第13話 月夜の侵入者
深夜の静寂で静まり返った主塔。
壁の松明で照らされた回廊に、ひた、ひたと、密かな足音が響いている。
何者かが通り過ぎた空気の動きで松明の炎がゆらゆらと揺らめくが、どういうわけか、そこには誰もいない。
ふいに回廊の扉の一つがバンと乱暴に開いた。
それと同時に、密かな足音はぴたりと止まる。
部屋から偉そうなサーコートを着た銀髪の男と、彼の部下と思しき者たち数人がぞろぞろと出て来たのだ。
密かな足音の主は、呼吸をこらえながら思わず息を呑む。
彼らのうち、人相が悪く欲望が顔に張り付いたような男は、酷くイラ立った様子で数名の部下とともに回廊の奥へと走り去ってしまった。
「壁を登って侵入しただと? 確かなのか?」
偉そうな銀髪の男が、残っていた部下の一人に尋ねる。
「はい、黒い外套で全身を覆い隠した小柄な人物です。禁域の森から現れて壁を駆けあがり、この砦に忍び込んだ姿をハッキリと見たそうで。月光に光る長い髪や尻尾のような特徴から魔人族の女ではないかと……。今日は、月が明るいですから」
そう言って看守は、採光のための高窓からそそぐ青白い光を見上げる。
「ふむ……侵入した壁とこの主塔はつながっている。お前は他の者にも事態を知らせ、まずは内部の見回りを強化しろ」
「はっ!」
彼らは話を終わらせ、急ぎ回廊を後にした。
再び、夜の静寂があたりを満たす。
そして――。
「っぷはあっ! あぁ……もう限界ぃ」
突如、強制労働場という場にはあまりにも不釣り合いな、可愛らしい声が鳴った。
松明のほのかな光が、ゆらゆらと空間を揺らし、黒いフード付きの外套で姿を隠した少女が現れる。
彼女は早鐘を打つ鼓動を落ち着けるように、壁に背を預け、ずりずりと座り込んだ。
脱いで手に持っていた革の編み上げブーツを転がし、黒のオーバーニーソックスに包まれた長い足を投げ出して「はあ、ふぅ」としばらく息を整える。
呼吸に合わせて、はねっ毛の美しい、深栗色の横髪がふわりと垂れ落ちた。
彼女の大きな目は長いまつ毛で縁どられ、その美しい赤紫の瞳は、松明の炎をぼんやりと映していた。
透き通るように白いほっぺは、呼吸を止めていたことからほんのりと紅潮している。
「はぁ~……透明化解けちゃうとこだった。まさか登るところ見られてたなんて……。でも、息止めながらあの壁登るの、無理だよ」
息を止めているあいだ、彼女は透明になれる。
妖狐族の中でもこの力を使えるのは一部のみだが、彼女にはそれが出来た。
少女は「まあいっか、まだ見つかってないし」といって革ブーツを手に持ったまま、すっと立ち上がる。
「ん~~~! 自由に息ができるって素敵!」
ぐーっと腕を伸ばしてつま先立ちになり、大きな胸をそらしながら全身で伸びをする。
しなやかな身体の曲線美と共に、外套の合間からふわりふわりと、先っぽが白い深栗色の大きな尻尾が揺れているのが見えた。
「さてと。あの偉そうな銀髪の人が出てきたこの部屋なら、たぶん見取り図とかあるよね」
両こぶしを胸の前で握りしめ、両手に持っていたブーツが振り子のように揺れる。
少女は足取り軽く執務室へ入った。
簡易的に作られた木製のデスクと、その上に乱雑に置かれている書類。
それらを見て、少女は一瞬うっと後ずさりしてしまったが、幸いにも大きな見取り図が壁に掲示されていた。
「良かった。こんな資料の山、全部探してたら見つかっちゃうよ」
砦が作りかけなため、見取り図も完成はしていなかった。
しかし、中庭にある収容舎という物々しい表記を見て、少女は真面目な顔になる。
「ここにいてくれればいいな……。無事でいてね、ミヤビ」
少女は机の上にあった適当な紙とペンで軽く場所のメモを取り、執務室を急ぎ後にした。
◆
中庭に面した回廊は、採光用の高窓からの月光で、青白い明るさと松明のオレンジ色の光がせめぎ合っていた。
そんななか、巡回をしていた二人の看守が合流する。
あの給仕係の二人だ。
