かけで判断してはなりませんよ、キールさん」
「は、はは。そっすね……」
「よろしければ飲み比べでも?」というグウェンの提案に気圧され、酷く狼狽えるキール。
そんな彼らのやり取りに笑っている狐っこの様子を、ノヴァスはちらりと確認する。
(気にはなるが……)
そこでノヴァスは、はっとする。
我ながら、出会ったばかりの少女に翻弄されている自分が少々おかしくなってしまったのだ。
じっと待つというグウェンの言葉を反芻し、軽く頭を振って即座に気持ちを切り替える。
「じゃあ次は――料理とつまみの準備だな」
久しぶりに見せた少年のような笑顔で、彼はそう言ったのだった――。
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