第16話 魔人族襲来
時は少し戻り、時刻は深夜過ぎ。
ノヴァスたちが執務室へ連れて行かれ、少し経った後。
主塔とつながる壁の上の歩廊で、ブロンド髪の若い看守が大きなあくびをしていた。
「ふわぁあ、あ……。あー、夜番だるいっすねー、先輩」
「そうだな」
「暇っすー。意味あるんすか、この警備。禁域の森っすよ、誰も来やしないっす」
若い看守はだるそうに瞬きをしながら、右手に持っていたランタンを高くかかげ、眼下に広がる暗い森の入口を照らそうとしてみた。しかし、焼け石に水だ。
月光で淡く浮かび上がる樹冠の緑こそ美しいものの、その奥にひしめく暗闇は、こちらを狙い定める獣の目のような迫力があった。
「うへぇ……」
呻いてから、若い看守は南へ視線を向けた。
「そして南には禁域の海っす。こんな僻地、敵も来ないんじゃないっすか」
「森は警戒するに越したことはない。魔人族ならば、エルフ族の支配する森の奥地を越えて攻めてくる手段もあるだろう。現に今日、侵入者がいた」
「あ~、そういや、あの可愛い妖狐族の女の子どうなったんすかね。例の奴隷と一緒に看守長に連れていかれてたっすけど。いいなぁ、俺もお近づきになりたいっす」
怜悧な青髪の先輩看守が、意外そうに若い看守を見た。
「ん? なんすか? 顔になんかついてます?」
「……あの娘は魔人族、あるいは狭間の民だ。お前はそういうの気にしないんだなと思ってな」
「火の国の暴力的なガサツ女貴族に比べたら、狭間だろうが魔人だろうが天使じゃないっすか」
彼は、はんっと鼻で笑い、肩をすくめた。
「……何やら個人的な恨みが籠ってそうだが、しかしあれだな、お前のようなやつが増えたら……世界はもっと単純になるんだろう」
「それ、褒めてないっすよね」
「いいや、半分は褒めてるぞ」
「半分じゃないっすか! よっと」
若い看守は手すりにランタンを置くと、近くにあった樽の上に座る。
小休止するようだ。
「ところで先輩、狭間の民ってなんすかね」
「お前……それはさすがに」
先輩看守はランタンの芯を調節してから、何か言いたげな様子で若い看守を見た。
「いやあ、はは、大昔に悪いことした連中の子孫ってのはわかるんすよ。ただ、見た目は魔人族とそう変わらないじゃないっすか。暇つぶしついでに教えてくださいよ」
先輩看守は「やれやれ……」と一息つき、手すりに背中を預けて夜空を仰ぎ見た。
「……世間的には狭間人。差別的な表現を避けるなら、狭間の民と呼ぶ。彼らはこの狭間の領域を故郷とする者たちのことだ。正式な国に属さず、それぞれのコミュニティでひっそり暮らしていて、みな外見に亜人の特徴を持つ。一方で魔人族たちは外見の特徴こそ似ているが、彼らは自分たちの領域に国を持ち、人間族を敵視していて好戦的だ」
そこでいったん話を止め、彼は若い看守をちらりと見た。
こめかみに人差し指を当て、うーんと考えを整理している。
少し時間を置いてから、彼は再び続きを口にした。
「それから――両者ともに神の加護はない」
「それ、何でなんすか」
「人間族は、成人すれば神々から加護輝石をいただくが、彼らにはそれがない。神々の加護から見放された者たち。気が遠くなるような大昔の話だが、悪しき神とともに世界を滅ぼそうとしたとも言われている。狭間の民や魔人族は、その末裔だ」
「へぇ~。あの妖狐族の女の子は狭間の民っすかね?」
「妖狐族はそのへんあいまいだ」
「そうなんすか?」
「ああ、狭間の民とも言えるが、今は魔人族ともいえる」
「んー? よくわからんっす」
「十年前に狭間の領域で起こった戦争――〈黄昏の戦い〉に関係する。これを話すとちょっとした歴史の授業になるが、聞くか?」
「あ、それはパスっす!」
即答だった。
「やれやれ……調子のいいやつめ」
「なんか、狭間の民ってかわいそうっすね」
「どうしてそう思う」
「人間族と魔人族のあいだに挟まれて、行き場がないから紛争地帯でこっそり暮らしてるんすよね」
「まあ、そうなるな」
