15話 加筆
嫌なヤツ。
嫌なヤツ
嫌なヤツ!
弾きたい時に上手く弾けないこの地団駄を踏みたくなるような、悔しさはあの男には一生分からない。
今まで空気を吸うように普通に出来てたことが、出来なくなる辛さは本当に悔しい。
少し頑張り過ぎたのかな…私。
次の日、課長に電話して休みを貰った。
でもその頃、ルッソが真琴に連絡をとっていたなんてちっともしらなかった。
それがどんな効果を現すかも誰も知らなかった。
rrrrr……。
んー誰よ〜。
一体何時だと思ってんのよ…。
ぶつぶつと文句をいいながら、携帯の液晶を眺めた真琴は思わず液晶の文字を何度も見つめた。
すぐにベッドの上にジャンピング正座をするとニマニマ顔で電話の相手の声に聞き惚れる。
いきなり真夜中にかかって来た電話に起こされた私は、今超ハイテンションだ。だって、ルッソ様だよ。本物のルッソ様からの電話なんだよ!
寝ぼけて誰?桜なの?って聞いたら、フランス語で何か言って来て笑われてしまった。
私はフランス語はチンプンカンプンよ!
でも、ルッソ様はそんなおばかな私のためにわざわざ日本語に切り替えてくれたのよね。
さすがはルッソ様だわ!!
『電話では初めましてだね。僕の日本語は分かる? まだ下手っぴぃだからね。我慢して聞いてちょーだいね。』
「わ、わかります!もの凄く分かり過ぎて私死にそうです!!」
あーもう口からも耳からも心臓が出ちゃいそうだわ。
目眩までして来た…。
息切れもだ…。
これって死んじゃうかも?
『ははは、僕の電話で君に死なれちゃ困るなぁ〜。僕はティンクの師匠ルッソ=バルトーもうすぐ60才でーす。君がティンクの大親友のチャーミングな真琴ちゃんなんでしょ?』
「!!」
ちゃ、チャーミングなんて言われちゃった!!
もう、死んでも良い!!
『だから〜今、真琴ちゃんに死なれちゃ困るんだよ〜。僕からのお願い聞いてくれるかな? これって真琴ちゃんにしか出来ないんだ〜。僕の一生のお願い頼まれてくれないかな?』
もう、ルッソ様のお願いって一生のお願いってきゃー!!
私に聞いて聞いて!!何でも叶えちゃう!!
ルッソ様のお願いの内容を聞いた私は今までお花畑だった頭の中が土気色の砂漠地帯へと変わって行った。
「ルッソ様、でも…もし桜がその事を知ったら何て言うか…。確かに私はあの時の桜の事を調べましたからティンクの事件も何もかも知ってはいますけど…。本当に(話しちゃっても)良いんですか?」
『これで彼がティンクを諦めたら、the endってことで真琴ちゃんから引導渡しておいてよ。あ、今度の僕のコンサート来るよね?チケットを送るよ〜それと君へのドレスも!チャオ!!』
あ…言いたい事だけ言って切っちゃったよ。
でも、凄い私ルッソ様と話したんだよ〜!!
あの事を本当に話すのは私も辛い。もしまた桜があの頃と同じように人前でヴァイオリンを弾けなくなったらって思ったら、足が竦んじゃうよ。
ちらりと横で珍しく酒に飲まれて茹で過ぎたスパゲティーのようになってる桜に目をやった。
いきなり今夜飲もう!討ち入り前の武士みたく電話で言って来た時は驚いたわ。
この子がこんな無茶な飲み方をするのって、大体音楽がらみなんだよね。
「ちょっと桜ったら、起きなさいよ」
「もうらめれすぅ。真琴ちゃ〜んだ〜いしゅき〜!愛してる〜」
さっきから私に愛の告白をして豊満な胸に顔を埋めているのは私の大親友の早乙女桜。
全く、私からすると桜の胸って理想なんだよね。Fカップの桜の胸は私の憧れ。
こほん、話がそれてしまったわ。私の名前は真田真澄。今隣で潰れている早乙女桜の大親友だ。
桜との付き合いは高校、大学六年間。桜は途中で留学しちゃったからね。
私達は何でも話し合える仲だったのよ。
あの城島礼が桜を私からかすめ取る前まではね!
