11話 加筆(7/5)
暗闇の中。
身体がさっきから動かない。
どうしたんだろう…。
さくらはうっすらと目を覚ますと辺を見渡した。
どうやら、ここは会社の医務室のようだ。
「良かった…気がついたのね。本当に災難だったわね」
「え…ええ…」
慌てて起き上がろうとする桜を職員が宥めた。
誰だっけ、この人は…?あ、この会社の医務室に住んでるって言う御釜真澄さんだ。
男性なのに、言葉が綺麗なんだよね。
そんな処は私も見習わなきゃならないんだよ。
大体、この会社である秘書課のマナー講座の講師として、この御釜さんが出ている。何でも出自はやんごとなきお育ちだとか。道理でこの人の動作って女性以上に洗練されてるわけだ。
「あんまり動かさない方が良いわ」
「え?」
女顔で性別は男性だと言うこの人の声は本当に綺麗なアルトヴォイスだ。なんだかこの声に合わせて弾きたくなっちゃうな〜なんて思わず思ってしまった。
そう思っちゃうと、つい…ね。いつもみたく、ヴァイオリンを弾く前の運動をしようとした桜をやんわりと止めて来た。
「腕、折れてはないみたいだけど、結構強く強打したみたいね。病院に行く事をお勧めするわ」
「…あ…はい…。階段から落ちた…みたい?です」
「階段?」
「はい」
階段から落ちたと言う桜に眉を顰めた御釜さんは真剣な顔をして、桜を見つめた。
「それと病院の前に、警察に届けた方が良くってよ」
「へ?」
警察って言ったよね?
確かに腕を見ると包帯が巻かれていたし、階段から落ちたって言ったけどさ、そこまで大げさにする事はないんじゃないのかな。
それにしても、なんで首にまでシップが貼ってあるし…。
「あなた、何も憶えてないの?」
「え?」
「さっきまで魘されてたわよ、あなたが…って。それにその首の痣は誰かに首を絞められた後よ」
そう言われても、何も思い出せない。まあ夢って言うのはそう言う物だからね。抱けど首を絞められたって…穏やかじゃないよ。
それに弦を弾く側のこの左手も、弓を持つ右肩も言われてみればジクジクと痛む。
首の方は大丈夫かもと思って少し左に傾けが、それだけでも鈍痛が走る。
何で私がこんな目に遭わなきゃなんないの。
「早乙女!大丈夫か?!」
いつも冷静な課長が医務室に怒鳴り込んで来た。
髪まで乱して。
「あ…鳥飼課長…。大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「早乙女、お前、今日はもう早退しろ」
こんな面倒な事に課長だって首突っ込みたくないしね。わかるよそれ。
「は…い…」
荷物は…って思ったら、すまなそうに医務室の扉を開けて来たのは、今回の厄害の根源。新倉さんだった。
どの面下げて来たのよとムッとした表情で新倉を睨んだ。
「すまない…「……ください…」
聞こえなかったの?
思わずムッとした表情で目の前の新倉を睨んだ。
「え?」
え?じゃないわよ。みんなみんな全部あんたのせいよ…。
あんたが私を見つけたから…。あんたがいつも定時ギリギリで私に仕事を持って来るから…。
第二企画部の女子社員の中で一人浮いてしまったのも、みんなあんたのせいなんだから。
「ほ、ほっといてくださいって言ったんです! あなたのお陰でこんな怪我までさせられたのよ。もう…私に近づかないでよ。私はあれだけヴァイオリンを弾きたくないし、弾けないって嫌だと言ったのにあんたが…無理矢理弾かせようってするから…全部あんたのせいよ!!」
あれだけ弾きたくなかったヴァイオリンだったのに、弾けなくなったって分った途端、哀しくなった。
「すまない」
百二十度まで頭を下げてる人を見るのは、初めてだけどこんな事で私の気持ちは変わらない。
「あなたなんて…あなたなんて…大嫌い!顔も見たいくない!!」
ソニア…ゴメンナサイ…。
ルッソ…ゴメンナサイ…。
「すみません〜早乙女桜の身内の者ですが〜。え?あら、鳥飼さん。お久しぶり〜元気そうね」
気の抜けたような声で医務室にやって来たのは、桜の妹で早乙女蘭。
日本人形のように漆黒の長い髪を一つに括っている。
姉の桜とは違って百五十cmしかない小柄な華奢なのに結構出る所は出ていると言う、ナイスバディーな彼女はにっこりと微笑むと、鳥飼課長に近づくと頭を軽く下げた。
「いつも姉がお世話になっています。では病院に連れて行きますね。医者からも聞かれるとは思いますが、鳥飼さん、姉に一体何があったかは後でじっ〜くり、じっ〜くり聞かせてもらいますから、後で来てくださいね。ご自分の肋の数を数えておいてくださいね。ではお待ちしております」
屈託ない笑顔のはずなのに医務室の中は、吹雪が吹いているよ!!さ、寒い!
