第18話 光を求める者に、夜は等しく明けるだろう
なんと不甲斐なきことか。
これほど呆気ない戦もあったものではない。
敵将ドラコニルは、音の鳴りやんだ戦場を睥睨し、ため息をついた。
焼け焦げた広場に立っている人間族は、もう一人もいない。
勝ち鬨を上げる部下たちと、焼け焦げて地に伏せた黒い塊。
そこには戦の残骸が散らばっているだけだ。
(……本来なら中央戦線へおもむき、勇者や神官の一人や二人、相手にしていたものを。このような下らぬ僻地の森で石の調達などと……!)
ギリッと、竜人の鋭い牙を剝き出しに、やり場のない怒りと羞恥に震える。
その感情の膨らみによって、周囲の温度が急激に上がり、近くにいた兵の鎧が高熱で歪んだ。
「ドラコニル様、抑えてください。他の者が死にます」
冷静な声とともに影が一つ、彼の前に降り立った。
砦の北側に配置されていた、浅黒い肌のエルフ族の副官だ。
「ぬ……」
ドラコニルは彼女の声で我に返る。周囲の空気の熱がさっと引いていき、兵たちから安堵の声が漏れた。
「中の奴隷は、いかがされますか?」
「資源を放っておく理由はあるまい。生きていれば連れ帰って牧場で飼えばよい。光の石を拾うのも忘れるな」
「承りました」
「しかし――なんと、歯ごたえの無きことよ。吾輩が手を出すまでもなかったわ」
ドラコニルは静寂を噛みしめ、ふんっと不満げに鼻を鳴らした。
「さて、お前たち」と次の指示を出そうとしたその時。
大気が弾かれたような轟音が鳴り響く。
砦の中から衝撃波が走ったのだ。
「一体なん――」
ドラコニルが向けた視線とすれ違いざまに、彼の両脇を、二つの巨大な影が爆速で通り過ぎて行った。
ドラコニルは、息を呑んだ。
すぐさま振り返って確認すると、それらの巨影は――白目を剥き、無惨に気絶させられた竜人族の部下たちだった。
「……何が、いる?」
ドラコニルは爬虫類の鋭い目をすっと細め、注視する。
自分が放った技で、東門が溶けてできた大穴。
月明かりを受け、青白くにじむ土煙のなか、一人の黒影が悠然と歩み出た。
浮世離れした空気を纏い、まるで夜の散歩にでも繰り出すかのような不遜な歩み。
それは――黄金の首枷をつけた、腰布一枚の奴隷だった。
◆
「壁の上には、まだ気配があるな。だが――」
土煙の中を通り、外壁広場へ出たノヴァスが静かに言った。
そのまま、月光が降りそそぐ戦場を見渡す。
(……奴隷たちの安全を優先しすぎたか。すまない)
驚愕の表情を浮かべてこちらを見る魔人族軍の兵たち――その足元には、熾火が弾ける木片や瓦礫に混じって、焼け焦げてしまった遺体が複数あった。
大なり小なり、かつて奴隷を迫害していた者たち。
その末路。
それでも、とノヴァスは月を見上げた。
剣を手に息絶えた看守の遺体が脳裏をよぎる。
彼は、奴隷たちと肩を組み、壁の完成を喜んでいた。
(やり直そうとしたやつは、いた……あんまりじゃないか――神様)
派手な衝撃音とともに戦場に現れた腰布一枚のその男は、ただ、寂しげに月を見上げている。
魔人族の兵たちは、彼の異様さにしばらく動けなくなっていたが、はっと我に返り雄たけびを上げた。
「生き残りの劣等種め! 逃げればいいものを!」
魔人族の兵たちが束になって、ノヴァスへ突撃した。
しかし――敵の配置を一瞬で見極めた紫の視線が、銀の夜を走った。
雷光の如く攻撃をかわし、翻弄し、確実に仕留めていく。
銀色の光の尾が敵軍のあいまを縦横無尽に交差し、百はゆうに超えていた魔人族の兵たちは、一人、また一人と、戦場に倒れ伏していく。
――そうして静まり返った戦場。その中央には、ノヴァスだけが悠然と立っていた。
「動き……いや、流れを、読んでいるのか」
ノヴァスの戦いを遠目に見ていたドラコニルが、つぶやく。
視線、動作、魔力、そして意志の流れ。
それらを読む力と――あの驚異的な身体能力と闘気。
まるで、勇者や神の使徒のような、明らかに格の違う存在。
ゾクリと、敵将は震えを感じた。武者震いか、それとも――。
「門の前はあらかた片付いた。頼むぞ、お前たち」
