第122話 這いつくばる男
イザベラから渡された欠乏の記憶が、胸の内でじわりと熱を持っていた。
熱い、というより、馴染む、に近い。
俺の中にある何かと、それは自然に噛み合った。まるで最初から俺のものだったみたいに、違和感も反発もなく、静かに沈み込んでいく。
「行くぜ、ダグ」
喉の奥で笑って、意識を伸ばす。
欠乏と結合。
次の瞬間、世界が二重になった。
自分の身体の感覚が遠のく代わりに、別の肉体の輪郭が鮮明になる。湿った地面を蹴る足裏。荒い息。指先に馴染んだ刃の重み。焦げた匂いと、血の気の引いたような緊張。
ダグの中だ。
『……っ!? ルース!?』
頭の内側に弾ける声には、驚きと、それ以上の喜色が混じっていた。
俺が声をかける前に気づくなんて、さすがだぜ。
『おお、ちゃんと繋がったな』
「どうやって!? いや、今はそれどころじゃないか」
『話が早くて助かるぜ』
思わず笑う。
この土壇場だってのに、こいつの反応は妙に真っすぐで、救われる。
だが、和んでる暇はない。
『手を貸してやる! 礼は要らないぜ!』
言うが早いか、俺は術を重ねた。
足元の大地がぼこりと盛り上がる。
隆突槍。
突き出した土の槍、その表面に、さらに金属質の輝きが走る。
刃錬成。
無数の刃が、生まれる。
短剣の形をしているようで、まだどれも粗い。ただの素材だ。だが、素材ならそれでいい。
『行くぞ、ダグ!』
「うん!」
俺とダグは同時に、その刃へ手を伸ばした。
組み立てる手が唸る。
形を整え、重心を削り、握りを作る。
一本、二本、三本。いや、そんな数え方をしてる場合じゃない。手を動かした端から、粗削りな刃が投擲用のナイフへと変わっていく。切れ味より、通りの良さ。深く刺さり、抜けにくい形。狙うのは殺傷じゃない。縫い留めることだ。
『このナイフをできるだけたくさん作って、周囲の地面や木々に突き刺すんだ!』
「地面と木に!? エオウィンじゃなくて!?」
『説明してる時間は無い! 信じてくれ!』
「分かった! 信じるよ!」
ダグは疑いもせず動いた。
そういうところ、本当に助かるな。
意識を離す。
今度はもっと大きく、もっと重い感覚へ潜る。
水気を帯びた筋肉。ぶ厚い胸板。地を踏みしめる確かな脚力。広い視界の端に、肩に担がれたライラ。頭上を舞うクゥの影。
お次はアレックスだ。
「ルース殿!?」
『よう、元気そうで何よりだ』
「我輩は何をしたらいい!」
前のめりな声に、思わず口元が緩む。
この男、こういう時に一切ためらわないよな。
『もっと耳を澄ませ! そして、ライラとクゥの繋がりを強くするんだ!』
「繋がりを……!」
アレックスの意識が即座に集中するのが分かった。
肩にいるライラへ。空を飛ぶクゥへ。あの二人の気配を、ただ聞き取るんじゃなく、もっと深く拾い上げるように。
その瞬間だった。
「ライラ!? いつのまにアタシの身体に戻って来たの!?」
『違いますよ! これはきっと、アレックス様の力です!』
二人の驚きが同時に響く。
それでも混乱は一瞬だった。
もともと深く身体を共有していた名残があるんだろう。違和感を受け入れるのが早い。すぐさま二人は意識を切り替え、変わり果てたエオウィンへの攻撃を再開した。
上出来だ。
『上出来だぜアレックス! そのまま続けてくれ!』
「任せるがいい!」
頼もしい返事を背に、俺はさらに意識を渡る。
次に掴んだのは、しなやかで軽い、植物めいた身体だった。
視界の高さが変わる。蔦の感触。魔力の流れの繊細さ。ひとつひとつの変化を見逃さない、静かな知性。
ライラだ。
『……ルース様?』
『ああ。説明してる時間はねぇ。クゥを呼べ。背中に乗るんだ』
『クゥ? こっちに来れる?』
「クェーー!」
