第20話 空を識る
闇夜の強制労働場。
普段ならば、石を砕く甲高い音と奴隷のうめきが風に乗り、虚空へ溶け、絶望に呑まれる場所。
だが、今宵は違う。
巨大な衝撃波が鳴りやまず、森の木々を震わせている。
石畳の上の小石が、震えている。
青白い光の衣をまとった孤龍が、暗闇の中に青白き銀閃を描きながら舞い、赤熱の巨剣を振るう竜人を圧倒する。
受け止め、弾き、よろめく巨躯を連撃で吹き飛ばす。
「ぐっ、ぬぅ、ああああッ……!」
ノヴァスの拳、蹴りの連舞が敵を撃つ。
そのたびに、青白い閃光が弾け、赤い炎と黒き闇が晴れていく。
衝撃音が鳴るたびに、まるで太陽を呼び起こすように――闇の曇天に明かりが差し込み、夜明けへと近づいていく。
疾く、そして重い連打に、ドラコニルは徐々に対処が遅れていく。
(なんと……美しき姿)
ドラコニルは、眼前の敵をしかと見た。
青白い光の衣を纏い、瞳はただ遠くの空を見るように漫然としている。それでいて、すべてを見通されているようなその紫目は――まるで、神の――。
顔に拳を喰らい、吹き飛ばされたドラコニルは、限界が近づく足を奮い立たせた。
「……貴様は、何だ……?」
ドラコニルが、呆然とつぶやく。
「さあな。それを知りたい。それが、俺の目的の一つだ」
肩をすくめて見せた青き光の若者。
ドラコニルは、すっと目を細めた。
「……生まれはどこだ?」
「気がついたら、師匠の孤児院にいた。そこで鍛えられはしたがな」
「師匠の名は?」
「アイゼン」
ドラコニルは瞠目し、そして夜明けの近い曇り空を仰いで笑った。
「ハーッハッハッハッハッハッ!!! 道理でその強さ! ――アイゼン……先代魔王を倒したと言われている勇者の名ではないか!! 貴様は、その弟子か!!」
今までの疲れがすべて吹き飛んだ勢いで、嬉しそうにドラコニルは笑い飛ばす。
「吾輩は運が良い……」
ドラコニルの目の色が変わった。
これで終わりにしようと、ノヴァスに投げかけるように。
「我が名は、栄えある竜人族の然鱗将が一人、ドラコニル。貴様の名は?」
「……ノヴァス。ただのノヴァスだ」
「ノヴァス。その強さ、敬服するばかりだ!! 我が全力をもって、その遥かな高き壁への挑戦をさせてもらう……!!」
ドラコニルの巨剣が、赤黒い炎に包まれる。
その紅蓮は、夜明けの光を阻む焼け空を思わせた。
「ゆくぞ――火龍の咆剣」
巨大な炎柱が天を突くように舞い上がる。
その鮮烈な光は、灰色の雲を赤く染め上げた。
ノヴァスは、黙って両腕を交差し、上段で真っ向から受け止める姿勢を取る。
「無駄だ! 素手で受けきれる攻撃ではない! だが、避ければ砦ごと消し飛ぶだけ!」
振り下ろされる巨大な炎撃を、青き光の衣で迎え撃った。
闇の中、衝突する青と赤。
巨剣の先から放出される獄熱が、砦の主塔の先を溶かす。
受けられなければ、ノヴァスの背後にいる者は全員、命を失うだろう。
空気の収束するような音の波があたりを呑み込み、その戦いをただ見ることしかできなかった者たちが、後方で祈りを捧げている。
「ノヴァス……!」
ロイが彼の名を呼ぶ。
男衆も続いて彼のために鼓舞を叫んだ。
しかし、狐っこだけは、確信に満ちた顔で静かにつぶやいた。
「大丈夫」
音が、消えた。
次の瞬間。
すべてを浄化し、澄み渡るような青き光が、紅蓮の炎を弾くように上空へ飛ばした。
ぶわりと、それは深紅の雲を消し去り――天を、薄明の紫に染め上げた。
「何ぃッ!!?」
ノヴァスは、右の拳を腰まで深く引き絞った。
青き衣が瞬時に収束され、正拳の周りで荒れ狂う。
もはや身に纏う物など、この男の覇気をさえぎる邪魔な殻でしかない。
全裸の一撃。
「思い切り戦えたのは、久しぶりだ――礼を言う、ドラコニル」
静かなる称賛。
渾身の一撃がドラコニルの腹に入り、衝撃波が森を震わせ、青き閃光が敵将の背中を貫いた。
ドラコニルは膝をつく。