全く、ここまで酔いつぶれる桜にも困ったものだわ。幾ら立たせようにも酔いが腰にまで来てるのか、今にも椅子から落ちそう。
ここは私と桜の隠れ家でもある有名ホテルのラウンジ。
お酒もおいしいし、交通の便もいい。後何と言ってもここは女だけで飲みに来ても安全なのよね。何しろここのラウンジでバーテンダーは私や桜の大学時代にお世話になったオケの糸井先輩だから、他の男性客からのリクだからって怪しい飲み物とかを出される事なんてないしね。
「いっくんありがと〜」
「おう!っておい!いっくんはないだろうが。ん?ところでどうしたんだぁ?うわばみの早乙女がこんなに酔っぱらうのって大学の時以来だよな」
桜はうわばみで滅多に酒に飲まれる事はない。そんな酒豪の桜が一度だけ酒に飲まれたのは、留学から帰って来た時だけだ。
凱旋帰国だとみんなに言われていたけど、桜は人の目を避けるかのようにそっと日本に帰国していた。
別人かと思うほどに窶れ、入っていたオケ部さえも帰国後すぐに退部。大事な学内演奏会を控えていたからこそ先輩達も桜に過度な期待を寄せてたから、桜の突然の退部に反感を持つ人が絶えなかった。
桜は誰にも相談せずに大学も暫く休学していた。
今思えばあれは虫の知らせだったんだわ。桜が帰って来たって言うニュースを聞いて三日ほど経ったある日、嫌な胸騒ぎがした真琴が桜のマンションに駆けつけた。
いつもならインターフォンを使うけど、この日は持っていた桜のマンションの合鍵を使って入った。
玄関には脱ぎ捨てられた桜の靴が散乱し、廊下にも点々と荷物が散らばっていた。
几帳面な桜はこんな事なんてしないのに。
私の第六感がビリビリと警告を鳴らす。急いでリビング、寝室(三部屋ある)を次々開けて、確認した。もちろんトイレも。
まさか…と思って風呂場を覗けば、丁度桜がカミソリを持って自分の喉をかき切ろうとしていた所だった。
あの時ほど合鍵を貰っていて良かったと思った事はなかった。
「死なせて!!」
骨と皮ばかりになった桜を見て、口を両手で覆った。
一瞬拒食症と言う単語が頭に浮かんだけど、虚ろな目に手首にはリスカの痕が幾つもある。
私と距離を置いていたあの二年の間に一体全体何があったの?!
桜から刃物を取り上げ、桜の実家に連絡を入れると私は呆然と床にぺたんと座っている桜を見つめた。
今まで桜の部屋の壁に飾ってあったヴァイオリンやコンサートのポスターは全てキレイに取り外されていた。そのかわり部屋の中にあったのは段ボール。
桜は泣きながらもう音楽は奏でられない。私は音楽で何もかもを失ってしまったのよと金切り声をあげて泣いて来た時には、驚いた。
どうして気づいてあげれなかったんだろう。帰国した桜の左手薬指には指輪がなかったってことに。
「ねえ、桜コレ何が入ってるの?」
桜が何か言う前にさっさと段ボールの中を明けてみれば、そこには音楽関係の物ばかりが押し込められていた。
「桜…」
「もう…弾けないの…。みんな失っちゃったの」
さめざめと涙する桜に私が出来る事と言ったら、抱きしめる事だけ。
なんてむなしいんだろう。一番の親友なのに…。
無理矢理桜を実家に連れて帰ると桜の両親が門の所で待っていた。
「真琴ちゃん…ご免なさいね」
「いえ、でも桜はどうしたんですか?欧州で何があったんですか?」
「ご免なさいね。真琴ちゃん、今は何も聞かないでやって欲しいの」
ネットで桜が毎年出演するコンサートで突然弾けなくなりコンサートをキャンセルという記事が書かれていた。
観客からのブーイングとチケット代を弁償しろと言う訴訟が次々と起っていた事を知り、一体何が桜をここまで追いつめたんだろうかと心配になった。
だって彼女らしくないのだ。いつもの桜ならこんな事はない。
以前、演奏旅行中に突然、桜の祖母のソニアが亡くなった時も気丈に演奏旅行先の舞台に立って毅然とした振る舞いで演奏を終わらせていたのに。
ねえ桜、一体あなたに何があったの?
部屋の主がいないことを良い事に家捜ししているような気分だが、これも彼女が欧州に行っている間に何があったのかを知る手がかりになる。
そう思って真琴は次々と桜の荷物を整理していった。すると、一つの箱の底にまるで隠すように母子手帳があった。
(母子手帳?確かにあの子はあの糞男と結婚したけど、子供が出来てたの?)