「行き場がないから狭間の領域に追いやられたって、ここに配属された俺や先輩と同じじゃないっすか」
怜悧な顔の先輩看守は、一瞬目を見張り、しかしすぐにクククッと静かに笑う。
「お前の場合はいろいろサボりすぎて流れに身を任せた結果、ここまで落ちてきたの間違いだろう」
「あ、ひでぇっす!」
「……でもまあ、平の看守として適当にサボっていればいい俺やお前はまだマシだ。隊長……看守長に比べたらな」
「苦労人っすよねぇ」
ふうと、二人でため息をつき、少ししんみりとしていた時だった。
主塔のほうから、いつも通り酷くイラ立った様子の現場主任がやって来たのだ。
「げっ……」
「……現場主任、夜番にいらっしゃるとは珍しいですね」
先輩看守が挨拶をすると、ワーグはぎろりと血走った目を向けてきた。
「黙りやがれ。俺ぁいま虫の居所がわりぃんだ。話しかけるな」
「わ、ワーグさん、あとで女を数人捕まえて楽しみましょうよ、ね?」
一緒にいた取り巻きの一人が取り繕うように言う。
しかし、それは今の彼にとっての地雷だったようだ。
「馬鹿がッ!!」
「ぐえっ!!」
バキッと、思い切り殴られた取り巻きがその場に倒れる。
「だからそれができねぇって話だろうが!!! 今日はついに上玉にありつけると思ったのに……またあの裸野郎に邪魔された!!! ああああっ! イライラするぜぇ!! クソが!!!」
ダンッ! と近くにあった木箱を蹴りつける。
そんな精神が子どものまま成長してしまったようなワーグの姿を見て、若い看守がぼそっと言った。
「――脳みそ、下半身についてるんすかね」
「ば、馬鹿ッ、お前!」
先輩看守はあちゃーと手を顔に当てる。本人に、確実に聞こえる距離だ。
「……あぁ?」
ゆらりと、怒りの矛先が若い看守へ向いた。
「……そこのてめぇ、いまなんつった?」
「あ、やばいっす」
若い看守はひやりと焦る。
むき出しの血走った目でこちらをにらむワーグを見て、まるでゴゴゴゴゴという轟音のような圧を――。
「……あれ? この音、本当に鳴ってないっすか?」
ゴゴゴゴゴという轟音と振動。
そして、焦げ臭い匂いがした。
「――森だ!」
先輩看守が叫ぶ。
大量の足音とともに、森から闇が這い出るように、黒い影がにじみ出て来る。
黒い影の先頭では松明が焚かれ、それはぽつぽつと、徐々にあたりに広がるように点灯していく。
若い看守が焦ったように樽から飛び降り、その際に手が引っ掛かり、ランタンが砦の下に落ちてしまう。
ガシャン――。
割れたランタンの音が合図であったかのように、森から這い出てきた黒い影の先頭が、月光で照らされた。
肌に鱗を持つ竜人。
浅黒い肌のエルフ。
背中から悪魔のような羽が生えた者もいる。
ワーグたちを含め、見張りをしていた全員がその光景に凍りつく。
そして、震える声で若い看守が言った。
「さ、さっき先輩の話で勉強しておいて良かったっす……あ、あれが魔人族っすよね。に、賑やかな見た目してるっすね」
「言ってる場合か!! 敵襲!!! 敵襲ーーーーー!!!」と
警鐘まで素早く走った先輩看守は、力の限り鐘を鳴らし、砦の危機を知らせるのだった。
◆
「敵襲!!! 敵襲ーーーーー!!!」という声とともに、砦から警鐘が鳴らされた。
敵のその慌てぶりに、禁域の森の入口から砦を見ていた竜人族の将は、深紅の鱗で覆われた口元をニヤリとさせ、おぞましい牙を見せた。
「やはり建設中の砦のようです」
浅黒い肌のエルフ族の女性が彼の前にひざまずき、事務的に報告する。
「うふっ、こんな場所で目立つ煙を上げ続けるなんて、禁域の森だからと平和ボケしていたのかしら。相当なお馬鹿さんがいるようね」
横合いから、野太い声が聞こえた。
女性らしいしなりのある立ち姿の彼は、エルダーインキュバスの大男。
「当然落としに行くんでしょう? ドラコニル様?」
エルフ族の彼女も、この大男も、ドラコニルと呼ばれた赤き竜人の副官のようだった。
「ああ」
「では、防壁のない北側から兵を――」
