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ドンゾコナビ ~滅びの世界で少女導く~  作者: 内村一樹
5章:這い上がる者

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第123話 謝罪

 焼けた土の匂いは、ガキの頃からずっと嗅いでいた。


 鼻の奥にこびりついて、寝ても覚めても消えねぇ臭いだ。焦げた草、炭になった木、ひび割れた地面。南の大陸ってのは、そういう場所だった。空を見上げりゃ、いつだってあの化け物がいた。


 ソヴリン――スザク。


 悠々と空を飛んで、気まぐれみてぇに炎を落とす。まるでこの世界は自分の庭だとでも言いたげな顔をしてな。


 俺たちは地面の下で暮らしていた。


 穴蔵みてぇな狭い場所。湿って、暗くて、空気は淀んでる。上で何かが燃えりゃ、熱まで伝わってくる。子どもだった俺は、何度も思った。


 なんで俺たちが、こんな場所に隠れてなきゃならねぇんだって。


 ふざけてる。おかしい。間違ってる。


 その怒りは、たぶん最初から俺の中にあった。けど、同時に親父の中にあった怒りでもあった。


「また飛んでやがる……」


 親父はことあるごとに、地上の様子を窺っては吐き捨てていた。


「あのクソ鳥さえいなけりゃな」

「俺たちはもっとマシに生きられる」

「空から見下ろして、好き勝手焼きやがって……」


 俺は、そんな親父の言葉を聞いて育った。


 だから空を飛ぶスザクが嫌いだった。怖いんじゃねぇ。腹が立った。なんであんなデカい顔して、当たり前みたいに空を占領してやがるんだって。


 ある日、親父が言った。


「なぁ、エオウィン。耐火性の建物がありゃ、地上でも暮らせると思わねぇか?」


 その時のことは、今でもよく覚えてる。


 暗い穴の中で、親父の目だけが妙に明るかった。

 俺はその言葉を聞いた瞬間、胸がどくんと鳴った。


 地上で暮らす。


 隠れなくていい。

 空を見ながら歩ける。

 風を浴びて、日を浴びて、生きる。


 そんな当たり前のことが、まるで夢みてぇに思えた。


「できるのかよ、そんなの」

「できるさ。素材さえ見つかればな」


 親父は本気だった。

 冗談でも、気休めでもない。本当にやるつもりだった。


 俺は胸が躍った。

 この人ならやれるんじゃないかって、本気で思った。


 けど、俺たちの周りにいた連中は違った。


「はは、また始まったよ」

「地上に家だぁ? 焼かれて終わりだろ」

「そんな夢みてぇなこと言ってねぇで、大人しく潜ってりゃいいんだ」

「ガキに変な希望持たせんなよ」


 みんな笑った。

 仲間だと思ってた奴らが、まるで酔狂な馬鹿を見るみてぇな目で親父を見ていた。


 誰も理解しなかった。

 いや、理解しようとすらしなかった。


 それでも親父は諦めなかった。


 材料を探し、地上の焼け跡を歩き、何度弾かれても考えることをやめなかった。そんな親父を、俺はかっこいいと思っていた。


 だからこそ、笑ってる連中を心の中で見下してた。


 お前らみたいに諦めて縮こまってる連中とは違う。

 親父は前を見てる。

 馬鹿なのは、挑もうともしねぇお前らの方だ。


 ……そう、思ってた。


 親父が焼かれるまでは。


 建物に使える素材を探して、地上に出た日だった。


 帰ってきた親父は、半分別人みてぇになっていた。


 皮膚は爛れ、服は焼きつき、息をするたび喉の奥がひゅうひゅう鳴っていた。何があったのかなんて、聞くまでもなかった。


 スザクだ。


 空から見つけられたんだ。


「親父……! 親父!」


 俺は叫んだ。

 けど親父は、苦しそうに息を漏らすばかりだった。


 助けを求めて走った。

 あの時笑ってた連中のところへ。


「頼む! 誰か! 親父が……親父が焼かれたんだ! 薬でも、水でも、何でもいい! 助けてくれよ!」


 けど、誰も動かなかった。


 目を逸らす奴。

 気まずそうに黙る奴。

 露骨に面倒くさそうな顔をする奴。


「無理だ」

「関わったら次はこっちまで危ねぇ」

「そもそも、勝手に地上に出たのはあいつだろ」


 その言葉を、俺は今でも忘れてねぇ。


 勝手に地上に出た。

 だから助ける義理はない。


 ふざけてやがる。


 親父は、俺たちのためにやったんだ。

 みんなが地上で暮らせるようにって、そう思って動いたんだ。


 なのに、誰も手を差し伸べない。


 俺は、泣きながら親父のところへ戻った。


 親父は日に日に弱っていった。

 火傷ってのは、すぐ死なねぇ。だから余計に残酷だ。苦しみながら、少しずつ、確実に削られていく。


 俺には何もできなかった。

 水を運ぶことも、布を替えることも、痛みに耐える背中をさすることもできた。けど、それだけだ。助けられなかった。


 そして、親父は死ぬ間際に俺へ言った。


「お前は、生きろ」


 かすれた声だった。

 もうほとんど、息も続いていなかった。


「そして……アイツらを、見返してくれ」


 その言葉が、俺の胸に刺さった。


 ああ、分かった。

 親父は諦めてねぇんだって。


 自分じゃできなかった。

 けど、夢を手放したわけじゃない。俺に託したんだ。生き延びて、成し遂げて、馬鹿にした連中を見返せと。


