第10話 騎士の残火
あれから数日が経ったが、ノヴァスは相変わらずだった。
黄金色の首枷をつけた腰布一枚の奴隷の存在感は、日を追うごとに増すばかり。
闇の中できらめくその黄金の光を見ていると、奴隷たちは不思議と限界だと思っていた足に力が入るのだった。
今日もまた、現場主任ワーグの怒号と鞭の音が響くなか、ノヴァスは涼しい顔で激務を蹂躙している。
しかし、ノヴァスの独壇場というわけではない。
彼に触発された奴隷たちもまた、苦しみを不敵な笑みに変え、絶望に抗おうと着実に作業を進めた。
ノヴァスは、そんな極限状態で作業をする彼らに話しかけては、力の入れ方が楽になるちょっとしたコツを伝えたりもしていた。
その甲斐もあってか、初日よりも奴隷たちの顔色は幾分かマシになっている。
午前中のうちに石の加工作業を撃破してしまったノヴァスは、現在、同じ班の奴隷たちとともにモルタルを作る作業場へと移動している。
道中で「ノヴァスさん、あんた、疲れを知らないのか?」と驚愕の顔で訊かれたが、「孤児院時代の師匠の修行のほうがやばかった」と返すことで奴隷たちを驚きで湧かせていた。
そんな彼らの和やかな空気を、主塔の窓辺から疲れた顔で見ている人物が一人。
銀髪の看守長だ。
なぜ、この奴隷は諦めない。それどころか、この絶望がよどんだ場所に希望をもたらし始めている。未来など無いに等しい社会の最底辺に。
(所詮、一人の力など高が知れている……早く諦めろ)
ノヴァスの一挙手一投足を見ていると、かつて自分が失ったものを見せつけられているような気分になるのだ。
言いようのない嫉妬のような感情が、看守長の心にわだかまった。
しかし、あの半裸の男の言動は、心の中に空いてしまった空虚な穴を埋めてくれる気さえしていた。
看守長は、執務室の机の引き出しを開ける。そこには、一本の傷の入った古めかしい騎士の紋章があった。
『――我が家の紋章だ。これをそなたに』
よくある話だ。
貴族社会の歪みで失ったかつての主。
お守りすることができなかった弱き騎士の末路。
よくある話なのに、心の底では熾き火がまだくすぶっている。
今じゃこんな、ゴミのような役職を与えられながらも。
「私はもう、誇りも夢も失ったというのに……」
窓枠をつかむ看守長の手が、小さく震えた。
◆
斧を両手に持ったノヴァスが舞うように木々を伐採し、それらをモルタル作業場へと運び入れているときだ。
現場主任ワーグとその取り巻きたちが、だるそうに頭をさすりながら作業場へやって来た。
彼らは毎晩のように深酒をして女性奴隷を目当てに収容舎へ来るのだが、ここのところずっと、ノヴァスに気絶させられて看守長のもとへ運ばれている。
ノヴァスが来てからというもの、女性奴隷たちは安心して眠り、ワーグたちもまた気絶させられることで健康的な睡眠をとっている。
しかし、就寝前の記憶があいまいでなぜか欲求も満たされていない感覚がつきまとい、日中のワーグたちはいつにも増してイラ立つことが多くなっていた。
「クソ……昨日も肝心なところからの記憶がねぇ。てめェら、サボるんじゃねェぞ!! 今日も限界まで使ってやるからなァ!!!」
作業場へ来るなり、目を血走らせ、奴隷たちに怒鳴り立てるワーグ。
いつもならビクビクとする彼らだが、返って来たのはワーグをちらりと一度だけ見て黙々と仕事に従事する反応だけだった。
ぴきりと、こめかみに浮かぶワーグの血管が深くなる。
あいつが来てから奴隷たちの目がほのかに明るくなった。それが気に入らない。
あいつが来てから自分の思い通りに振舞えなくなった。それが気に入らない。
あいつが来てから、自分の権威が裸の男に負けている。その滑稽な現実が、ワーグには耐えられなかった。
「――やっぱ我慢ならねェ」
ワーグは幽鬼のようにつぶやいた。
彼の右手には、トゲがついた鉄製の鞭が握られている。加虐のエゴを具現化したかのような生々しさだ。
彼が動くたびに鋭利なトゲがこすれ、キン……キィン……と、鈴のようでいてぞっとするような音を立てていた。
「裸野郎ォ!!!」
作業場にだみ声が響く。
ワーグの殺気だった目がこちらをとらえていた。
周囲の奴隷たちは作業する手はとめないが、物々しい鞭とただならぬ雰囲気に、ノヴァスを心配そうにこっそり見ている。
そのとき、初日にノヴァスのことを避けたピンクブロンド髪の女性奴隷が、ワーグたちの目を盗んで主塔のほうへと走っていく姿が見えた。
「……ここに膝をついて背中をこっちに向けやがれ」
自分の足元を指さしながらワーグは低い声で命令する。
ノヴァスはふっと笑うと、担いでいた木材を積み込んでから指示通りにした。
その際、わざわざ両手を広げ「さあ、やってみろ」と言わんばかりに背中を差し出す。
その気になれば、心央を突いて無力化することもできるのに、ノヴァスは自分が罰の対象となったときだけそれをしない。
ワーグは、完全に舐められていた。ぴくぴくと、目じりが引きつっている。
鋭利なトゲ付きの鞭という、生身の身体には明らかに危険な凶器を前にしてもノヴァスは全くひるまない。
(何なんだ、こいつは……!)
