第123話 謝罪
焼けた土の匂いは、ガキの頃からずっと嗅いでいた。
鼻の奥にこびりついて、寝ても覚めても消えねぇ臭いだ。焦げた草、炭になった木、ひび割れた地面。南の大陸ってのは、そういう場所だった。空を見上げりゃ、いつだってあの化け物がいた。
ソヴリン――スザク。
悠々と空を飛んで、気まぐれみてぇに炎を落とす。まるでこの世界は自分の庭だとでも言いたげな顔をしてな。
俺たちは地面の下で暮らしていた。
穴蔵みてぇな狭い場所。湿って、暗くて、空気は淀んでる。上で何かが燃えりゃ、熱まで伝わってくる。子どもだった俺は、何度も思った。
なんで俺たちが、こんな場所に隠れてなきゃならねぇんだって。
ふざけてる。おかしい。間違ってる。
その怒りは、たぶん最初から俺の中にあった。けど、同時に親父の中にあった怒りでもあった。
「また飛んでやがる……」
親父はことあるごとに、地上の様子を窺っては吐き捨てていた。
「あのクソ鳥さえいなけりゃな」
「俺たちはもっとマシに生きられる」
「空から見下ろして、好き勝手焼きやがって……」
俺は、そんな親父の言葉を聞いて育った。
だから空を飛ぶスザクが嫌いだった。怖いんじゃねぇ。腹が立った。なんであんなデカい顔して、当たり前みたいに空を占領してやがるんだって。
ある日、親父が言った。
「なぁ、エオウィン。耐火性の建物がありゃ、地上でも暮らせると思わねぇか?」
その時のことは、今でもよく覚えてる。
暗い穴の中で、親父の目だけが妙に明るかった。
俺はその言葉を聞いた瞬間、胸がどくんと鳴った。
地上で暮らす。
隠れなくていい。
空を見ながら歩ける。
風を浴びて、日を浴びて、生きる。
そんな当たり前のことが、まるで夢みてぇに思えた。
「できるのかよ、そんなの」
「できるさ。素材さえ見つかればな」
親父は本気だった。
冗談でも、気休めでもない。本当にやるつもりだった。
俺は胸が躍った。
この人ならやれるんじゃないかって、本気で思った。
けど、俺たちの周りにいた連中は違った。
「はは、また始まったよ」
「地上に家だぁ? 焼かれて終わりだろ」
「そんな夢みてぇなこと言ってねぇで、大人しく潜ってりゃいいんだ」
「ガキに変な希望持たせんなよ」
みんな笑った。
仲間だと思ってた奴らが、まるで酔狂な馬鹿を見るみてぇな目で親父を見ていた。
誰も理解しなかった。
いや、理解しようとすらしなかった。
それでも親父は諦めなかった。
材料を探し、地上の焼け跡を歩き、何度弾かれても考えることをやめなかった。そんな親父を、俺はかっこいいと思っていた。
だからこそ、笑ってる連中を心の中で見下してた。
お前らみたいに諦めて縮こまってる連中とは違う。
親父は前を見てる。
馬鹿なのは、挑もうともしねぇお前らの方だ。
……そう、思ってた。
親父が焼かれるまでは。
建物に使える素材を探して、地上に出た日だった。
帰ってきた親父は、半分別人みてぇになっていた。
皮膚は爛れ、服は焼きつき、息をするたび喉の奥がひゅうひゅう鳴っていた。何があったのかなんて、聞くまでもなかった。
スザクだ。
空から見つけられたんだ。
「親父……! 親父!」
俺は叫んだ。
けど親父は、苦しそうに息を漏らすばかりだった。
助けを求めて走った。
あの時笑ってた連中のところへ。
「頼む! 誰か! 親父が……親父が焼かれたんだ! 薬でも、水でも、何でもいい! 助けてくれよ!」
けど、誰も動かなかった。
目を逸らす奴。
気まずそうに黙る奴。
露骨に面倒くさそうな顔をする奴。
「無理だ」
「関わったら次はこっちまで危ねぇ」
「そもそも、勝手に地上に出たのはあいつだろ」
その言葉を、俺は今でも忘れてねぇ。
勝手に地上に出た。
だから助ける義理はない。
ふざけてやがる。
親父は、俺たちのためにやったんだ。
みんなが地上で暮らせるようにって、そう思って動いたんだ。
なのに、誰も手を差し伸べない。
俺は、泣きながら親父のところへ戻った。
親父は日に日に弱っていった。
火傷ってのは、すぐ死なねぇ。だから余計に残酷だ。苦しみながら、少しずつ、確実に削られていく。
俺には何もできなかった。
水を運ぶことも、布を替えることも、痛みに耐える背中をさすることもできた。けど、それだけだ。助けられなかった。
そして、親父は死ぬ間際に俺へ言った。
「お前は、生きろ」
かすれた声だった。
もうほとんど、息も続いていなかった。
「そして……アイツらを、見返してくれ」
その言葉が、俺の胸に刺さった。
ああ、分かった。
親父は諦めてねぇんだって。
自分じゃできなかった。
けど、夢を手放したわけじゃない。俺に託したんだ。生き延びて、成し遂げて、馬鹿にした連中を見返せと。
その日、俺は誓った。
何があっても生き延びる。
這いつくばってでも、醜くても、泥まみれでもいい。
