第14話 月夜の変態
一人で落ち着いて水浴びができるし、ワーグの汚いよだれも洗える。
気絶したワーグたちを届けた後、ノヴァスは月光を眺めながら中庭にやって来た。
新しく作った水浴び用の水場は、監視の都合上、ほとんど仕切りがない。
最近は労働が終了した後に身を清めることを許されているが、男女の区切りなどないに等しいため、女性の奴隷にとってはとても気まずい造りになっている。
男の奴隷たちが着衣のままさっと水をかぶって収容舎へ向かい、その後、周囲の目を気にしながら女性奴隷たちが使うというのが最近の日常だった。
女性奴隷が水浴びしてるあいだ、高確率でワーグのような連中が近づいてくるため、ノヴァスはその護衛をしなければならない。
最近になって、ノヴァスに完全に気を許した彼女たちは、「一緒に水浴びしましょうよ」と強く誘って来ることが多くなった。その誘惑は、日に日に大胆になっている。
正直、ノヴァスとしてはその距離感に少し面倒くささを感じてしまうのだ。
だからこそ彼は、誘われるたびに真っ向から丁重に断り、男たちと一緒にさっさと身体を清めた後は護衛に徹していた。
そして今こそ――落ち着いた環境のなか、さらにいえば、この美しい月明りの下で解放感に満たされながら身を清められる――そう思って水浴びを堪能していた時だった。
主塔への入口付近の空気の流れが乱れ、妙な気配を感じたのだ。
目を凝らすと、かすかに地面の砂に薄い足跡が生まれ、遠慮のないざっざっざという足音が鳴った。
「そこにいるのは誰だ」
ノヴァスは、誰もいないはずの空間に向かって問う。
しかし彼は、そこに何かがいると確信していた。
自然と――愛刀を下げた左腰に手を伸ばそうとして、しかし、失われてしまったことを思い出したノヴァスは、寂しげな笑みを浮かべる。
しかしその寂しさは、秒で吹き払われることとなる。
「っぷぁあ!!」
突如、焦りと羞恥の混じったような、変な音がなった。
次の瞬間、誰もいないはずの空間に黒い外套で姿を隠した少女の姿が浮かび上がる。
彼女のほおは真っ赤に染まり、ふうっ! ふうーっ! と、何やら興奮したように呼吸を荒くしてこちらを凝視しているようだった。
ショックで動けないのか、足が地面に縫い付けられたように微動だにしない。
やがて少女の赤紫の瞳はちらちらと空を泳ぎ、さまよう。
ノヴァスはしばらくその様子を観察し、合点がいったようにうなずいた。
「――のぞきの変態か」
「ち、ちがっ!! 違うもん!!! あああ、あなたこそ!! なななな、なんでっ!! なんで何も着てないの!!! ま、まえっ!! 前を隠してっ!!!!」
焦り散らして、正体不明の少女は正論をぶつけた。
ノヴァスはふと考え込む。前を隠す気はあまりないようだが、幸いにも神聖な月明かりの逆光が彼を助け、尊厳は守られている。
「そのうち侵入者か襲撃か、いずれにせよ何かあると思っていたが」
前は隠さず、あくまでも冷静に分析するノヴァス。
「少し予想と違ったな……」
悠長に一人ごちる彼に我慢の限界が来たのか、黒フードの少女はのしのしと、怒りとも羞恥とも取れる感情で大地を踏みしめノヴァスに近づいてくる。
そしてバサリと着ていた外套を脱ぎ――少女の外見が露わになった。
大きな二つの両耳がぴんと立ち上り、腰まで伸びた深栗色のしなやかな跳ねっ毛がふわりと舞う。
黄白色のヒガンバナのかんざしが月光を受けて淡く光り、絹のように白く柔らかそうな頬はほんのりと紅潮していて、桃色の唇は羞恥心から固く結ばれ震えている。
長いまつ毛で縁取られた赤紫の瞳はそらされていたが、かえってそれが、少女の奥ゆかしさを表していた。
彼女が身にまとう純白の浄衣は、動きやすいように肩口から袖山にかけてが大胆に裁断され、月光をはじく柔らかな双肩と二の腕を露わにしている。その切り口を縁どる青紫の刺繍は、夜の闇に沈むことなく鮮やかに浮き上がっていた。
純白の浄衣を盛り上げる豊かな胸の下では、黒く大きな帯がコルセットのように結ばれ、その上から二重に巻かれた冒険者風の細い革ベルトも、青紫の水引の装飾も、実に風流だった。
前身頃が風をはらんで揺れ、黒地のショートパンツやオーバーニーソックスが垣間見える。
上品な紫ひもを通した革の編み上げブーツもまた、妖狐族の文化とは異なったロマン的な服飾を際立たせていた。
きらきらと舞い上がった深栗色の髪が、月光を浴びて琥珀に変わり、甘い香りがノヴァスの鼻腔をかすめた。
そのしなやかな毛先が描く曲線は、この陰鬱な砦で唯一、生命の躍動を証明しているかのように。
青白い月光を浴びて現れた、神秘的な妖狐の少女。
(……綺麗な瞳だ)
その幻想的な姿にノヴァスは柄にもなく見惚れてしまうと同時に、頭にズキリと鈍い痛みが走るのを感じた。
(……水浴びで身体を冷やし過ぎたか?)
