19話
「で?どうだったんですか桜さん?」
「はひ?」
坂本さんの言葉に思わず間抜けな声を出してしまった。
「あなたの腕の調子よ。ギブスはとれたの?」
あ…ギブスのことか。
吃驚した、他の事かと思っちゃったじゃない。
坂本さんとは和解したあの日以来、とても仲良くさせてもらっている。
確かにまだ私の中に消化出来てない思いもあるけど、そんな些細な事など仕事には必要ない。
「まだですけど、明日病院に行く予定なのでギブスが外れるかどうかって言うのは、その時の診察次第だと思います」
「そう…早くとれると良いわね」
「ありがとうございます」
あれから少しだけど坂本さんとはぐんと距離が近づけた。私は本当にあの忌まわしい楽器を弾きたいのだろうか…。
私はどうしたいのだろう…。
病院では皹の部分も上手く繋がっていたため、少しずつだが軽い運動をする様にと言われた。
私はどうしたら良いのか。まだ分からない。
埃を被ったヴァイオリンはまるで今の私のようだ。
いつまで私はここに立ち止まっているのだろうか…。
これのせいで失ったものはあまりにも大きすぎた。
「ねえ、桜さん今週末暇かしら?」
今週末?まだ秋に入ったばかりだし、仕事も順調で残業も出張もなしだから暇は暇だけど…なんで?
「暇ですけど、坂本さんはどこに行かれるんですか?」
「私の実家。大家族なのよ。ぜひ遊びに来て頂戴。これ住所ね」
私はその時の坂本さんの聖母みたいな笑顔に何も言えなくなって、今この教会の前に立っている。
あ、あれ…? この住所であってるんだよね…?
坂本さんから貰った地図の通りに来たんだけど…少し不安に思いながらも教会の扉を開けると、中から子供達の合唱の声が聞こえて来た。
一番下は三才か二才なんだろう。歌っている最中に他の子の服を引っ張ってる。可愛いな〜。
一番上は…高校生?って思うほど背の高い子だけど、声変わりがまだ来てないみたい。あれでもし小学生だったらそれはそれで凄いわね。
オルガンの音が止むと子供達は一斉に私の方へと走りよって来た。
「「「「「「「「「可愛い〜!!まゆ姉〜の友達?」」」」」」」」」」
まゆ姉って坂本さんの弟妹達なの?!
ちょっと多すぎない?
桜にも姉妹はいるが、年が離れていることや桜だけが海外で過ごしていたと言うこともあって、殆ど一人っ子状態だったからこんな大人数で矢継ぎ早に質問されるとやはり子供とはいえ、戸惑ってしまうしちょっと怖い。
「こら、みんなが桜さんに質問攻めにしちゃうから、彼女完全に怯えているじゃない」
鶴の一声みたいに坂本さんが止めてくれたから良かったけど、なんかこの子達ってルッソみたい。
ルッソ自身子供っぽいから、言うなればルッソが十人いるって感じだわね。
「お姉さんも歌おうよ」
「え…歌、ですか…」
実は桜は歌だけは下手で音痴だった。
「実はね…お姉さんは歌は凄く下手なの」
「え〜」
「じゃあ何が得意?」
「僕は、サッカー」
「私はピアノ〜」
「僕は、走る事〜」
「僕は」「私は」
延々と続く何が得意の話に桜は目をパチクリさせながら聞き入った。
子供の頃はスポーツもそうだけど、トランポリンも鉄棒もやった事なかった。
海で貝殻を集める事も、木に登る事だって禁止されてた。私の幼い頃は全てがヴァイオリン中心の生活で形成されてたから。
「じゃあ、お姉ちゃんは何が得意なの?」
「そうだよ〜歌もダメ〜木登りも出来ないし、走るのだって遅そうだし〜、トランプだって弱そうだし〜チェスも出来なさそうだもんな〜」
ガーン、ななんて酷い言われようだ。
子供は正直だけどもうちょっとくらいはオブラートで包んで、その上から真綿で包む感じで言ってくれたら良かったのに。
「お姉ちゃん〜何か一つでも得意な物はないのかよ〜」
「う〜ん…」
得意なもの得意な物……と当たりに目を彷徨わせていたら、ふと桜の目に止まった物があった。
ヴァイオリン。
むき出しのヴァイオリンをずっと大事そうに抱えている女の子がいる。
その子はまるでヴァイオリンを人形のように思っているのかのように扱っている。
だが、そのヴァイオリンは子供用にして見ればやたら大きいし、どう見ても四分の四と呼ばれるフルサイズのヴァイオリンに間違いない。
それは十才くらいの女の子が持っているもので、見るからに弦も緩みきってるし、切れてる弦もある。
聞けばこのヴァイオリンは教会に寄付されて来た品物の中に入っていたらしく、誰もヴァイオリンを手入れする人もそんな知識もなかったからずっとそのままだと。
もし…あの子が生きていれば…このくらいの年齢だったのかもしれない…。
優しく微笑んだ桜はちょっと見せてくれる?と少女に聞くとヴァイオリンを受け取った。
すぐに調律して、G弦が無いのはしょうがないと溜め息を吐きながらも弓を持つと弾きだした。
ただ子供達にヴァイオリンの本当の音を知って欲しい。ただそれだけの思いで音を繋いでく。それらの音は光の粒のように明るく子供達を寺師って行く。
「あーコレ知ってる〜!!」
「教会の歌だ!!」
子供達も嬉しそうに桜のヴァイオリンの音色に合わせて賛美歌を歌い始めた。
子供達からの沢山の拍手に桜は胸の中に一つの光が灯ったの感じた。
それはほんの小さなあかり。
子供達からまた後で聞かせてよ〜とリクエストを受けた後、坂本と一緒に神父室へと向かった。
「驚いたでしょ〜でも弾いてくれてありがとう。子供達も喜んでたわ。」
「…そう、ですか…」
桜自身、手放しで坂本に喜ばれて心が痛かった。
あの音は別に心も何も籠ってない、ただの寄せ集めの音符の羅列だ。それに桜は子供達にならどれだけ無様な曲でも分からないだろうと音をかき鳴らして行っただけ。
それなのに子供達から貰った賛美に正直戸惑った。
「……」
どうしてあんな音で笑顔になれるの?