ワーグは鞭を握る手に力を込めた。
自分の権威は復活し得ない。そんな予感が恐怖となり、彼の心を支配する。
「は、裸の王様気取りか!! ここでの真の王が誰か教えてやる!! この加護なしがァ!! ――神法ォ!!! 『炎よ、宿れ』!!!」
ワーグの左手の輝石が光ると同時に、その手に握られたトゲ鞭が赤い光を放ち、ジリジリと嫌な音を立てて薄い炎をまとった。魔力が少ないせいで規模は小さいが、火属性の加護だ。
鉄のトゲと魔力の炎。加護なき身には、かすめるだけで致命傷を負わせる業火がノヴァスの背に迫る。
――ビュオンッ!
バヂンッ! っと肉をえぐり、焼き焦がす嫌な音があたりに響いた。
周囲の奴隷たちは恐怖から目を背けている。しかし――。
無傷だった。
生身の身体に金属のトゲの鞭など、無力な加護なしにはひとたまりもない。死ぬかもしれないし、ワーグは心の底でそうなることを狙ってもいた。
だが、相変わらず、目の前の半裸の男の背中には赤い痕が薄っすらついただけ。子どもが悪ふざけで平手打ちした際につく、あの赤い手形のようなものでしかなかった。
「……さすがに、少し痛いな」
ノヴァスがぼやいた。
痛いで済む罰じゃねぇよとワーグは思わずあっけにとられたが、すぐ我に返って二回、三回と鞭を振るう。
金属のトゲのせいで異様に重くなった鞭は彼に扱い切れる道理もなく、そこで息を荒げて鞭を取り落としてしまった。
「……な、何なんだ……お前は」
呆然と立ち尽くすワーグのつぶやきと同時に「ワーグ、貴様、何をしている」という落ち着いた声が作業場に響いた。
先ほどこっそり抜け出していたピンクブロンド髪の女性奴隷をともなって、銀髪の看守長が現れた。
彼はノヴァスの姿と地面に落ちたトゲの鞭を見て、眉間のしわを深くする。
「……ワーグ貴様、ここの奴隷は各国の貴族が所有している財産だと、何度言えば分かる。その鞭は、魔人族の敵兵を捕らえた際の拷問用だろう。奴隷の体罰には使用が禁止されていたはずだ」
「チッ……」
「お前は最近目に余る。次の査定では降格も覚悟しておけ」
「なっ……!」
イラ立ちが頂点に達しそうになるが、管理権限を持つ看守長の目がある前では自由に振舞えないワーグ。
その怒りの矛先は、空虚な怒鳴りとなって周囲の奴隷たちに向けられる。
「何を見てるてめぇら!! 見世物じゃねぇぞ!! 作業に戻れ!!!」
その怒号に初日のような圧はなく、ただ独りで空回りしているだけのように見えた。
「グズが! そこの薪をさっさとくべろ!!」
どうにかして支配力を取り戻そうと、近くで作業をしていた奴隷に目をつけ、命令を下す。
「あ、い、いえ、この材は屋内の建築用の材で、燃やすと濃い煙が――」
「ああ!? 口答えするんじゃねぇ!! どんどん燃やして労働しろ!! 俺様の命令だ!!!」
ワーグは狂ったように喚きながら、なおもモルタルを作るための窯へどんどん薪をくべろと指示を出す。
普段使わない煙が多すぎる種類の木や、しけった材すらも惜しみなく使わせる。
天高く立ち上る黒煙は、風に流されることなく、まるで何者かを誘う標識のようにまっすぐ蒼穹を突いていた。
ノヴァスがその煙をじっと見ていると、老人の奴隷が手当てにやって来てくれた。
彼は手近な場所に生えていた薬効のある野草をもみ込み、ノヴァスの背にできた小さな傷に塗り始める。
「ありがとうございます、しかし傷はありませんよ。俺を手助けしたら、あなたも何かされるかもしれない」
「ほっほ、どうせ老い先短い爺ですよ」
その己を顧みない親切が呼び水となり、女性奴隷たちも無言で、とりあえずそばまで来てくれた。それが彼女たちなりの精いっぱいの寄りそいだと、ノヴァスは理解している。
彼らの行動を目ざとく見ていたワーグが咎めようとするも、看守長がすかさず手で制した。
「さっきの言葉をもう忘れたか? 奴隷を毀損するな。ついて来い、事務仕事が残ってる」
と手短に言うなり、イラ立つワーグを強引に連れて作業場から逃げるように去っていった。
「さあ、今日のノルマを終わらせるか」
ノヴァスの仕切り直す声掛けに、奴隷たちが力強く応える。
だが当の本人は、天高く昇り続けるあの黒煙を見続けていた。
――深い森の奥から、何者かを呼び寄せるかもしれない、濃い黒を。
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