自分の体調を怪訝に思っていたノヴァスだが、甘い香りのする外套をぐいっと押し付けられたことで我に返る。
「ん!!」
と、少女は顔を赤らめ、目をぎゅっとつむりながら黒い外套ごしにノヴァスを押し込む。先っぽだけが白いふわふわの尻尾が、威嚇するようにぴんと立っていた。
「ん?」
と、ノヴァスは首をかしげる。
思考がぼんやりとしていて、意図を汲むのが遅れたのだ。
「こ、ここ、これ着てってば!!!」
何で察しないんだとばかりにぐいっと外套をさらに押し付けて来る少女。
「ああ……そうか。いや、いい。どうせ没収される。それより狐っこ、お前こそ姿を隠さなくていいのか? 侵入者なんだろう」
「い、いいからっ! あなたにこそ、必要!!」
裸のノヴァスが遠慮して押し返し、顔を真っ赤にした狐っこはそれを押し返す。
奇妙な息の合い方をして、押し問答する。
そうこうしているあいだに、騒ぎを聞きつけた看守たちが中庭へやって来てしまった。
「いたぞ! 侵入者だ!!」という声が主塔の入口から響いたので、ノヴァスと少女は押し問答の姿勢のまま、振り返った。
「こいつは、妖狐族、か? それも小娘……?」
凶悪な魔人族の侵入者を想像していた看守たちは、思わず気勢をそがれて足を止める。
感覚が麻痺しているのか、裸で自由に出歩いているノヴァスには誰もツッコミを入れなかった。
それどころか、「またあいつの手柄か」「対処が早いっす」と称賛すら飛んでくる始末。誰も、少女の目の前で全裸を晒している男を指摘しない。
何とも緊張感のない一幕だった。
しかし、遅れて聞こえて来た汚いだみ声が空気を台無しにする。
「へへへっ、魔人族の侵入者っつーからどんな輩かと思えばぁ!! いい女じゃねぇかァ!!」
べろり、と嫌らしく舌なめずりをした看守――ワーグが、欲に染まった目を妖狐族の少女に向けてやって来た。
彼女の神秘的な華やかさに目がくらみ、その奥にいるノヴァスの姿は認識していないようだ。
「ひひっ、ついてるぜぇ……ずっと……ずーっと!!! あのいけ好かないクソ生意気な裸野郎に邪魔されてたからな!! こんな上玉を好きにできるチャンスがやって来るとは!!」
独りで勝手に盛り上がりながら、目に狂気を浮かべている。
激しく肩を振って周囲の部下たちを威嚇し、横柄にこちらへ向かって来るワーグ。
「何あの人……気持ち悪い」
容赦ないが、もっともな評価だった。
ノヴァスは目の前の少女を見下ろす。
同じ方向を見ているため彼女の表情は見えないが、さっきまでぴんと立っていた耳がへなりと垂れ、ほんの少し後ろへと身を引く動作を見せたことから、あの野卑な現場主任への嫌悪が伝わって来る。
しかし少女は、こちらへ黒い外套をぎゅっと押し付けてから、すぐに戦う構えを取った。その動きは明らかに素人のものではなく、技術を学んだ者の所作だ。
(素手で戦う気か……見かけによらず強かだな)
ノヴァスは感心した。
だが、わざわざ彼女を危険にさらす必要もない。
「えっ? きゃっ」
ノヴァスは黒い外套で妖狐の少女をくるむようにして抱き寄せ、立ち位置を入れ替えてかばった。
そして流れるように、近くまで伸ばされていたワーグの汚い手を払う。
(……なんだ?)