ノヴァスは、後方の皆に声をかけた。
「すごい……」
狐っこが呆然とつぶやく。
防御柵のための資材を運ぶ手が止まっていたのは、彼女だけではない。
そばにいたロイたちも、ノヴァスのあまりの強さに驚愕していた。
「さて」
ノヴァスは、森の奥を探るように見た。
明け空のような紫の目が、敵将を見据える。
「あいつか」
そうつぶやき、宣言するように言った。
「面倒だ――大将と一騎打ちがしたい!」
サァと、一陣の夜風が、月夜照らす森に吹いた。
静寂が訪れる。
すると、闇が支配する森の影から、大地を踏みしめる重い音とともに、巨大な体躯を誇る竜人の将が現れた。その目は、好戦的に嗤っている。
「……よかろう、劣等種の奴隷。貴様は、面白そうだ」
大剣――いや、巨剣を肩に担ぎ上げ、ノヴァスと対峙する。
「ふっ。だが、腰布一枚で丸腰の相手にこの武器は大人げな――」
「いい。そのまま掛かって来い」
ノヴァスはゆっくりと、後屈に構えた。
「……後悔することになるぞ?」
竜人の将も、応えるように大剣を持ち直す。
「さて、どうかな」
にらみ合い。
相手の呼吸を感じ、わずかな取っ掛かりを探り合う。
遠くで、夜の虫が、鈴の音のように鳴いている。
二人の猛者が、同時に嗤う。
――――。
大気が震え、拳と剣の腹がぶつかり合う。その衝突はあたり一体に音の衝撃となって響き、夜の森を震わせた。
敵も味方もみな一様に喉を鳴らし、戦いの行く末を見守っている。
そんななか、一人の影が人目を忍び、腰の引けた足取りで躓きそうになりながら離れていった。影が投げ捨てた剣が乾いた音を立てるが、誰もその存在に気づきはしなかった――。
◆
――ガァン! と、硬い衝撃が広場に響き渡った。
ドラコニルの振りぬいた巨剣が、ノヴァスの右拳によって弾かれたのだ。
これで何度目か。
ドラコニルには、先ほどまでの余裕はない。
その額には、焦燥の汗が流れていた。
対する敵は、腰布一枚で傷はおろか、汚れ一つない。
「……なぜだ! なぜ当たらん、劣等種がぁ!!」
激情に任せた横薙ぎの一閃。
だがノヴァスは、それすらも紙一重でかわし、冷徹な視線でドラコニルを射抜く。
「はあ……はあ……」
じりじりと、呼吸を乱すドラコニルの周りの空気が熱を帯びていた。彼の足元の石畳は高熱でひび割れ、熱波で周囲の景色が陽炎のように揺れている。
だが、その灼熱の中に立つノヴァスだけは、涼風を纏っているかのように凪いでいた。
「腕力や魔力はすごいな。だが、当たらなければ意味がない」
ノヴァスは冷静にそう分析した。
彼の変わらぬ態度に、ドラコニルは言い知れぬ寒気を感じた。
こやつは、どこまでやれるのだ。と。
自分は魔人族の中でも、指折りの実力者だという自負はある。
しかし、その事実をもってして、この劣等種は底が見えない。
渾身の攻撃を繰り出すたび、まるで攻撃の届かない遥か高みから見下ろされているような……。ドラコニルは、そんな錯覚に陥っていた。
「……クククッ。中央戦線など、もはやどうでもよいわ。まさか、このような敵に相まみえるとは」
「何を一人でぶつぶつと」
皮肉げに一人笑う敵将の様子に、ノヴァスは肩をすくめて見せた。
「その強さ。賞賛に値する! 劣等種と呼んだことを詫びよう!」
ドラコニルは、ザン!っと巨剣を地面に突き刺し、突然頭を下げてきた。
彼の意外な行動に、さすがのノヴァスも虚を突かれて瞠目する。
「おい、敵将が簡単に頭なんて下げるな」
「簡単ではない。これは武人としての敬意である。大人しく受け取るがよい」
ドラコニルの行動に、敵兵からどよめきが上がった。
ノヴァスはふむと少々扱いに困った様子を見せ、しかし、悪い気はしなかったので彼の礼儀に応えようとした。
だが、その時――。
静寂を切り裂く矢の雨が、後方で防御柵を築いている仲間たちのもとへ降りそそいだ。
「ッ――お前たち!」
咄嗟にノヴァスは動こうとした。だが、対峙するドラコニルの隙も許さぬ圧力が、彼の初動をわずかに遅らせる。
(……さすがに背は向けられない……!)