言葉と同時に、クゥの方にも意図が伝わったらしい。風を裂いて白と黄緑の巨体が旋回し、すぐさま迎えに来る。
「ライラ! 早く!」
『ええ!』
ライラはアレックスの肩から迷いなく飛び移った。
クゥの背に着地するその一瞬、エオウィンが炎の羽をばら撒く。灼熱の刃みたいな羽根が唸りを上げて迫ってきた。
だが、その軌道に氷の塔が割り込む。
イザベラだ。
氷結塔。
轟音と共に立ち上がった氷柱群が、炎の羽を正面から受け止め、砕け、蒸気を噴き上げる。
エオウィンからすりゃ、突然生えた障害物。視界を遮り、動きを阻む厄介な壁だ。
だが、こっちには見通す瞳がある。
ライラにも、クゥにも。
氷の向こうも、霧の先も、敵の輪郭も、迷わず見抜ける。
『このまま上を取るぞ!』
クゥが風を巻き起こしながら急上昇する。
氷結塔を足場にし、盾にし、滑るように軌道を変えて、二人は一気にエオウィンの頭上へ回り込んだ。
そこで俺は、はっきりと命じた。
『雨氷矢で奴を地面に落とす! とびっきりの風を吹かせてやれ!』
『任せてください!』
「ぶっ飛ばすから、覚悟するクェ!」
氷結塔からあふれ出る冷気が、俺の術で無数の槍へと組み替わる。細く鋭く、殺意じみた冷たさを帯びた氷の矢。
それをクゥの風が攫う。
ただ飛ばすんじゃない。
巻き上げ、加速させ、空の流れそのものに変える。
氷の槍群が、エオウィンの頭上から一斉に降り注いだ。
炎の翼が迎え撃つ。
氷が溶け、蒸発し、弾ける。
耳をつんざく音。
視界を埋め尽くす蒸気。
白い霧が一気に膨れ上がり、空も地も分からなくなる。
その中で、エオウィンがもがいた。
鋭い爪が振るわれ、近くにそびえていた氷結塔をまとめて切り裂く。だが、それで終わりじゃない。切り倒された巨大な氷塊は、崩れながら雨のように降り注ぎ、その巨体を点で押さえ込むように叩きつけた。
ドシン、と。
腹の底に響く鈍い音が地上から返ってくる。
落ちた。
だが、まだ終わっていない。
霧の切れ間に見えたエオウィンの肉体から、ぬるりと不気味な触手が生え始める。一本、二本どころじゃない。傷口から、関節から、羽の隙間から、どろどろと無数にあふれ出し、周囲へ這い伸びていく。
ダグとアレックスが、即座にそちらへ対処しようと身構えるのが分かった。
違う。
今、相手にするのはそっちじゃない。
『触手は無視でいい! 今はそこらに転がってるナイフを奴の身体中に刺すんだ!』
俺の叫びが全員へ届く。
ダグが地を蹴る。
アレックスが巨体を前へ出す。
ライラとクゥも降下しながら援護の体勢に入る。
『ライラ、クゥ! 二人も手伝え!』
『分かりました!』
「行くよぉ!」
よし。
ここまで整えば、あとは俺の仕事だ。
俺は欠乏と結合を解除した。
全員の感覚が一気に遠のく。
自分の身体だけが、はっきりと残る。
その瞬間、支えを失った俺の身体は、自由落下を始めた。
白い霧の中へと、真っ逆さまに。
風が頬を裂く。
服がはためく。
落ちているのに、不思議と怖くはなかった。
この白さは、どこか見覚えがある。
まるで、大地の女神キリンと話していた場所みたいだ。境目のない、静かな靄。すべてを隠しながら、同時に何もかも暴き立てるような白。
俺はその中を、ただ一点だけ見据える。
変貌を遂げたエオウィンの巨体。
その、頭部。
ライラとクゥの瞳が見抜いていた場所。
化け物の殻に埋もれた、あいつ自身の核。
風を切って落ちながら、俺は心の中で呟いた。
『悪いな。少し手荒になっちまったぜ。でも、こうでもしなけりゃ――』
お前は、話を聞いてくれないだろ?
そして俺は、今まさに、這いつくばってる男の手を取るために、欠乏と結合を発動した。
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