――その瞬間、少女の肩に触れた手から、ノヴァスの中に異質な力が流れ込む感覚を覚えた。
嫌な感じは、ない。
むしろ、視界が妙にさえわたり、一片の乱れもない感覚があった。
言うなれば、心の共鳴。
自分の中の得体の知れない力の流れと、妖狐の少女から流れて来た力が交わり、それはまるで――光と闇の交差する夜明けの空を見ているような清々しさだった。
ノヴァスの胸のなか、妖狐の少女が驚いたようにこちらを見上げていた。
「今――」
妖狐の少女が何か言いかけたが、どさっと、ワーグがひざから崩れ落ちたことで注意がそれた。
「……あれ? 俺様ぁ、何をしてたんだ……」
ワーグは直前の行動を忘れたように、頭をかいて呆けていた。
「げ、現場主任? どうしたんです?」と部下に聞かれても、酩酊しているように意識がおぼろげだ。まるで、欲望が抜かれたように。
「――お酒でも、飲んでたのかな」
妖狐の少女は、震える声でそうつぶやいた。
暴漢に襲われそうになった恐怖、というより、何かを隠そうと話題をそらした感じだった。
「狐っこ、今のはお前の力か?」
ノヴァスの真っすぐな問いに、腕の中の少女がびくっとかすかに震える。
彼女はゆっくりとノヴァスを見ると、曖昧に、そして寂しげにほほ笑むだけだった。
(……何か、言えない理由でもあるのか? いや、そもそも言えるわけがないか)
相手は数分前に出会ったばかりの何者かも分からない少女だ。
敵対する様子もない。
ノヴァスは疑問に思いながらも、詮索するのをやめた。
その時「捕らえたか!」と騒ぎを聞きつけた銀髪の看守長がやって来た。
彼はあたりを見渡してノヴァスと、その腕に抱かれた侵入者の少女を確認すると、一瞬あっけにとられたような顔になる。
それから酷く呆れたように眉間をもみ、こちらに近づいて来たかと思えば、水浴び場の近くに干してあった腰布をとった。
「神法――『蒸発』」
看守長の左手の加護輝石が淡く光り、じゅっという音とともに腰布から白い蒸気が舞い上がった。そして一瞬で乾燥されたそれは、いまだ全裸のノヴァスに投げ渡された。
「こんなことに魔力を……いくら侵入者とはいえ、その格好で年頃の娘を抱くな」
看守長のつっこみで、少女はようやく我に返り、ばっと勢いよく離れる。
彼女も蒸発されたように、大きな耳の先から湯気が立つ勢いで顔が真っ赤になっていた。
「不可抗力だ。それと、ありがとう」
ノヴァスは全く動揺をみせず、渡された腰布をさっと巻く。
その様子に、はあと看守長は深いため息をついて諦め、侵入者の少女へ真面目な視線を向けた。
「妖狐族の小娘が一人、こんな場所へ何の目的で来たのか、事情を聞く必要がある」
空気が引き締まったことで、少女は緊張に身を硬くする。
「執務室へ行く。お前もだ、ついてこい」
銀髪の看守長は、ノヴァスにも声をかけた。
そして手持ち無沙汰にしていた他の看守たちに指示を出す。
「他の者は警戒を怠るな! この少女が来たという事実がある! 内部の見回りのほか、砦の上からの監視を強化しろ!!」
そうして看守長は、あらためて二人に振り返り、思わず息を呑んだ。
――黒髪の覇王と深栗色の髪を揺らす妖狐。神秘的な月光の下で並び立つ二人の姿に、新しい時代の夜明けが見えた気がしたのだった。
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