第17話 名前を得て、人と成る
――そして現在。
ノヴァスたちは主塔の階段を駆け下り、歩廊を目指していた。
「戦況は?」
看守長が冷静に問う。
しかし、執務室で味わった轟音と振動を思い出したのか顔色は優れない。
「すでに戦闘は始まってるっす! 東門はなくなって――と、とにかく、外へ行くっす!!」
ブロンド髪の若い看守の慌てぶりからも、状況は良くないのが見て取れた。
四人の足が速まる。
もどかしい段差を飛ばして下り、壁上の歩廊へ続く踊り場の扉をノヴァスが蹴り開けた。
ゴウッというなだれ込むような熱波とともに、血と肉の焼け焦げた臭いが鼻をつく。
剣がぶつかり合う甲高い音が鳴り響き、時折、ぐしゃりという生々しい音も聞こえてきた。
ノヴァスたちはすぐさま、戦場と化している外壁前の広場を見下ろす――。
「……魔人族」
隣から、妖狐の少女のつぶやきが聞こえた。
「あまり良くない戦況だな」
ノヴァスは歩廊に落ちていた石ころをいくつか拾い上げ、眼下を狙い定めて――それを投げた。
空を切る礫が一瞬で、今まさに砦に入り込もうとしていた五人の敵兵を打ち倒す。
「……あいつのおかげで前線をギリギリ保てているといったところか」
石ころで応戦しつつ、視線を歩廊の奥へ向ける。
怜悧な青髪の先輩看守が指揮をとりながら、一人だけレベルの違う巧みな水魔法で降りそそぐ矢や魔法を防ぎ、広場の味方を援護している姿があった。
そのおかげで、今にも突破されそうな戦況を何とか抑え込んでいる。
「――よくやった、レインズ。全体指揮は私が引き継ぐ」
看守長がレインズと呼ばれた青髪の先輩看守に声を掛けながら、炎魔法を無詠唱する。
素早く放った彼の爆炎が、入口近くにいた敵兵を吹き飛ばした。
(へぇ、やるな)
ノヴァスは看守長とレインズの魔法の練度に感心した。
こんな僻地で看守をやらされているにしては、戦い慣れている。
(それに――)
狐っこはいつの間にか、歩廊で倒れている看守たちの手当をしていた。
一体どこから取り出したのか、薬の入った小瓶や包帯を手慣れたように扱っている。
(……鞄なんて、持ってなかったはず)
狐っこを見ながらも、ノヴァスはぴん! っと指先で石を弾き、また一人敵を打ち抜いた。
「ところで、ワーグはどこだ?」
看守長がレインズに訊いた。
「あいつは尻尾巻いて逃げました」
「……チッ。上からの圧力で役職を与えていたが、やはり義務すら全うできないか」
「どうしますか、隊長」
「……その呼び方はやめろ」
「申し訳ありません、つい」
まるで歴戦の友のように、二人は魔法を繰り出しながら会話する。
「私は広場へ行く。お前は引き続き、ここから魔法での援護を――キール、頼りにしているぞ」
看守長は最後に若い看守を力強く鼓舞した。
彼は大盾を持ち、レインズを狙う攻撃を防いでいるようだった。
「っす! まだ死にたくないので頑張るっすよ!」
レインズはやれやれと呆れて笑いながら、明け透けのない後輩を横目で見た。
彼らの方針が固まったのを見計らい、ノヴァスが口を開いた。
「俺は中庭のみんなの様子を見て来る。狐っこ、お前も来てくれ。下でも救護の手が必要になるはずだ」
下の戦場に比べたらここは怪我人が少ない。対応をすでに大方終わらせていた少女は、ノヴァスの指示に黙ってうなずき返した。
「……ならば、これを持っていけ。その一本ですべて外せる」
看守長は懐から銀のカギを取り出し、投げ渡してきた。
それを受け取り、ノヴァスはふっと微笑む。
「死ぬなよ」
「善処する」
すれ違いざまにノヴァスは言い、看守長も皮肉げに笑う。
