chapter 04[yes or no]
「こちらでございます」
サキュロンさんは茶褐色の両手扉の前に立ち、ドアノブを回した。暗に進むよう命じられた。
(このお部屋にご主人様がいる)
恐る恐る進み出れば、お部屋の中に入った瞬間、背筋がピリッてした。緊張感のある空気がそこらじゅうに広がっていたんだ。
お部屋の中は僕が想像していたよりもずっと広かった。足下には豪華な絨毯が敷かれていて、一度に何人もの人々が席に着ける長いダイニングテーブル。中央には綺麗な花々が花瓶に生けられている。真っ白なお皿は2人分、ナイフとフォーク、スプーンも用意されていた。そして席のずっと奥――そこには男の人が座っていた。
使用人として働くことになった初日に夜までぐっすり寝ていた僕はきっと恐ろしい罰を受けるに違いない。そう思ったからこそ堂々と顔を上げてご主人様を見ることができない。でもご主人様が厳格な人だということはこの場の空気でわかる。服装は黒のジレにキュロット。皺ひとつない白のチュニックを着ている。彼こそがここのお屋敷の主人であることは間違いない。
いったいどんな体罰が待っているのだろう。せめて村には迷惑がかかりませんように。
静寂がお部屋を埋め尽くす。
ギリギリ、ギリギリ。緊張のせいでひどく胃が痛む。僕は怖くて怖くてギュッと両目を閉じた。
「君がウィル・リーヴィスだね。ようこそ、我が屋敷へ」
入口付近で身体を固くしていると、ご主人様の声は僕が思っているよりもずっと穏やかに聞こえた。
すごく低い声だ。でも威圧感はまるでない。静かで穏やかだった。
それにこの声、聞き覚えがある。
ゆったりとした足取りでご主人様が近づいてくる気配がする。
恐る恐る閉じていた目を開けると、そこには――信じられない!!
僕は自分の目を疑った。だって僕の目の前に立っているのは、ブロンドの髪とオリーブの目。何回も見る夢の中の男の人だったんだ。
「あの、どうして僕のことを?」
「夢の中で会っているだろう?」
男の人はそう言うと、目を細めてにっこり微笑んだ。
(ああ、やっぱり彼だ)
(まさかこのお屋敷の主人が彼だったなんて!!)
じゃあ、昨日のことも夢じゃなくて現実に起きた出来事だったんだ……。
そう思うと僕の胸が大きく震える。
「ぼくの見立てどおりだ。その服、とてもよく似合っている」
「あの、僕は何をすれば」
容姿を褒められて恥ずかしい。どうにか話を逸らしたくて一番気がかりになっていることを尋ねてみた。
「何もしなくていい。ただぼくの話し相手になって欲しいんだ。さあ、こちらへおいで」
「えっ? うわわっ!!」
僕が声を上げたのは、突然足下を掬われたから。
お姫様抱っこをされちゃったんだ。
そうかと思えば、ご主人様のお膝の上に下ろされた。
「やはり軽いな。もっと食べた方が良い」
「えっと、あの……」
「ぼくはセロン・ティボールトだ」
「はい、ご主人様」
コクンと頷けば、
「セロンでいい。君にはそう呼ばれたい」
彼は静かに首を振った。
「でも僕は使用人です」
いくら夢で何回も会っていてもご主人様には変わりない。だから僕は首を振り続ける。
「だが、ぼくは君を使用人だとは思っていない」
「でも貴方は使用人を探しておいででした」
少なくとも村長さんからはそう聞いている。だから気易く呼べないと口を開いた瞬間だった。
「っふ……」
急に息苦しくなったかと思えば、僕の口が弾力のある何かに塞がれた。それがご主人様の唇だって判ったのは、離れる時に聞き慣れないリップ音がしたから。
恥ずかしい。視線を外したいのに骨張った親指に顎を掬われてしまう。
「ぼくはセロン。そして君はぼくの話し相手だ。いいね?」
「……は、い」
オリーブの目が僕を射貫き、念を押される。だけど突然の行為で僕の頭は真っ白だ。何を言われたのか判らない。僕はコクンと頷いた。
同性でキスなんておかしい。そう思うのに、触れた唇は熱が生まれ、やがて全身へ行き渡る。
彼が夢の中で抱きしめてくれた人だからなのかな。わからない。でもたしかに判るのは、キスが嫌じゃないっていうこと。
その日、僕はご主人様――じゃなかった。セロンのお膝で、『もう食べられない』って言うまでたくさんの美味しい夕食をいただいたんだ。
そしてその日から、僕はセロンの夢じゃなくて、また違う夢を見るようになった。
違う夢っていうのは、壁から伸びてきた色白の手から逃げる夢や、眠っている僕を女の人がじっと見下ろしてくる夢。
これは夢。でもきっと夢じゃない。だってここは幽霊屋敷。そういうものがいてもおかしくはない。セロンがどういう人なのかは判らないけれど、それでも彼が普通の人間じゃないっていうことは何となく判る。だって僕は夢の中で彼に会った。それも一度だけじゃなく、何度も。
もしかするとセロンは悪魔なのかもしれない。
だけど、それでもいい。セロンが何者だろうと関係ない。だって優しく接してくれたのは彼だけだった。一緒にいて楽しいと思えるのも、心が落ち着くのも彼だけだ。
たとえ彼の目的が、僕の命だとしても――。
だって僕は母親殺しの大罪人。殺されて当然の人間なのだから。
三日が経ち、一週間が経った。僕の生活習慣は朝から夜へと変化した。早朝に眠り、夕方頃に目を覚ます。それからサキュロンさんがやって来て、セロンとお食事をする。少しずつお屋敷の生活には慣れてきたけれど、セロンとの夕食には慣れない。だってセロンってば、僕をお膝に乗せたまま食事をすすめてくるんだ。たまにキスもされるし……。
正直、恥ずかしい。セロンといると心臓がドキドキして、体がかっと熱くなる。これって何かの病気なのかな。