エルフ族の副官を、赤き鱗の手が制した。
それからドラコニルは、人の丈の二倍はある体躯を動かし、さらにその一回りは大きい大剣を肩に担ぐように上げた。
「わざわざ大勢で回り込む必要もない。先陣は吾輩が切ろうぞ」
彼はあたりに響くような重低音で言うと、漆黒の大剣を構えた。
月光を浴びて黒濡れになった巨大な刀身に、業炎がまとわりつく。
突如、暗闇に包まれていた森が、灼熱の光でその姿を暴かれる。
大剣の輪郭は、高熱で蜃気楼のように揺れ、乱れた空気は落ち葉を巻き上げた。
――ズンッ。
という重い踏み込みの振動とともに、竜人族の将は巨大な炎剣を振り抜く。
刀身から放たれた巨大な火炎弾は、轟音を響かせながらその巨大な質量をもって砦の東門に命中し――石を溶かした。
砦の東門は跡形もなく蒸発し、風通しのいい大穴となった。
その結果に満足した竜人族の将は、側近の二人に指示を出す。
「お前たち二人は、砦の北と西で待機せよ。逃げようとして出て来る劣等種を捕らえるのだ」
「御意に」
そう短く告げ、浅黒いエルフの女とオカマのインキュバスは瞬時に姿を消した。
竜人族の将は、低く大気を揺らすような重低音で宣告した。
「――さあ、者ども。劣等種の畜生どもを蹂躙し、恐怖を植えつけよ」
声を張り上げたわけでもない。
しかしその命令は、辺りを支配するように鼓舞し、確かに響き渡ったのだった。
◆
「な、なな、なんすか……さっきの攻撃」
暗闇の中から突如あらわれた豪炎によって、東の門が焼き払われた。
ちょうど門の真上にいた不運な看守の姿はすでになく、近くにいた者でさえ、余波を受けて消し炭になっていた。
「……先輩、これやばいっすね」
「……ここを守るのが俺たちの責務だ。生き残れたら儲けものと思うくらいでいろ」
「あーあ、俺には夢があったんすけどねぇ」
「俺もだよ」
二人は互いに死を覚悟しつつ、理不尽な運命へのやり場のない怒りを抑え込んだ。
そして先輩看守は、この場で最も位の高い男へ声をかけた。
「現場主任、臨時の指揮を。どうにかして、魔人族の手からここを守らねば――」
「お、俺様は!」
冷や汗をかき、半笑いを浮かべた現場主任は、先輩看守の言葉を遮るように叫んだ。
先輩看守は顔をしかめ、彼の様子をいぶかしんだ。
――キィン! キィン!
門の下の外壁広場から金属がぶつかり合う音と叫び声が聞こえてきた。
一階にいた看守たちが応戦し、戦闘が始まったのだ。
ワーグは手すりに手を添え、蹂躙されていく眼下の看守たちを盗み見た。
そして――。
「おお、俺様は、看守長に事の次第を伝える必要が、ある!」
腰に両手を当て、わざとらしい口調でそう宣言した。
「は? いえ、それはこの若手に任せて我々も応戦を――」
「だ、黙れ! この場の指揮はお前に任せた!! 俺様が戻ってくるまで、もちこたえろ!!! これは命令だ!!!」
そう言い捨てたワーグは、一度も顔を合わせようとせず、もつれる足取りで転がるように駆け出した。主塔の中へ駆け込むその背中は、炎に照らされて酷く小さく、醜く見えた。
上司から直々に華麗なる敵前逃亡を披露された先輩看守は、ただ呆気に取られていた。
「先輩みたいに真面目ないい人は早死にする世界っす」
ぼそり、と若い看守が言った。
「こんな時まで生意気な後輩め……減らず口を叩いてる暇があったら看守長に知らせて来るんだ」
「えっ? ワーグのクソ野郎が走っていったじゃないっすか」
「アレが任務を全うしに行った姿に見えるか?」
「確かにっす」
若い看守はうなずくと――助けを呼びに主塔へ駆け込んでいった。
「……あの奴隷の力を、借りなきゃダメかもな」
先輩看守は自嘲気味に笑い、血の匂いが混じり始めた夜風を深く吸い込んだ。
もはや、平の看守の一人というお気楽な位置に収まっていられる状況ではなくなっていた――。
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