驚きながらもパラパラとページを捲るとフランスで出産した事が分かった。医者に見守られながら生まれたばかりの我が子を抱きしめる笑顔満開の桜の姿が写真に収められていた。
(幸せそうだ。)
思わず笑みを浮かべてしまう。
乳児検診の記録もある。結構マメな桜は子供のちょっとした様子を事細かに書いていた。それらを目にするとどれだけ桜にとってこの子は命そのものだったのかがよくわかる。
(あれ?ない…。ここにも。ここにも。何で?)
なのに…一歳以降の子供の記録がどのページにも書かれてない。
まさかと嫌な想像をしてしまったが、すぐに頭を振った。
他にも何かあるかもと思い探してみれば、桜の日記が出て来た。
日本の大学で城島と知り合った桜は城島のストーカーとも思えるほどの猛アタックに折れて結婚。本当にあんな打算な男のどこが良いのやら。
私はあの男が大嫌いだった。オケ部でも自分のミスを人のせいにするような卑怯なヤツなんだもん。
桜に彼がいた事自体知らなかった私は桜が結婚した後でその真相を聞く事になった。
あの城島が桜に自分と付き合っている事は誰にも言うなと言ってたからだと知り、もしあの時桜の彼が城島だと知っていたら、すぐに別れさせてやったのに!あんな下半身ユルユルの男に純粋培養の子羊が勝てるわけない。
それにあの男には許嫁もいたと聞くし。まあ、本人は相当嫌がっていたって言うのは有名な話。
あの男の許せない所は、自分から桜にアタックしておきながらも、桜には自分と付き合っているのは秘密にしろと言いながら、自分は蝶のように何人もの女性と付き合っていたって言うふざけた内容よ。全く女をバカにしているわ!
あいつは去勢手術行きになれば良いのよ!!
ネットも使って城島の事を調べたら、城島の新曲が桜にパクられていたと言うふざけた記事にぶちあたった。
(何コレ?)
城島が作曲?あんな男に楽曲を提供出来るほどの才能なんてあるわけないじゃないの。
もしこれが本当なら…どうして彼が大学にいた頃に曲を発表しなかったのよ。
いつもサボリで発表会とかになると必ず足を引っ張るヤツだったんだから。
考えれば行き着くとこは一つしかなかった。
『城島が桜の曲をパクった。』
『または取り上げた』
これは真相を確かめるしかなさそうだわね。
真田のイギリス支社にいる従兄弟に頼んで地元の新聞記事の内容をネットで送ってもらった。日付は桜のドタキャンコンサートを挿んで一週間前後。
英語は得意じゃなかったから、翻訳機を使っての翻訳だったけどそのお陰で何故桜が弾けなくなったのかを知る事が出来た。
その内容には目を反らしたくなるほどの物だった。そんな事をしてまでもあの男は桜から全てを奪いたかったのかと呆れてしまったわ。
時が経てば桜の心に受けた傷も塞がると言う事で、この事は私の心の中にしまう事にした。
就活を始めた桜はわりとすぐに音楽とは無関係の中小企業に入社した。
元々桜は何でも卒なくこなすからか、上司の憶え目出たく一年もしないうちに親会社である徳永音楽機器に転属となった。
音楽機器と言う事で辞令を蹴りたいと言っていた桜だったが、仕事内容が音楽とは全く無縁の総務と言うことで、最後には安心してたけど。
なのに…この新倉?なんなのよコイツは!
もう私は今、猛烈に腹が立っているんだからね。
桜とは同じ会社じゃないからあまり彼女の会社の内容が聞こえて来ないと思われがちだけど、そんなことはない。
女には女独自の情報網があるのよ。
それは合コン。
私が我が社の精悦男子に声をかけて桜の会社の女子と合コンさせる。
たかが合コンと侮る事なかれ。この合コンだけで結構な量の情報が入る。そりゃあ、みんなテーブルの所では完璧な猫被りだけどさ。一旦トイレに籠ればあら不思議。出るわ出るわの連続よ。
そんな中で桜の話題がちらほらと聞こえて来た。
なんでも坂本真弓と山田と言う社員から結構仕事を押し付けられているとか。ふ〜んってことは桜のストレス溜まりまくりなんだ。となると桜なら確実に太るな。
なら、私の新プロジェクトのモニターを桜にしてもらう事を心に決めた真琴は鏡の中の自分に向かってにっこり微笑むと、その他の情報を掴むために合コンと言う戦場へと向かって行った。




