第11話 夜明けの証
――その夜。
「今日のお届け物だ。いつもの倍いる」
突然、執務室の扉を勢いよく開けるやいなや、気絶したワーグたちを投げ捨てるノヴァス。
看守長は、思わず書類に走らせていた羽ペンを明後日の方向へ乱してしまった。大事な書類に無意味な黒い線が走る。
「こいつら、今日は酔っぱらってないから早めに起きると思う」
今夜のワーグは一味違った。
堪忍袋の緒が切れたのか、さまざまな拷問器具を手に、取り巻きを大勢引き連れて収容者へやって来た。
だが、いくら群れても烏合の衆。
いつものようにノヴァスは全員をのして、こうして看守長に押しつける結果となった。
険しい顔で黙り込み、眉間をもみ込む銀髪の男。
部屋を照らす蝋燭台から、じじっという静かな音が聞こえて来る。
ノヴァスはそんな静けさなど気にせず、気楽に声をかけた。
「こんな夜中に一人で残務処理か。真面目だな」
「……これが役目だ」
「あんたにはやっぱり、この仕事似合わないよ」
「……口を慎め奴隷。私はここの看守長だ」
もはやその言葉に、反論としての力強さはない。
「余計なものなんて、脱ぎ捨ててみたらどうだ」
看守長は視線を外したまま、答えなかった。
ノヴァスは「さて」と言って去ろうとするが、思い出したかのように足を止める。
「――ああ。皿とさじの用意、ありがとう。感謝する」
ノヴァスは手をひらひらと振り、返事を待つこともなく去っていった。
バタンと扉が閉まり、回廊に響く足音が遠ざかる。
完全な静寂が訪れた直後――看守長は、バン! と拳で机を叩いた。
「クソッ……。似合わないだと……知ったような口を……」
引き出しから無意識に取り出し、机の隅に置いていた古めかしい紋章。
彼は力なく背もたれに身を預け、苦々しくそれを見つめるのだった。
◆
「――つまりこの作業を効率化すれば、一か月で?」
「ええ、壁を完成できるかと。ほっほ、あなたのお力あっての計画ではありますがね」
収容舎へ戻って来たノヴァスは、以前助けた老人から壁の建設計画を前倒しするための相談を持ち掛けられていた。
ノヴァスの超人的な働きと、老人の知恵。
それらが噛み合い、不可能と思われたノルマに完遂の光が見え始めていた。
周囲の奴隷たちも、もう死んだ魚の目をしていない。
彼らは暗がりのなかでノヴァスを見つめ、静かに、だが確かに期待の眼差しを向けていた。
部屋の奥の隅で隠れるようにおびえていた女性奴隷たちも、今はノヴァスのそばに混ざるように集まっている。
「それにしてもご老体、やけに詳しいですね」
老人の専門的な知識に驚き、ノヴァスが疑問を投げかけた。
「昔、とある国で土木技官をしておりました」
「道理で」
「……もう、十年前の戦いで滅んでしまいましたがね」
老人の寂しげなつぶやきが、収容舎の湿った空気に溶ける。
その直後だった。
「――ハッ、何呑気なことを! そんなこと、叶うわけないだろ!」
部屋の隅の暗がりから、叩きつけるような声が上がった。
和やかだった場の空気が、現実に引き戻されたかのようにしんとなる。
一人の若い奴隷が、ひざを抱えていた体を弾くように起こし、ノヴァスをにらみつけた。
「あの銀髪の看守長が言ってた通り、俺たちはどこまで行っても貴族の所有物だ!!
いくらあんたが看守たちに反抗して、俺たちを勇気づけようとも、今のままじゃここに閉じ込められて、じわじわと体力を削られて、そして最後は惨めに死ぬ!!
それは、残り少ない体力を削ってでも突き破る、魂の震えのように見えた。
「ここを自分で出る力もないし、もしここを出られたとしても……その後に待っているのは脱走奴隷として追われる人生だ。未来がない! 絶望しかないんだよ!! 無力な俺たちの前には!!!」
夜闇の中でもしっかりとノヴァスを見据えたその目は、助けを求めているようだった。
「化け物みたいな力を持ったあんた一人なら、簡単にここを出られるだろ!? なぜ一人でさっさと逃げない!! これ以上、俺たちに無駄な希望を見せないでくれ!!!」
そして今にも泣きそうな震える声で慟哭し、ずるずると、壁に寄りかかってひざを抱えた。
「……死なせてくれ。……もう、疲れたんだ」
消え入りそうな声。
ノヴァスは、その昏い瞳を逃さず、まっすぐに見つめ返した。
「それが、お前の本音か」
立ち上がって、壁際にうずくまり絶望を吐露した奴隷の隣に腰を下ろす。
そして、彼の肩に手を置いた。
「だが、お前たちはまだ――死んでいない」
みな、その事実に気づき、息を呑んだ。
「こんな地獄を這いまわり、それでも今日まで、死を選ばなかった」
その言葉は、部屋にいる奴隷たち全員に染み渡るように響く。
「それは俺がここに来るずっと前から、お前たちが運命に抗ってきた証。無力なんかじゃない。正真正銘――お前たち自身の力だよ」
絶望を吐露した若い奴隷が、顔を上げ、ノヴァスの目を見た。
彼の夜明けを知らせる紫の瞳は、闇の中の小さな光すら拾い上げ、美しく光っていた。
部屋の方々から、すすり泣きが聞こえて来た。
「俺には取り返さなきゃいけないものがある。やりたいこともある。それを叶えるまでは死ねない。お前たちにもきっと、何かあるはずだ。叶えたい、夢が」
ノヴァスの激励で、若い奴隷の顔に再び力が宿り始める。
「俺にだって……! 俺にだって、夢くらい……あったさ。あったけど……今は!」
「ならもう一度、立ち上がれ」
力強く、心の中に強引に踏み込むような言葉だった。
だが、聞けば不思議と勇気が湧き、応えずにはいられない。
その言葉の主は、腰布を一枚着ただけの裸の男。
「……あんたはいったい、何者なんだ」
震える声で問う奴隷に、ノヴァスはふっと口角を上げた。
「今はただ、お前たちとともに壁を造る一人の奴隷だ」
若い奴隷は目を見張り「はは、そうだな……」と嗚咽を漏らしながらも、笑った。
「……昔を、思い出しますね」
老人奴隷の、穏やかなつぶやきが、優しい夜に溶けて行った。
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