蘭ってば、さっき課長に肋の数を数えてって言ってたよね…。
どう言うこと?
「ら蘭…あなた課長と知り合いなの?」
「あー。うん。私の空手教室の生徒なのよね」
ねーって笑顔で取り繕っても、蘭…あんたの背中に黒いコウモリの翼とシッポがゆらゆらしてるのが見えるんだけど…。
まさか、蘭…課長を打ちのめさないわよね…なんて、冗談でも聞けなかった。
あの笑みは絶対やる。蘭ったら目がすわってるよ…。
あれは絶対やるって目だ。課長に肋の数を数えておけって言ってたもん。
しっかりと課長からタクシー代をせしめた蘭は「儲けちゃった〜♩」と終始ご機嫌だ。
でもちゃんとタクシーを使うところは、褒めるところだろう。
流れる風景を車窓からぼんやりと眺めてた。
「桜姉…」
「う…ん。何?」
「聞いていい?」
「……」
蘭には隠してもしょうがないから、私は城島が絡んでいる事をかいつまんで話した。案の定、蘭は笑顔で拳をギシギシってさせてるよ。
やめなさい!!
ひぃい!!
無害な運転手さんがビビってるでしょうが!
おかげで家から結構離れた場所で降りなきゃいけなくなったじゃないの!
「ごめん…桜姉…」
耳とシッポが足れたワンコみたいだ。
そんなの想像したら、怒るにも怒れないよ。
「もういいよ。蘭が私の代わりに怒ってくれるから、私はまた私になれるのよ」
本気で城島礼をシメようかと言いだして来た。
そんな蘭を白い目で見ると「冗談だから」って言ってるけど…心配だわ。本当に反省したのかとため息吐きたくなって来ちゃった。
「蘭、いくら今回のことで訴訟を起こしても相手はすでに大会社の社長に納まっているんだから無理よ。だから蘭も下手にむやみやたらに動かないで」
「あの男…桜姉をあれだけ傷つけておきながら、また細工を仕掛けて来たんだわ。最近あの男が作る曲の売れ行きが悪いって言われているし。またさくら姉を狙いに来たんだよ。あれだけ桜姉の作曲ノートを奪っておきながら…」
鼻息荒く息巻いてる蘭に社会的地位もあっちの方が上なんだから、今は何もしない方が身のためだと言い聞かせた。
「桜姉…」
「これで良かったのよ。だって、もうヴァイオリンを弾かなくてもいいんだもん…」
そうだよね…。
これで良かったんだよ。
でもなんでだろう。
視界がぼやけてるよ。
蘭にハンカチを差し出されて、初めて自分が泣いてることに気がついた。
「本当に、実家に帰らなくてもいいの?」
「ううん。だって私は自分のマンションがあるんだし。今はそこが私の城なんだよ」
「だけどさ…」
せめて腕が不自由なく動かせるようになるまでと畳み込まれるように言われ、なら…と桜が折れる感じで今回の実家行きが決定した。
桜の部屋はまだ残っているが、今はそんな気分じゃないからと妹の椿と一緒に寝る事になった。
さらさらの銀の髪を梳かしながら、椿はいつもの夜のストレッチをやるんだと百八十度に足を開脚させてる。
「椿…わたしね…椿の事が昔から羨ましかったんだよ。ソニアと同じ銀の髪に深い海の色の瞳を持ってるって。わたしはヴァイオリンしかなかったんだもん。もう…」
私の言葉に驚いた椿は青い目をぱちくりさせている。
「わたしの方こそ。桜姉…わたしはいつも桜姉が羨ましかったよ。みんなにいつも注目されて、絶賛されて。小さい頃から世界の巨匠達と一緒に堂々と同じステージに立てる桜姉が羨ましかったよ。お父さんもお母さんも桜姉のことばかりだったから」
今まで家族の事は何でも知っていると思っていた。でも椿がそんな事を思っていたなんて知らなかった。
互いに幼い頃のように同じベッドに入り、今まで語れなかった事を夜通し語り合った。
そして最後には笑い合った。
いつかこの怪我も笑って済ませられる時が来るとそう信じて、桜は重い瞼を落とした。