初日のいがみ合いの残影など、もはやなかった。
「『炎よ、宿れ』」
看守長の剣が豪炎を纏う。
彼はそのまま勢いよく飛び、広場に向かって挨拶代わりの炎の斬撃を繰り出しながら降りて行った。
「よし。じゃあ狐っこ、俺たちも行こうか」
「えっ? わっ! ちょ、ちょっと! 行こうかって何を――」
ノヴァスは準備を整えて控えていた妖狐の少女を、躊躇なくお姫様抱っこする。
「ちょ、ちょっと!! な、なに!?」
耳をぴんと立て、尻尾はなぜか揺れていたが、少女は焦り散らして叫ぶ。
しかし、意図がつかめなかった表情から一転。
ノヴァスが中庭側の手すりに向かってずんずんと歩を進めるにつれ、狐っこの唇はあわあわと恐怖に慄いていく。
「え? えっ? ま、まって!! わたし実は高いところから降りるのはニガテでねぇ話聞いて――ッ!!」
トンッ! っと軽やかな蹴り音が響き、満月に二人の影が重なった。
「いやああああああああああッ――!!」
戦場に似合わない、華やかな悲鳴があたりに響いたのだった。
◆
「……し、死ぬかと、思った」
地面に両手をつき、大きな尻尾をしゅんと下げ、狐っこは震えた声を漏らした。
「大げさな。せいぜい四階の高さだ。それに、登って来たんだろ? あの壁」
「う、上に向かうのと下に落ちるのじゃ、全然怖さが違うもん!」
二人がじゃれ合っていると、騒ぎを聞きつけた奴隷たちが収容舎から出てきていた。
「ノヴァスさん! 一体、何があったのでしょうか……?」
跡形もなく溶けた東門を見て、老人奴隷は努めて冷静に言った。
「魔人族の襲撃だ」
奴隷たちが顔を青ざめさせ、ざわついた。
ちょうど狐っこが「ノヴァスっていうんだ……」とつぶやき、注目を集めてしまう。
彼女の容姿を認識した奴隷たちは、そのせいでさらに狼狽えてしまった。
「そ、その娘、妖狐族では!?」
奴隷の一人が後ずさった。
急に恐怖の的となった狐っこは、びくりとしながらノヴァスの影に隠れてしまう。
なぜか、美しい赤紫の瞳を見えないように手で隠し、顔を伏せていた。
「彼女は敵じゃない。味方だ。……狐っこ? どうした」
心ここにあらずといった様子の少女を、ノヴァスは訝しむ。
「あ、ううん! 大丈夫! 何でもないよ! それより、ほら、アレ使ってあげたら?」
少女の提案にノヴァスはうなずく。
奴隷たちは「アレ?」と不思議そうにしていた。
しかし、ノヴァスが持っていたカギで老人奴隷の首枷をあっさり外してしまったことで、大きなどよめきが上がる。
「お、おお……! おおっ……!」
老人奴隷は、長年付き合って来た首の重みに別れを告げるように喉元に触れる。
そして、万感の思いとともに、慇懃な所作で優雅な礼を返してきた。
「……グウェンと、申します。この御恩は一生忘れません」
ノヴァスは「生き抜いたのはあなたの力です」と優しい笑みを返した。
それから他の奴隷たち一人一人の顔を見る。
「看守長が解放を許可した!」
そう宣言し、月光に輝く銀のカギを高らかに掲げた。
おおおおおお!!! という奴隷たちの魂の震えがあたりを満たす。
「それと――」
グウェンにカギを渡しながら、ノヴァスは言った。
「すぐにでもここから逃げたいだろうが、今はやめておけ。収容舎の中に隠れていてくれ。そこが一番安全だ」
みな一様にうなずき、彼の指示に従うなか「ノヴァスさんは?」とピンクブロンド髪の女性奴隷が不安げに聞いてきた。
「ちょっと挨拶に」
まるで散歩にでも行くかのような軽さで、不敵に笑いながら親指でくいっと外壁広場の方向を示す。
「心配いらない。君も早く中へ」
