第21話 朝日に溶ける
太陽が顔を見せる前の、朝の静けさ――禁域の森の地平の奥から、ほのかな光がじわりとにじみ、ノヴァスとドラコニルの戦いで広がった空が紫に染まっている。
その光景をぼうっと眺めていると、ふいにズキリと足裏に痛みを感じた。
「……ッ」
ふらつきを抑えながら、ノヴァスはその場にあぐらをかいて座り込む。
「だ、大丈夫!?」
隣にいた狐っこが焦ったように言った。
「黎明の型……使うと……疲れるんだ。それに――」
ノヴァスは足裏を見た。
先ほど感じた痛みへの答えを示すように、小さな石の破片が刺さり、血が流れていたのだ。
(……使った後の課題は相変わらずか)
金属のトゲの鞭打ちにさえ耐えたノヴァスが、戦場に落ちていた石ころの破片を踏んで傷を負った。
ふっと静かに笑う。
(今なら鞭で打たれたらひとたまりもなさそうだ)
ノヴァスは皮肉にも、この瞬間だけは普通の人間と同じ感覚になれるような、そんな気がしていた。
「怪我、見せて」と狐っこが隣でひざを着き、袖口から薬の小瓶を取り出した。
その時。
ノヴァスの身体を覆っていた青白い光焔が、ふっと、虚空に溶けるように消えてしまった。
彼の尊厳を守っていた腰布は、その光焔に呑まれてすでにない。
つまり、全裸だ。
「おっと」
「―――~~ッ!!」
特等席にいた狐っこは、声にならない叫びをあげ、羽織っていた黒い外套をばさりと被せて来た。
「て、てて、手当ててて!! すすするから!!」
赤面してどもりながら、誤魔化すように言う少女。
しかし、目をつぶって深呼吸したかと思えば、次に開かれた彼女の目は真剣そのものだった。
「いや、大した怪我はしていない」
何の気なしにそう告げたノヴァスだったが、狐っこはむっとして、強引に手足を触診して来た。
「お、おい」
これにはさすがのノヴァスも驚き、止めようとした。
が、狐っこは「大人しくして」とぴしゃりと言う。その姿はまるで医者のようだった。
「今は気づいてなくても、後から落ち着いたときに痛んで来る怪我があるかもしれないよ」
ノヴァスの手を取って観察していた狐っこが、ジト目を向けてきた。
「ほら! ここも火傷してる」
彼女が両手首の外側のあたりを示した。
たしかに、浅くはあるが火傷を負っている。
ドラコニルの一撃を受け止めた際に負ったものだろう。
「こんなの、放っておいてもすぐ治る」
「ダメ」
ノヴァスを一言で一蹴し、狐っこは小瓶の中の薬を清潔な布にしみ込ませた。
それから彼の両手をとり、小瓶の液体で傷を洗い流してから、布を優しく当てる。
「しみる……」
ぼそっと子どものようにノヴァスは言った。
「あんな攻撃を素手で受け止めておいて、何言ってるの。我慢して」
次いで足の破片を取り除き、慣れたように手当てをしてくれる狐っこ。
ノヴァスはあらためて戦場に目を向ける。
転がる遺体が、目に入った。
「全員は、助けられなかったな……」
「……うん。ちゃんと弔ってあげなきゃ。綺麗な花、そえてさ」
手を動かしながらも、狐っこは寂しげに言った。
朝の静寂。
戦場の死の空気を浄化するように、南の海から吹いてくる爽やかなそよ風。
それらを全身で感じ取る。
何だか、眠気のようなふわふわした気分になったノヴァスは、気持ちを切り替えるように深呼吸した。
すると、いまだ残る死の臭いにまぎれて、かすかな香りが鼻をくすぐった。
「花の、甘い香り……?」
香りのもとをたどり、それが目の前の少女だと気づく。
黄白色のヒガンバナの髪飾りで視線が止まる。
いや、違うな。
