大神殿への準備と【ガフワの雫】
「コココッコー!!」
またもけたたましい鳴き声で、郁乃は目を覚ました。身なりを整えて食堂へと降りていく。カルも後ろをついてきた。
「あ! 郁乃お姉ちゃん、カルちゃん、おはよう!」
「ルルちゃん、おはよう。今日も早いね」
「おはようにゃ、でもカルちゃんではなくカルだにゃ」
明るくルルに返事を返した郁乃だが、ふと食堂の隅に人がいるのに気づく。
「そこにいるのはマルコさん? ……おはようございます……どうしたんですか? なんだか顔色があまり良くないみたいですけど……」
「お、おう! おはよう! いや! なんでもない! なんでもないぞ! はは、はははは……っ!」
マルコが引きつり笑いを浮かべる。前夜、綺麗な寝顔のシンをみて「ガラムマサラ王国の第3王子・シオン様」かもしれないと気づいて以来、一睡もできなかったのだ。
(確証はない……確証はないが……もしもシオン様だったら……! 俺はなんて不敬なことをしていたのか……俺の首がいくつあっても足りない……!!)
従者のような扱いをしてきたことを思い返し、心の中で悲鳴を上げていると、シンが降りてきた。
「おはよう、郁乃……カル……マルコ」
「おはようございます、シンさん」
「おはようにゃ」
「お、おはようございますです」
いつもと違う言い方に、シンは不思議そうにした。
「……マルコ?」
「キャラ変してどうしたにゃ。昨日の激辛ドリアの痺れが残っているのかにゃ?」
カルがフスッと鼻を鳴らす。
マルコは、話題を変えようと郁乃に話を振った。
「あ、あー! ところでだ! 身分証も作れたし、まとまったお金も手に入ったわけだが……この後はどうするつもりなんだい?」
(この世界を救うのを託されたけど、具体的に何をどうしたらいいのか全然分からないんだよね……けれど……まずは……)
「はい! 実は昨日、ギルドで地図をいただいたんです」
郁乃は麻のポンチョのポケットから、折りたたんでしまっておいた地図をテーブルに広げ、とある場所を指さした。
「この王宮のある街に大神殿があると聞きました。そこに行けば、なにか導きがあるような気がしてるんです」
「王都の大神殿を目指そうというんだな」
「はい。ただ……マルコさんにはここまで本当によくしてもらった上に、そこまで連れていってもらうわけにはいかないだろうし、どうやって移動しようか悩んでいて……」
悩みをうちあけていると、ちょうど出てきたクローブおじいさんが顎ひげを撫でながら言った。
「ふむ、それなら宿の裏の物置に、直せば十分に使える古い荷車があるぞ」
「えっ、その荷車を使わせていただけるんですか?」
「ああ。孫のルルを助けてスープを作ってくれた恩返しだ。構わないとも。……それと、荷車を引くのは、アルでどうだ。あの銀狼と一緒ならどんな道も心強いはずだ」
「え! アルを? 連れて行っていいんですか? クローブさん!」
「ああ、まだタエもいるしな。しばらく貸しても大丈夫さ」
「アルによろしく頼むにゃと声をかけておいたのが本当になったにゃ」
カルが立派な尻尾をパタパタと揺らす。
静かに話を聞いていたシンが、ふとマルコの方を直視した。
「……俺も郁乃に同行させてもらってもいいだろうか?」
「な……ッ!?」
「危険な道中、郁乃を守りたい。……それに、俺の失われた記憶も、大神殿に行けば分かるかもしれない」
(キ、キターーーーッ!!)
マルコの脳内でドーパミンが弾けた。
(もし本当に第3王子シオン様なら、これ以上一緒に行動するのは生きた心地がしない。が、こちらから訳もなく放免するのは不自然だったのを自ら別れを申し出てくれた!)