その口の端から、ごふっと血が漏れた。
ドラコニルの視線が、ゆっくりと自分の腹に向けられた。が――穴は空いておらず、その目が驚愕に染まる。
ノヴァスは拳の光を解いた。
再び青き衣をたたえた彼は、静かにドラコニルを見据えた。
「解せぬ力だ……だが見事……殺せ」
「俺は丸腰。あんたを殺す武器がない」
「ククッ……どの口が。情けを掛けられて生き延びるなど、戦士にとっては最大の屈辱だ……やるがいい!!」
ゴオッと、最後の力を振り絞り、ドラコニルが熱波を放ったその時。
「――まったく。あなたが死んだらいろいろと面倒なんですよ。そのつまらないプライド、今は我慢してくださいドラコニル様」
彼の前に、肌の浅黒いエルフの女性と大男のインキュバスが現れた。
「貴様!! 戦士を愚弄するか!!!」
「はいはい、文句は帰ってから聞きますよ。これ以上は、割に合いません」
まるでいつもの面倒事をあしらうかのように、浅黒いエルフの女性は言う。
「そこの素敵な男子ぃ」
と、軽い調子の野太い声が響いた。
大男のインキュバスはノヴァスに向かって手をひょいひょいと振りながら、濃いまつげと赤い瞳をニッコリとさせている。
一見、敵意のない親しみやすさに見えるが、わずかに感じる隠された圧が大男の底知れなさを物語っている。
「私たちはこれでお暇するわ。砦は半壊、奴隷もあなたが解放するんでしょうし、建設も頓挫でしょうね。イイコトもできたし……成果としては十分よ」
イイコト? とノヴァスは首をかしげた。
「あなたもどう?」
「話が見えないが、友好の印なら――」
「だ、ダメだよ! あの人、インキュバスだよ!!」
狐っこが慌てて割って入った。
彼女は四肢を大きく大の字にして、ノヴァスの前に立つ。
「あら、なぁんだ。ちゃんと番がいたのね。残念」
「つ、つがい……」
顔を真っ赤にした狐っこが、大の字から一転、自分の尻尾をぎゅっと抱きしめてうつむいた。
一方でノヴァスは、教科書の記述を読み上げるかのように赤裸々な返答をぶちまけるのだった。
「番? ああ、子を成すためにまぐわう雄と雌の――」
「あー!! あー!! やめて!! わざわざ言わなくていいからぁ!!」
耳を折って塞いで叫ぶ狐っこに、ノヴァスは至極真面目な顔で追撃を重ねた。
「否定してどうする。そうやって人は生きて繋いできた」
「も、もう……この人。正論ですべて通そうとするんだから……」
呆れ果て、赤面したままうなだれる狐っこ。そんな彼女の横で、ノヴァスは昇り始めた朝日に目を細めた。
「まあ、ともかく。そちらが退くというのなら、止めはしない」
「ぬう……このまま退くは戦士の恥……」
ドラコニルが苦虫を噛み潰したようにぼそりと言った。しかし――。
「あら、ドラコ様。言うこと聞かないと、弱ったあなたに付け込んで搾り取るわよ? あなた、私より弱いんだから」
大男のインキュバスはそう言って、黒い口紅を塗った唇に人差し指で触れる。
妖美な笑みは、薄ら寒さを感じさせる。
「ぐぬ……それは、よせ」
「うふふ、かわいい。冗談よ」
「はあ、やむを得んな」
ドラコニルは、ふらつきながらも立ち上がった。
「ノヴァス」
胸に刻むように、その名を呼ぶ。
ドラコニルの爬虫類の鋭い目がこちらをまっすぐに見ていた。
「次に相まみえるとき、吾輩はさらに強くなっているだろう。その時は、我が然鱗が貴様を焼き尽くす」
ノヴァスは彼の宣言を受け、しばし考える様子だった。
そして、まるで友達に向けるような、からかいの混じった不敵な笑みを返した。
「歯車が嚙み合えば、あんたたちとも仲良くできそうな気がするんだがな」
「抜かせ……。――撤退せよ!!」
ふんと鼻で笑ったドラコニルが、身をひるがえし、大勢の部下たちとともに森へ引き上げていった。
長い夜が、明ける。
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