誘われるように、彼女の横髪へ無遠慮に顔を近づけた。
「狐っこ、お前の髪、いい匂いがするんだな」
「へっ……? あっ! ちょ、ちょっと、ダメだよ――!!」
手当ての最中にそんなことをされたものだから、逃げるに逃げられない。
ただでさえ紅潮していた狐っこの頬が、りんごを思わせるほど赤く染まる。彼女は、人生最大の集中力を発揮してノヴァスの手足に素早く、しかし丁寧に包帯を巻く。
彼の美しい顔から逃げるように立ち上がり、こぼれそうな羞恥心を抑えて「すー、はー」と深呼吸。
そして、真っ赤な顔のまま、ニコっと笑い掛けてきた。
「は、はいっ! 終わり!! ほ、他の人の様子、見て来るね!」
ぼふんと、音が鳴りそうな勢いで、狐っこの大きな尻尾の毛が膨らんでいる。
何かに耐えられなくなったのか、彼女は尻尾をゆっくりと揺らしながらも、門のほうへ歩いて行ってしまった。
朝日を受けた彼女の笑顔は、とても美しかった。
ノヴァスは、その背中をぼうっと見送り、我に返る。
しまったと額に手をやりながらも、ぼんやりとしたまま考え込む。
(……疲れが酷い。ここまでになるのは、いつぶりだ?)
フルクトゥアト家の養子になってからは、ついぞ感じることのなかった感覚。
数年ぶりに感じる、無心になっても構わないという解放感。
(ああ、そうか――)
ほぅっと、夜明けにのぼる太陽を見つめ、ノヴァスは腑に落ちた。
(安心したのか、俺……)
◆
石積みや端材で造られた粗末な防御柵に、ロイが寄りかかり朝日を眺めていた。
「生きていて何よりだ」
手当てを済ませたノヴァスがやって来て、彼に笑いかける。
彼の腰には、狐っこから受け取った黒い外套が巻きつけられていた。
その姿を見たロイが、ふっと笑う。
「……あの娘の苦労が思いやられる」
「仕方ないだろう? あの技を使うと、服がなくなってしまうんだ」
ノヴァスはどうしようもないと言った様子で肩を竦めて見せた。
そしてすぐ真面目な顔になる。
「傷は平気か?」
「あの娘の処置が適切で、何とかな。とはいえ、ちゃんとした医者に診てもらえといわれたが」
「すごいな、狐っこ」
と、ノヴァスは相変わらず怪我人の手当に奔走している妖狐の少女を遠めに見た。
明らかに薬の扱いや怪我の対処に長けている。できれば教えて欲しいものだと考えにふけっていると――。
「いろいろと、すまなかった」
ロイが突然頭を下げて来た。
彼の心情を察したノヴァスは、改めて告げる。
「前に言った通りだ。俺はもう許したぞ、ロイ」
「お前は、優しいな」
「そうだろう? だがまあ――」
ノヴァスは、ちょうど近寄って来た元奴隷たちへ視線を向ける。
今のやり取りを聞いていたのか、男衆も女衆も、複雑な顔をしていた。
彼らの存在に気付いたロイは瞠目し、やがて何かを断ち切るように深く息を吸う。
そして、手負いであることを感じさせない丁寧な所作で、ゆっくりと――彼らに土下座した。
「……弁解の余地もない。絶望に沈むお前たちを見て見ぬふりをして、苦しめた。本当に申し訳なかった」
元奴隷たちが、息を呑む。
「私の立場なら、もっと早くお前たちを助けられたかもしれない。助けられずとも、楽にはできたかもしれない。しかし、私の臆病さ、優柔不断さ……弱さが判断を鈍らせ、結果、私は行動を起こさなかった。許してくれなくていい。当然だ、許されないことをした。ただ、私はこれから……お前たちに償うために生きると、ここに誓おう」
重い沈黙が訪れた。
それはロイの一生の中で、最も長い沈黙だったかもしれない。
しかし男衆の一人が、その重さを取り払うかのように、明るく言った。