彼女は、少し迷ったあと「怪我に気をつけて」と言って収容舎に隠れた。
全員が隠れたのを確認したノヴァスは、隣で見守るように微笑んでいた狐っこに声をかけた。
「……いいのか? 狐っこ。お前はここへの義理もない。本来なら命を懸けるべきじゃない状況だ。逃げていい」
ノヴァスのその言葉に、心外だと言わんばかりに目を見開いてから、少女はジト目を向けてきた。
「それ、今さら聞くのー? こんなの、見過ごせるわけないよ」
覚悟を決めた顔で前へ歩み、少女は言う。
そしてくるりと振り返ってこちらを向くと、屈託のない笑顔を向けてきた。
「……でも、へへっ、みんなの目がなくなってからそう言ってくれるのは――相変わらず優しいね」
しばし、明け空のようなノヴァスの瞳と、赤紫の少女の瞳の視線が交わる。
ノヴァスは彼女の覚悟を受け取ってふっと小さく微笑んだ。
「ありがとう。頼りにしてる」
彼のまっすぐな言葉に、妖狐の少女は耳をぴくぴくっとさせながら「うん!」と元気よくうなずいたのだった。
「さて、行こうか」
二人が並び立ち、戦場を見据えたそのとき――。
爆発音が響き「ぐあああっ!!」という悲鳴とともに、満身創痍の看守長が飛ばされて来た。
「ひゃっはははははは!! 一番乗りぃ!!」
煙の中から右手に棍棒を持った竜人が一人現れた。
彼の左手には、こと切れた看守が一人、鷲掴みにされている。
「あ? 一番は俺だ!」
次いで大斧を持った荒っぽい声の竜人が張り合う。
「お、いるいる、いるじゃねぇか劣等種が。……思ってたより少ねぇな」
「どうせビビって建物の中に引っ込んでる。それと、殺すなよ? 連れ帰って牧場に放すってドラコニル様の命令だ」
「わーってるよ。そうだ、そいつにトドメ刺さねぇと。他の雑魚と違って、なかなかやる奴だったぜ。まさか俺の鱗に傷をつけるとはな」
倒れこんだ看守長に向かって、棍棒を持った竜人がニヤリを笑う。
「う……く、くそっ……ごほっ、ごほっ」
「生きてたな」
ノヴァスが彼のそばにやって来て、声をかける。
「……か、枷は……ぐっ……外して、やれたか?」
「ああ、問題ない。少し休め」
「銀髪の人、ちょっとしみるよ」
「ぐぅっ……すまん」
狐っこが看守長の手当てを始めたのを見て、ノヴァスは前を向いた。
見上げるような体躯を持つ、無骨な双竜たちが月光を背負い、ギロリとこちらを睨んでいる。
「ああ? なんだお前、腰に布巻いただけって……いくら奴隷でもそりゃあねぇだろ。なっははははは!」
「運がなかったなぁ、劣等種の奴隷。見逃してやりたいところだが、劣等種にはそんな義理もねぇ」
まるで勝つことが当たり前のように、緊張感のない会話をする二人の竜人。
ゴミを捨てるように、鷲掴みで持っていた看守の遺体を地面に捨てた。
看守の手から離れた剣が、音を立てて地面に倒れる。
ノヴァスはその看守と、打ち捨てられた剣をじっと見た。
名前は知らない。だが、壁ができた際に奴隷と喜んでいた者の一人。
右拳に力を入れ、竜人越しに奥の戦場の様子を確認する。
すでに戦場からの音は止み、燃え盛る炎と煙だけが見えた。
「……急ぐか」
静かにつぶやく。
「おい、こいつ俺らにビビってねぇぞ」
「無理もないだろ? 劣等種の奴隷が竜人の恐ろしさを知ってるわけ――がッ!」
突如、棍棒を持っていた竜人がその巨体を吹き飛ばされ、門の入口まで飛んで行った。綺麗な放物線を描いている。
「――は? ……て、てめぇ! 一体、何もがッ!」
大斧を持った竜人も、最後まで言わせてもらえなかった。疾風のように繰り出された右拳を顔面に受け、軽々と吹き飛び、気絶している相棒の上に重なり落ちてしまう。