飛び上がり、空中で大半の矢を蹴り落とす。しかし、物理的な距離に阻まれた左右の端から、数本の矢が抜けてしまった。
「えいや!」
狐っこの華麗な回し蹴り。
大きな尻尾を遠心力に上手く利用したそれは、美しく流れるような軌跡を描き、打ち漏らした片側の矢を見事止めてくれた。
ノヴァスは彼女の機敏な動きに感謝する。
(……やるじゃないか)
しかし、反対方向へ漏れた矢に対処できる者はいない。
鈍色に光る矢じりが、本来、ワーグが守るべきだった場所を飛び越えていく。
「あの気持ち悪い人どこ!? 危ない!! 避けて!!」
狐っこの悲痛な叫びが上がった。
矢は無情にも資材を運んでいた男衆の一人めがけて飛び――。
「ぐぅッ……!」
ロイが、身を挺してそれをかばった。
彼の胸に、矢が突き刺さる。
「お、お前……どうして……!」
男衆の元奴隷が、驚愕の顔で問う。
「は、はは……今さら遅いかもしれんが……ごほっ」
苦痛に顔を歪めながらも笑うロイの口から、血が漏れた。
「狐っこ!! 手当を!!」
ノヴァスが叫ぶ。
彼女がロイに駆け寄ったのを確認し、ノヴァスはそのまま怒りに任せて矢を放った魔人族の部隊を睨んだ。
「……覚悟は、出来ているんだろうな?」
ぶわりと、世界に叩きつけられたかのような殺気が、敵軍全体を覆い、凍りつかせる。
しかし一方で、ドラコニルは顔をうつ向かせたまま、ゆらりと味方側へ振り返った。
ノヴァスからの重圧と、無言のドラコニル。
二つの強者からの覇気に満たされた沈黙が続き、ふいにドラコニルは巨剣を大きく振り上げた。
そして、刀身に炎を纏わせ――矢を放った隊へ向けて振り下ろす。
「ドラコニルさ――」
すべて言い終わる前に、彼らは灼熱の中へ消えた。
「……うちの者が」
彼もまた怒りをこらえて、ノヴァスに向き直る。
「一騎打ちに水を差したことについて謝罪しよう。生き残っていれば、あとで厳しく教育しておく」
ノヴァスはその行動によって、何とか、爆発しそうだった殺意の矛先を収めた。
ドラコニルも、汚された誇りに怒っている。その事実だけが、今のノヴァスを暴走から覇王としての矜持へと繋ぎ止めていた。
「……謝罪は受け取ろう」
深く、深く、息を吸う。
ノヴァスはロイの容態を背中に感じながら、ゆっくりと構えを解き、自然体になった。
「だが、終わりだ」
ノヴァスの雰囲気が先ほどまでと変わったことで、ドラコニルの額に冷や汗が垂れる。
怒りではない。
殺意でもない。
暴力的な気配は感じないのにも関わらず、こちらを畏怖で支配してくる。
光のように、揺るぎない意思。
「……一つ、分からないことがある」
ドラコニルが口を開いた。
「許す。言ってみろ」
まるで臣下の発言を許すかのように、覇王が言う。
「矢を受けたあやつ……その風貌から、お前たち奴隷を虐げていた側の者だろう。なぜ庇い立てする」
「――光を求める者に、夜は等しく明けるだろう」
かつて師匠から教えられた一節。
師匠自身も伝え聞いた一節だと言う。
誰の発言かはわからない。しかし、一度耳にしたら忘れないその言葉を、ノヴァスは紡いだ。
「……何だと?」
「もうすぐ、夜が明ける。俺はそれを後押しするだけだ」
気づけば月光は雲にさえぎられ、闇の中、世界の端からうっすらと明かりが滲んでいる。
「……今から見せる技は、いざって時にしか使わない。使った後……いや、これはいいか。お前の実力なら、打ち合えるかもな」
ノヴァスは、誰かに手を差し伸べるかのように、左手を前に出した。
――『お前の力は化け物じみたその身体能力だけじゃない。ノヴァス、心のうちに目を向けてみろ。私が表層をすくい上げてやる』
師匠の言葉が木霊する。
「黎明の型――空識」
差し伸ばされた左手から、青白き光焔が目覚めた。
その青き光は、楔を青銀の刀に見立てて石を切り出したあの時よりも、激しく、大きく、溢れんばかりにノヴァスの身体を覆う。
粗末な腰布は青き衣の中に燃え尽き、塗り替えられ、王の装束へと形を成していく――左肩から腕、そして半身まで覆うように流れる青白き光焔は、さながら神代の存在が纏いしグレートキルトのようだった。
襟足で低く結わえた漆黒の髪が、光を浴びて流れ、紫の瞳とともに青を帯びる。
光焔の奔流が揺らめくたび、ドラコニルが放っていた熱波が霧散し、焼けついた戦場を照らし直していく。
「――さあ、やろうか」
夜明けをもたらす全裸の覇王が、笑った。
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