21話
「で?どういう風の吹き回し?」
突然菓子折りを持ってやって来た新倉に、坂本は一瞥しただけでいつものように仕事に戻った。
「桜がヴァイオリンを弾くって」
「あらそう」
よかったわねと口先だけの賛美に2人の様子を伺っていた外野達に「そんなに暇ならこの仕事を振り分けるわよ」と断らせることなくキレイに分配した。
まだ立ち去らない新倉にどうしたのと小首を傾げた坂本は、次の瞬間目を丸くした。ゴツンともの凄い音がフロア中に響いた。反響元の新倉は未だに頭をデスクにぶつけたまま唸ってる。
「だ、大丈夫なの?」
「あはい…蘭さんに蹴りを入れられたよりはまだいくらかはマシですから…。そ、そんなことよりも、坂本さんだと聞きましたよ。桜を…早乙女さんをやる気にさせたのって、そうですよね!いや〜本当に助かりました。ありがとうございました!」
「え…?」
「毎日僕が彼女を口説いても剣もホロロで全くダメでしたから。終いには桜の師匠にも呼び出されるわで…。これで年末のコンサートに穴を開けることなく出来そうです!」
「あ、あの!新倉さん!人の話しを聞いて頂戴。彼女にまたヴァイオリンを弾かせる切っ掛けを作ったのは、私じゃないの。私の家族よ」
「へ…なら、その人にお礼を言っていてください。本当に助かりましたと、じゃあ!」
坂本の返事も聞かずに新倉は宣伝はどうしようかなどぶつぶつ独り言を言っては、ああ良かった良かったと口にしてる。
そんな新倉を見て坂本も百年の恋も一瞬で冷めるわねと呟くと仕事に戻った。
あの子…本当に大丈夫なのかしら…。坂本は空席になっている桜のデスクを見つめた。桜から今までのブランクを埋めるために練習に集中したいけど休んじゃダメですかねと相談を受け、上司と掛け合った坂本は桜に二週間の有給休暇をもぎ取って来た。
桜はと言うと、あれからルッソを相手にひたすら本格的にヴァイオリンを弾き始めた。朝から晩までずっと何時間もヴァイオリンを弾く。それはまるで祖母の家で毎日せがむ様にヴァイオリンを弾いていた頃と同じ。
『は〜い、ダメダメ〜。ティンク、ここはもっと色っぽくそして艶っぽくね。それからここの小節は楽しく…う〜ん小悪魔になりきって弾いて…違う違う』
♪♪〜!♪〜
『ティンク、まだまだ指が硬いですよ。ここはもう少し滑らかに、でも音は抑えて。小悪魔っぽくってわかりますよね?ほら、まだ音が硬いですよ〜。う〜途中で音が途切れましたね。練習不足ですね』
こくりと頷いた桜は息を整えると、まだ震える指で弓を握りしめた。いくらかは克服できたものの、まだ前夫ー城島礼から受けたDVは根強く、頭の中で彼の心ない詰りが木霊する度に、音が途切れる。
『ティンク。今日はこの辺にしましょう』
『え?でも、まだ1時間も弾いてないわ』
『今のあなたに必要なのは、トラウマから逃げることよりもそれに立ち向かう心の強さです。何があったのかは大体予想は出来ます。僕はね、ティンク、君が昔見たいに心からヴァイオリンを楽しんで弾いてくれる日が来ると信じていますよ』
お茶にしましょうと手を取られ、そのままティータイムとなった。
焦るばかりのティンクの音は曲の特徴も掴めていない。ただの音の羅列だ。溜め息が出そうになるも、一番辛いのは目の前にいるティンクなのだ。
『ティンク。今日はもうレッスンは止めて、公園にでも行こうか』
『え?でもまだ曲の感じも…』
『いいのいいの。遊ぶ時は遊ぶ、仕事をする時は仕事を楽しむ。ティンク、君にとってヴァイオリンは苦しみしか与えないものかい?』
首を横に振る桜にルッソはにっこり微笑むと、じゃあ行こうかと腕を出した。
『え?』
『お姫様、お手を私めに』
軽くウィンクするルッソに悪いけど笑いがこみ上げて来た。
(ティンク、君は笑った顔が一番似合うよ。あの男はオイタが過ぎたね。君をこんな哀しい顔にさせるなんて)
みなとみらいへと行くと、休日だったせいもあって通りは人で賑わっていた。大道芸人もちらほらいて、それぞれの得意分野を披露している。幼い子供達も目をきらきらさせてそれらを見ている。子供の顔を見て思わず顔をそらす桜にルッソは小さく溜め息を吐いた。
『ティンク。僕はね君が自分の子供をとても愛していたことを一番良く知ってるよ。忘れろとは言わない。僕だっていい加減なことは言いたくないからね。僕はね君に出している課題曲には今の明るい曲は無理だと思うね。今はまだ出口のないくらいトンネルの中を彷徨い歩いてる君に、あの曲を弾きこなすのは無謀だと考えるよ。あ、別にティンクの技術を疑ってるわけじゃないんだよ。曲は人の心を動かすからね。幾らテクニックがあっても心が篭っていない曲はただの音の羅列と一緒さ。今の自分にあった曲探しから初めて見ると良い。もちろん誰に聞いて欲しいのかって言うのを頭にきちんと入れるんだぞ』
『…は…い…』
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『は〜い、ダメダメ〜。ティンク、ここはもっと色っぽくそして艶っぽくね。それからここの小節は楽しく…う〜ん小悪魔になりきって弾いて…違う違う』
おかしい…さっきから、ううん初日からずっとルッソからダメ出しばかり。ルッソが言ってる通りに弾いてるんだけどなぁ。何が違うんだろ?