絶対に生きて、俺たちを笑った奴らを見返してやる。
そして考えた。
どうして親父は、夢を成せなかったのか。
答えは簡単だった。
力がなかったからだ。
スザクに抗う力。
周りを黙らせる力。
誰かを従わせ、何かを成し遂げる力。
それが足りなかった。
だから俺は、力を欲した。
身体を鍛えた。
技を覚えた。
使えるものは何でも使った。
喰えるものは喰い、生きるためなら泥も啜った。
そのうち分かった。
力がありゃ、人は馬鹿にしてこねぇ。
睨み返せる。
黙らせられる。
奪われる側じゃなく、奪う側に立てる。
だから俺は、力を望む。
そうだ。
俺が欲しかったのは最初からそれだけだ。
『なるほどなぁ』
どこからともなく、声がした。
軽い。
飄々としてる。
人の傷口に土足で踏み込んできても悪びれもしねぇような声。
耳で聞いたわけじゃない。
なのに、はっきりと頭の中に響いた。
なんで聞こえるのか。
そんなことより先に、苛立ちが立った。
『……なぜテメェがここにいる?』
そう思った瞬間、声の主は笑った気配を見せた。
『そう邪険にするなよ。これでも先輩なんだぜ? 俺は』
魔王ルース。
すぐに分かった。
あの、ふざけた調子。胸くそ悪ぃくらい余裕ぶった声音。忘れるもんか。
『先輩面される覚えはねぇ』
『そりゃ覚えてないだろうさ。俺はお前の生まれるずっと昔の存在だからな』
くだらねぇ。
これ以上付き合っても、軽口で煙に巻かれるだけだ。
俺が黙ると、今度は向こうから続けてきやがった。
『力さえあれば馬鹿にされねぇ。まぁ確かに、間違っちゃいねぇよな』
何だ、分かってるじゃねぇか。
そう思ったのも束の間、ルースはすぐに言葉を継いだ。
『でもこれは忠告だぜ? 力があっても成し遂げられないことは、世の中大量にあるんだ。俺もかなり失敗したからな。こうして教訓を教えに来てやってんだよ』
上から目線の、偉そうな物言い。
その瞬間、腹の底で燻ってたものが一気に爆ぜた。
『誰のせいで世界が窮屈になったと思ってんだ!』
怒鳴ったつもりだった。
実際には心の中で吠えただけなのに、それでも自分の全部が震えるくらいの怒りだった。
ルースの気配が、一瞬だけ鎮まる。
気圧された、みてぇに。
だが、すぐに声が返ってきた。
『それに関しては、俺は謝ることしか出来ねぇ。本当に、申し訳ない』
あまりにも真っ直ぐな謝罪で、俺は逆に言葉を失った。
ふざけるでもなく、言い逃れるでもなく、ただ頭を下げるような声だったからだ。
『だから――』
ルースは続ける。
『このままだとお前まで頭を下げなくちゃいけなくなるんだぜ? そんなの、嫌だろ?』
何を言ってるのか、すぐには分からなかった。だが、ルースは構わず続けた。
『力を得て、自分の思うとおりに、自分の正義を信じて行動した結果。それが魔王ルースだ』
正義だと?
ふざけんじゃねぇ。
『あの頃の俺は、自分が選んできた選択を後悔しきれなかったんだ。力がなければ野垂れ死んでたかもしれないし、多くを奪われてたかもしれない。だから、力を求めることを否定はしねぇ。実際お前はすげぇよ。たった一人でこの世界を生き延びる術を手にしてきたんだからな』
淡々とした声だった。
自分を誇るでも、卑下するでもない。ただ事実を並べてるみてぇな口調。
けど、その一言一言が妙に耳に残る。
『だからこそ』
ルースの声が、少しだけ強くなる。
『その力を、お前の命を、お前だけのために使うべきじゃない』
『偉そうなことを言いやがって。有象無象に尽くせとでも言うつもりか』
吐き捨てると、ルースは今度こそ揺らがなかった。
『お前がもし選択を誤ったとき、頭を下げるべき奴らがいるだろ? そいつらのことだけでいい。忘れるな。目を逸らすな。声を聞き洩らすな。手を取れ。声をかけてやれ。それが、責任ってやつだ』
その直後だった。
『ボスッ!!』
『……エオウィン様!』
声が聞こえた。
別の、現実の声。
ぼんやりと光景が浮かぶ。
こっちを見上げるベニー。
その隣で、今にも泣きそうな顔をしているクララ。
そこでようやく、俺は自分が白い靄の中にいることに気づいた。
どこまでも白い。
輪郭の溶ける、静かな場所。
その靄を見ているうちに、ふと、昔のことを思い出した。
親父が死ぬ、ほんの直前のことだ。
「すまない……」
そう言ったんだ。
短く、か細い、消え入りそうな声で。
今まで、考えたこともなかった。
あれは何に対する謝罪だったのか。
夢を託すことへの謝罪か。
生きろと押しつけたことへの謝罪か。
守れなかったことへの謝罪か。
それとも――自分だけが先に逝くことへの謝罪か。
考えようとしたところで、ふっと笑いが漏れた。
今さらかよ、親父。
いや――違うな。
今さらなのは、俺の方か。
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