彼らはもともと、奴隷の監視に消極的でサボリ魔として有名だった。
今はすっかりノヴァスの行動に感化され、ブロンド髪の若い看守は壁の完成の際にもガッツポーズをしていたような軟派さだが、見張りのような重要任務はサボることなくこなしている。
「そっちは何か見つけたか?」
怜悧な顔の青髪の先輩看守が尋ねた。
「いやー、なんもないっすねぇ」
「いよいよ、人影を見たやつの勘違いだったのかもな」
「だといいんすけどね。それより先輩、聞きました? ワーグたちのこと」
二人は歩きながら他愛のない雑談を始めた。
「……あれでも一応上司だ。声は抑えておけ」
「へーきへーき、誰も聞いちゃいないっすよ。今日もあいつら、例の奴隷に一瞬でのされて運ばれてったらしいっすよ。ウケる」
ぶふぅと、あざ笑うように若い看守は言った。
「まあ、あれは自業自得だ。……あの奴隷を見てると、一度酒を酌み交わしたい気分になる」
「おっ、先輩もあの奴隷の応援っすか? 実は俺もなんすよ、次何をやらかすか分からないのが見ててワクワクするっす!」
「それもあるが、あの不屈な態度は見ていて気持ちがいい」
まるで侵入者などいなかったかのような、緊張感のない会話と笑い声をあげ、二人の看守が通り過ぎていく。
彼らの背中を、妖狐の少女は物陰に隠れながら見送った。
(そんなに強い奴隷がいるの? ミヤビ、大丈夫かな……)
はやる気持ちを抑えながらも、少女の足が早まる。
タイミングを見計らい、物陰から物陰へ。
時には息を止め、透明化して巡回をやり過ごし、ようやく主塔の一階へとたどり着いた。
(たしか、あそこから出れば中庭だったはず)
ひと際大きい出口から、青白い月光があふれるように入り込んでいる。
(……外に出るし、ブーツ履かないと)
妖狐の少女は素早くブーツを履き、黒いフードを整えて顔をしっかり隠す。
そして、すうーっと大きく息を吸い込んで止めた。
ふっと、少女の姿が消え去り、さっきまで彼女がいた場所には暗闇だけが残される。
周囲に誰もいないのを確認すると、大胆にも足音を気にせず駆け出し、勢いよく中庭へ――月光が美しい満天の夜の下へと出た。
頭上から降りそそぐ美しい月明りを仰ぎ、少女は見惚れて一瞬足を止めそうになる。が、すぐ首を振って抑えた。
(ミヤビ……どこだろ。透明になれるうちに探さないと)
そう気持ちを切り替え、収容舎を探そうと一歩を踏み出した、その時だった。
「そこにいるのは誰だ?」
若い男の声と、水のしたたる音が聞こえた。
おそらく少女が中庭に出てからずっとそこにいたのだろう。
夜空の美しさに気を取られ、自分が透明であるのをいいことに周りをよく見ていなかった。
声の主は、幻想的な青白い月明りの下、黒濡れの長髪から水をしたたらせ、その古代の彫刻のような芸術的な裸体を惜しみなくさらけ出していた。
明け空のような紫目がじっとこちらを見ている。
(……あれ、この人)
彼の瞳を確かめるように見た少女だったが、すぐに男のただならぬ格好に気づき、視線が下へ吸い込まれてしまう。
本来あるべき場所にあるはずの腰布は――綺麗に洗った後なのか、近くの柵に干してあった。
(ひっ……!)
少女は硬直した。
緊張で跳ね上がった彼女の大きな尻尾が、背中の外套をばさりとさせる。
(な、ななな、なんでっ……!)
大人の男の生まれたままの姿など、生まれてはじめて見たのだ。
まさかこんなところで、裸の男と遭遇するなど誰が予想できようか。
それを認識した瞬間、身体の隅々までかっと熱くなり、鼓動が抑えられないほど早くなる。
呼吸が苦しい。
我慢しないといけないのに、でも、もう、ダメ、限界と――。
「っぷぁあ!!」
ふうっ! ふうーっ! と、頭がぼうっとするほどの顔の熱を感じながら大きくあえぐ。
妖狐の少女の透明化が――解けてしまった。
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