 その日、俺は誓った。


 何があっても生き延びる。

 這いつくばってでも、醜くても、泥まみれでもいい。

 絶対に生きて、俺たちを笑った奴らを見返してやる。


 そして考えた。


 どうして親父は、夢を成せなかったのか。


 答えは簡単だった。


 力がなかったからだ。


 スザクに抗う力。

 周りを黙らせる力。

 誰かを従わせ、何かを成し遂げる力。


 それが足りなかった。


 だから俺は、力を欲した。


 身体を鍛えた。

 技を覚えた。

 使えるものは何でも使った。

 喰えるものは喰い、生きるためなら泥も啜った。


 そのうち分かった。


 力がありゃ、人は馬鹿にしてこねぇ。


 睨み返せる。

 黙らせられる。

 奪われる側じゃなく、奪う側に立てる。


 だから俺は、力を望む。


 そうだ。

 俺が欲しかったのは最初からそれだけだ。


『なるほどなぁ』


 どこからともなく、声がした。


 軽い。

 飄々としてる。

 人の傷口に土足で踏み込んできても悪びれもしねぇような声。


 耳で聞いたわけじゃない。

 なのに、はっきりと頭の中に響いた。


 なんで聞こえるのか。

 そんなことより先に、苛立ちが立った。


『……なぜテメェがここにいる?』


 そう思った瞬間、声の主は笑った気配を見せた。


『そう邪険にするなよ。これでも先輩なんだぜ? 俺は』


 魔王ルース。


 すぐに分かった。

 あの、ふざけた調子。胸くそ悪ぃくらい余裕ぶった声音。忘れるもんか。


『先輩面される覚えはねぇ』

『そりゃ覚えてないだろうさ。俺はお前の生まれるずっと昔の存在だからな』


 くだらねぇ。

 これ以上付き合っても、軽口で煙に巻かれるだけだ。


 俺が黙ると、今度は向こうから続けてきやがった。


『力さえあれば馬鹿にされねぇ。まぁ確かに、間違っちゃいねぇよな』


 何だ、分かってるじゃねぇか。

 そう思ったのも束の間、ルースはすぐに言葉を継いだ。


『でもこれは忠告だぜ? 力があっても成し遂げられないことは、世の中大量にあるんだ。俺もかなり失敗したからな。こうして教訓を教えに来てやってんだよ』


 上から目線の、偉そうな物言い。

 その瞬間、腹の底で燻ってたものが一気に爆ぜた。


『誰のせいで世界が窮屈になったと思ってんだ!』


 怒鳴ったつもりだった。

 実際には心の中で吠えただけなのに、それでも自分の全部が震えるくらいの怒りだった。


 ルースの気配が、一瞬だけ鎮まる。

 気圧された、みてぇに。


 だが、すぐに声が返ってきた。


『それに関しては、俺は謝ることしか出来ねぇ。本当に、申し訳ない』


 あまりにも真っ直ぐな謝罪で、俺は逆に言葉を失った。


 ふざけるでもなく、言い逃れるでもなく、ただ頭を下げるような声だったからだ。


『だから――』


 ルースは続ける。


『このままだとお前まで頭を下げなくちゃいけなくなるんだぜ? そんなの、嫌だろ?』


 何を言ってるのか、すぐには分からなかった。だが、ルースは構わず続けた。


『力を得て、自分の思うとおりに、自分の正義を信じて行動した結果。それが魔王ルースだ』


 正義だと?

 ふざけんじゃねぇ。


『あの頃の俺は、自分が選んできた選択を後悔しきれなかったんだ。力がなければ野垂れ死んでたかもしれないし、多くを奪われてたかもしれない。だから、力を求めることを否定はしねぇ。実際お前はすげぇよ。たった一人でこの世界を生き延びる術を手にしてきたんだからな』


 淡々とした声だった。

 自分を誇るでも、卑下するでもない。ただ事実を並べてるみてぇな口調。


 けど、その一言一言が妙に耳に残る。


『だからこそ』


 ルースの声が、少しだけ強くなる。


『その力を、お前の命を、お前だけのために使うべきじゃない』

『偉そうなことを言いやがって。有象無象に尽くせとでも言うつもりか』


 吐き捨てると、ルースは今度こそ揺らがなかった。


『お前がもし選択を誤ったとき、頭を下げるべき奴らがいるだろ? そいつらのことだけでいい。忘れるな。目を逸らすな。声を聞き洩らすな。手を取れ。声をかけてやれ。それが、責任ってやつだ』


 その直後だった。


『ボスッ!!』

『……エオウィン様!』


 声が聞こえた。

 別の、現実の声。


 ぼんやりと光景が浮かぶ。

 こっちを見上げるベニー。

 その隣で、今にも泣きそうな顔をしているクララ。


 そこでようやく、俺は自分が白い靄の中にいることに気づいた。


 どこまでも白い。

 輪郭の溶ける、静かな場所。


 その靄を見ているうちに、ふと、昔のことを思い出した。


 親父が死ぬ、ほんの直前のことだ。


「すまない……」


 そう言ったんだ。

 短く、か細い、消え入りそうな声で。


 今まで、考えたこともなかった。


 あれは何に対する謝罪だったのか。


 夢を託すことへの謝罪か。

 生きろと押しつけたことへの謝罪か。

 守れなかったことへの謝罪か。

 それとも――自分だけが先に逝くことへの謝罪か。


 考えようとしたところで、ふっと笑いが漏れた。


 今さらかよ、親父。


 いや――違うな。


 今さらなのは、俺の方か。

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