「そ、そうか! おう! そうか! ふはは! いやぁ、それは俺としても大賛成だ!」
「ああ。今まで世話になった、マルコ。感謝する」
(ふう……円満解決! これで面目は保った……! 陰ながら旅の無事と王国の幸運を祈ってるからな……)
マルコは冷や汗を拭いながら心の中で深く合掌した。
「よしっ! 方針が決まったな。朝飯を食べ終わったら荷車を見るとしようか!」
マルコの仕切りで、朝食の後、一同宿の裏手へと向かった。
しばらく使われず埃をかぶっていたものの、頑丈な木組みのホロ付き荷車があった。クローブおじいさんとマルコの手慣れた手つき、シンの力仕事により、綺麗に直されていく。
流石に1日では終わりそうになく、銀狼亭にもう1泊することになった。
部屋で体を休めていると
「郁乃お姉ちゃん? いる?」
「ルルちゃん? 何かしら?」
扉を開けると、愛らしい刺繍の入ったチュニックを着てルルがいた。
「明日には旅立つんでしょ。来週お祭りがあるんだけど、これ、着ていくつもりの服なの。この姿を郁乃お姉ちゃんにも見てもらいたいと思って……」
「素敵ね、ルルちゃん! よく似合ってるわ!」
「えへへ、嬉しい! それと、これ! お母さんが奮発して買ってくれたの! お姫様気分になれるっていう女の子の憧れの化粧水なんだよ!」
その手には、手のひらサイズの小さな美しい白い陶器の小瓶がある。
「可愛い小瓶だね」
「これね、【ガフワの雫】っていうの! ほら、郁乃! 手をだしてみて!」
慎重に小瓶のコルク栓を抜くと、郁乃の手の甲に透明な液体をぽつんと一滴落としてくれた。左右の手の甲をすりあわせて肌に馴染ませてみる。 サラサラとした無色透明の、ただの水のような液体。けれど、そこから放たれる清涼感のキレは本物だった。
驚くほど上品で高貴な香りがふわりと広がった。 それは、重苦しいお香のような匂いではない。もぎたての瑞々しい柑橘の果皮を今まさに剥いたかのような、突き抜けるように爽快で、どこかエキゾチックな、胸がすっとすくような素晴らしい香りだった。
「わあ……! とても素敵な香り……!」
「でしょ! お祭りにはバッチリおめかしして、これをつけて行くんだ!」
ルルは郁乃に紹介できたことに満足し、ステップを踏むようにして部屋を離れて行った。
郁乃は手の甲に鼻を近づけ、もう一度香りの余韻に浸ってみる。
その時、扉が軽く叩かれる。
「トン、トン」
「だれ?」
扉を開くとシンがいた。部屋には入ろうとせず外にいるのは紳士的だと感じたのだが、切れ長の瞳が、見たこともないほど大きく見開かれていた。
「シ、シン……? どうしたの?」
郁乃がドギマギしていると、スッと手首を掴まれた。大きくて熱い手が、郁乃の華奢な手首を優しくしっかりと包み込む。
「シン……?」
「なんだろう……この香りは……すごく、胸が騒ぐ」
低くかすれた声で呟くと、郁乃の手の甲を、自分の鼻先へと引き寄せた。深く香りを吸い込むシンの長い睫毛が、郁乃の肌に触れそうなほど近い。手の甲に息がかかる。
「あ、あのね! さっきルルが化粧水をつけてくれて……」
慌てて説明する。しかし、シンは手首を掴んだまま、さらに一歩踏み込み、顔を覗き込んできた。
「え……?」
その時、シルバーグレーの小さな前足がスッと割り込んできた。
「何度言ったらわかるにゃ! パーソナルスペースにはいりすぎにゃ! プライバシー侵害にゃ」
カルがセージグリーンの目を光らせてシンを制止する。
シンはハッと我に返り、慌てて郁乃の手首を離した。
「す、すまない……! 俺は、いったい何を……扉の前を通ったら……香りが……」
視線が泳ぐ。
「本当にすまない、失礼した」
とあとずさりし、申し訳なさそうに急いで去って行った。
最後までお読みいただきありがとうございました!
※続きが気になった方、面白そうだなと思ってくださった方は、画面下の【ブックマークに追加】や、【評価の☆☆☆☆☆】をポチっと押して応援していただけると、執筆の物凄い励みになります!
引き続きよろしくお願いいたします。