指が思った通りに動いてくれないし、弓を握っていても震えが酷くていつ弓をおとしちゃうかも。あ…音が途切れた。あ…音が滑った。ボーイングミスだったりとそんな小さなことが積もり積もったら…曲は耳障りの悪い雑音となる。ああ…だめだ…。
ルッソに信じてると言われたら、弾かなきゃ。上手く弾かなきゃ。そう思えば思うほど、空回りする様に音が手のひらからすり抜けてく。
どうして想い通りの音が出せないの?あの頃は何も考えずに出せてた音が今では何をやっても出来ない。さっきから堂々巡りだ。
「うぎゃぁ〜!!!」
『ティンク?!』
頭を思いっきり掻きむしって発狂したように奇声をあげてみたものの、すっきりするどころか逆に恥ずかしくなった。
ルッソからは今日はもうお開きみたいに言われちゃったし。私ってやっぱダメなのかも…。何のために弾いているのかますますわからなくなっちゃった。
みなとみらいまでルッソの運転手の佐川さんに送ってもらって、昔の様に私達は腕を組んで歩きまわってみた。
へ〜大道芸人だ。すごいな〜火吹いてる〜。こっちはジャグリング。あ、こっちはディアボロしてる。パントマイムはもちろんのこと、マジックを披露している人もいて、なかなかどうしてこれが結構楽しめた。
いつの間にか自然に口元が綻んで来ると『やっと笑った』ルッソの言葉に驚いた。今まで私って笑ってなかった?
『気づいてなかったの?ティンクが日本で見せてた笑顔は、無理矢理作ってたでしょ。別に君が笑顔になったからって誰も君を責めたりなんかしないよ』
え…。
ルッソの言葉に振り返った。
もう吹っ切れたと思っていたのに、前夫からの呪縛は結構しつこかったみたい。笑っても本当に誰もとがめない? 人殺しだと言わない? 子供を見殺しにしたと殴らない?
『ティンク…そんなことを言われてたのか…。どうしてもっと教えてくれなかったんだ。いや、僕が気づくべきだったんだ。君は悪くない、君は知らなかっただよ。あれは君を陥れるために仕組まれた巧妙な罠だったんだ』
『わ…な…?』
彼が何を言ってるのかわからない。
ルッソから真実を聞きたいかいと聞かれ、言葉も発することも出来ずにただ頷いた。
何となくだけど、礼があの事件に関わっていたのは知っていた。でも信じていたかったから真実から目を背けてた。ああ…今思えばあの人が身代金と共に入れた楽譜を指定の場所に置いたのかどうなのかをしつこいくらいに聞いて来てたのは、そういうことだったのね。殺人罪で逮捕された容疑者も、被害者側であるはずの人間が被害届を取り下げ、あの少年は何の罪も問われないまま平然と日常生活を過ごしていると聞かされた。
『…そう…、彼ってやっぱりあの当時家で雇っていたメイドの…』
『息子だよ。ろくでもない男になってたよ。あれから麻薬に婦女暴行、誘拐で鉄格子の向こうだよ。10年前の事件で刑期は決まったんだよ。終身刑だと聞いてるよ。しかも極寒の地だと。蒸し返すのはよくないと思ったんだが、君のご両親からも依頼されてね。優秀な弁護士を使って戦って来たよ。ティンク…もう自分を許してもいいとは思わないのかい?あの子達も今の君を見ればきっと悲しむよ』
うううっ…。涙が次から次へと溢れ出て来る。ルッソに抱きしめられたままずっと泣いていた。
『ティンク、音楽は愛。心の中に眠っていた君の想いを解き放つんだ。怒りも哀しみも、そして愛情も。それが君の音楽の血となり肉となる。感情を持って弾く。君はもう城島礼の操り人形なんかじゃないんだ』
『…ルッソ…』
ルッソから渡されたのは前夫に奪われて消却されてたとばかり思っていた子供の写真。一枚だけど、私にはかけがえのない宝物だ。
『ありがとう…ルッソ』
滲む視界の向こうにはルッソの青い双眸の中に写る私が見える。それはまだぎこちないけど、いままでの愛想笑いじゃない笑顔の私がいた。
二週間の有給休暇を無事に消化した桜はそれまで放っておいた携帯電話の電源をつけた。
「ぎゃ!」
並ぶ並ぶ、同じメルアドと電話番号。どれも今まで故意に避けていた新倉さんから。ここまで来るとちょっと怖いかも。
「あ!ワンダフル占いのサイトからのメルマガだ!」
…あ…《俺だ新倉だ。どうなんだよ調子は!連絡くれ》
な、なんて卑怯なやつだ…。ワンダフル占いのメルマガだと信じて開けたのに…。
新倉からのメールではコンサートの会場を押さえている最中だが、どうにかして間に合わせると言う強気のメールだった。
坂本さんとは時々あっているのに、坂本さんもしかして…ウザクなって切りましたね…。
でも、コンサート場所見つかると良いけど…、あの礼のことだから絶対に何か企んでるんじゃないのかな。気のせいだったらいいけど。
それが気のせいでもなかった。