私だったら耐えられない。バカにしてるのかって思っちゃうほどに力加減は出来てなかったし、ビブラートなんて何コレ?って思うくらい情けなかった。
こんな情けないくらい下手な音だったのになんで?
「子供はね、本当に正直で敏感よ。本物を見極められるからね」
何を言ってるの?
「ええ、坂本さんにこれだけの沢山のご弟妹がいらっしゃるなんて知りませんでした」
桜の言葉に微妙に微笑んだ坂本は、あの子達は生まれてすぐにこの教会の前に置き去りにされたり、親が育児を放棄した子達なのだと話してきた。
「私はね、あの子達のために仕事も頑張って来たわ。でも心は虚しかった。やって良い事悪い事があるって子供達に偉そうに説教垂れながら、自分は桜さんに仕事を押し付けて楽しようってしてたんだもの」
「ここって…施設ってことですよね?」
「そうよ。私も彼らと同じなの。親に捨てられた子なのよ」
坂本が今までやって来た事は確かに褒められた物ではないが、それで得たお金が全てこの施設で過ごす子供達の衣食類に使われて行ったと言うことを聞いてしまえば、桜も何も言えなくなった。
「どうして…。どうして本当の事を教えてくれなかったんです。そしたら…」
桜の言葉に坂本は諦めたような笑みを浮かべた。
「私達はね誰かに施しをしてもらうためにいるんじゃないの。対等に見て欲しいのよ。あなたも思ったんでしょ?本当の事を教えてくれれば、私も何か出来たのにとか…。それはね、偽善よ。一時しのぎの物。そんな付け焼き刃の物をくれても私もだけどこの子達も傷つくだけなの。あ…この人も私達を見下してるんだなって。蔑んでることぐらい小さな子でも分かるのよ」
「……」
愛される権利がある子供が捨てられることに桜は何も言えなくなった。
「あの子達はね、ここにいる間に学ぶべき事を学んでそして社会へと旅立って行くの。その時にここでの生活で得た事を役に立てて欲しいのよ。子供だって出来る事はあるもの。それを見つけられたらそれは天啓だわ。世の中ってね、平等だ差別をなくそうなんて言ってるけど、あんなのウソ。そこら辺に差別なんて転がってるわ。ただみんな見てるのに知ってるのに見ない振りをしてるだけ。だから私はねこの子達には自分の運命から逃げずに立ち向かって行くために私が教えれる限りの事を教えているの」
「なんでそこまでするの?何か見返りとか返って来るわけ?」
私の言葉にくすっと小さく笑みを浮かべた坂本さんの表情は、祭壇の上に飾られているマリア様と同じ。
「見返り?そんなのは関係ないの。私はね、この子達の未来が良い方に変わって行くのを見届けたいの。」
ー君にだって出来る事はあるさ、いや、君にしか出来ないことがきっとある。それを見つけられたら幸せだね。もし自分の使命を見つけた時、ティンク君は逃げるかい? それとも自ら望んで立ち向かって行くかい?それによって君の未来が変わるよ。僕?僕は何も出来ないよ。ただ君を見届けるだけだよ。
同じだ…。
ルッソが私に言っていた言葉と同じ。
「あなたには、あなたにしか出来ない事があるのに、どうしてそれから目を反らすの?耳を塞ぐの?それって勿体ない事なのよ」
坂本の言葉に思わず目を反らしてしまう。
今でも耳に残る助けられなかった愛しい子の声が私を苦しめる。
どれだけ時が経とうとも、私の中ではあの事件から全ての時間が止まっている。
全ての。
桜の心の傷がどれだけ深かったか…。