「一番の重傷者が何言ってんだ? あんたらのおかげで、俺たちはかすり傷すら負ってない」
頭を下げ、土下座をしたままのロイがぴたりと固まった。
「今だから気づけた」
ぽつりとこぼす元奴隷の男。
「――あんた、俺たちに手を出したこと、なかったよな。ノヴァスさんが来る前から、ずっとだ」
男の言葉に同調してうなずき、微笑みかけてくる者まで現れた。
ロイは、しかし、罪悪で詰まったように声を絞り出す。
「だが……ワーグらに好き放題させていたのは事実だ。それに生活環境も……」
その後悔の言葉に、元女性奴隷たちはやり場のない視線をそらした。
「……まあ、時間のかかる問題も残ってるけどさ。でも、俺は応援するぜ」
元奴隷の男は、まっすぐにそう言った。
ロイが、ゆっくりと、顔をあげた。
彼の青い瞳は驚愕に染まり、夜明けの光が祝福するように照らしていた。
「まずは一歩前進、だな」
と、ノヴァスはロイの肩に手を置いた。
「ああ……!」
ロイは静かに、涙を流す。
「へぇ~、あの仏頂面の人でも泣くんすね!」
キールのあけすけのない茶化しが飛んできた。
「お前……空気読め」
レインズがすかさず突っ込む。
彼らの間抜けなやりとりで、重い空気が払われ、どっと笑いが上がった。
そのままいかに自分が勇敢だったかをキールが主張し、レインズが冷静にダメ出しするという会話が続き、戦いの後の空気を和ませていた。
ノヴァスは彼らの輪から少し離れ、壁に寄りかかってそれを眺めた。
口角が小さく上がっている。
「よかったね」
手当てを一通り終わらせた狐っこがやって来た。
「みんな、大丈夫そうだよ。一番怪我が酷かったのロイさんだったけど、彼の怪我も急所は外れてたから」
「ありがとう。……迷い込んで来ただけの立場で、結局、最後まで付き合ってくれたな」
「お礼なんていいよ。守りたいものが、ここにはあったからね」
夜明けの太陽を見て進み、くるりと振り返ってへへっと笑う少女。
そのまま、ノヴァスの顔をじいっと見て来る。
「ん? どうした?」
「ん~? 綺麗な瞳だなって」
「そうか? なら、好きなだけ見ていい」
事も無げに言うノヴァスに、狐っこは少し照れくさそうに微笑み、気持ちを切り替えるように深呼吸した。
「それよりほら、リーダー。みんなに何か言ってあげたら?」
狐っこにうながされて視線を正面に戻すと、かつて強制労働場という場で絶望していた者たちが分け隔てなく、明るい顔でこちらを見ていた。
その光景に、ノヴァスは胸に熱いものが込みあがるのを感じながらも、彼らの前に立った。
こほんと、一つ咳払い。
言葉を持つみなの目を一人一人見て、宣言する。
「この強制労働場は、もう役目を果たせない。機能不全になった。お前たちの絶望は昨日までで終わり、これからはそれぞれの目標のために歩んでいける。お前たちは――自由だ」
おおおおおおおという元奴隷や元看守たちの歓声が響き、空気を震わせた。
それは、壁の完成を成し遂げた時よりも遥かに大きく、心の喜びを空に知らせるような音だった。
――朝日差す青空の下、長く蔓延っていた絶望が、明けた。
この物語を21話という遠い場所までついて来てくださり、本当にありがとうございました。
今回で強制労働編の大きな戦いに一区切りつき、ここから数話の仲間たちとのひと時の平穏なエピソードを経て、ノヴァスと狐っこの新たな冒険の第二部へ向けて物語は進んでいきます。
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