巨体の振動があたりに鳴り響いた。
「悪いな。ここで問答する気はない」
「やはり、強い……竜人たちを一撃」
看守長が手当てを受けながら驚愕する。
「さて、面倒だが……こいつらは敵さんに返しに行くか」
ノヴァスは気絶した竜人を二人、こともなげに尻尾を掴み、軽々と引きずって行こうとした。――そのとき、砦の物陰からシュバッと這い出てきた影が、彼の足に縋り付く。
「お、おお、俺様を助けろ!! 裸野郎!!!」
ワーグだった。
ノヴァスは、無表情のまま、足元のそれを見た。
戦うことも忘れ、半べそをかきながら、誇りなどかなぐり捨てた、弱々しい醜態の塊。
それから視線を後方へ。
こと切れた看守の遺体を見やる。
ノヴァスは、大きく息を吸った。
おもむろにワーグの手をとって立たせると、ワーグの目は汚いながらも希望の光に満ちていく。
しかし――ノヴァスは無言で、こと切れた看守が手にしていた剣を拾い上げ、それをワーグの手に握らせた。
その上から自分の大きな手でギュッと包み込む。
逃げ場を塞ぐようなその力強さに、ワーグは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
欲を見透かす紫の瞳が、ワーグを射抜く。
「お前も、義務を果たせ。一人逃げることは許さない」
そう言って、ワーグの背中をとんと押してやる。
戦場へついて来い。そう命令するように。
「――真の王なら、己の運命を自分で変えて見せろ」
初日に見た覇王の幻影を前に、ワーグの顔面がみるみる蒼白になって行く。
「ノヴァスさん、俺たちも戦うぞ」
さらに、収容舎から抜け出してきた元奴隷の男たちの登場によって、ワーグの逃げ場は完全になくなった。
「俺たちはもともと兵士だった。力になれるはずだ」
決意に満ちた男衆の姿を見て、ワーグに向いていたノヴァスの冷徹な表情が氷解し、穏やかなものへと変わる。
「よく来てくれた。だが、せっかく助かる機会を無駄にするな。弱りきっているお前たちを戦わせる気はないよ」
「し、しかし!」
「代わりに私が……! 私も、まだ戦える……!」
手当てを終えた看守長が、剣を地面に突き立てて立ち上がり、言った。
男衆たちから複雑そうな視線を投げかけられた看守長は、自嘲するようにふっと笑う。
「お、俺たちもなにかしたい! こいつらに任せっきりで、ただ見てるだけなのは耐えられない!」
引き下がる様子のない男衆たちをしばし見つめる。
彼らの顔には、失っていた誇りが蘇りつつある。
(……だが、あともう一歩足りないか)
ノヴァスは瞬時に判断した。
「なら、お前たちは防御柵を築いて、敵の侵入を防いでくれ――狐っこと、ワーグ」
ワーグは、名指しにギクリと肩を跳ねさせた。
「それから――」
看守長を見たノヴァスの言葉が、一瞬止まる。
「私の名は……ロイだ。ロイ・アークワルド」
ロイの名乗りに応え、力強くうなずく。
「ロイ。お前たち三人は俺と広場へ出て、門の前で守りに徹してくれ。防御柵を作る彼らを、攻撃から守る必要がある」
ノヴァスは、あらためて全員に向けて言った。
「この戦いが終われば、お前たちの絶望はなくなるだろう」
その言葉は、もはや奴隷のそれではない。この場にいるすべての魂を従える、覇王の宣告だった。
「――さあ、開戦だ」
ご読了ありがとうございます!
ついに第一部クライマックスへ突入!
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