【鈴蘭の祝福】の開花
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「はい、お待たせ! コココのドラゴブレススープだよ!」
差し出されたスープは、どす黒い赤色をしていた。立ち上る湯気を吸い込んだだけで、郁乃の鼻とのどがカッと痛む。
「おいおい、いつにも増して赤いな……」
マルコが声を漏らす。
「……」
シンは無言で凝視している。
「……え、これ、赤すぎない?」
「え? 普通だよ? この街は辛さの痛みに耐えられるか競い合っているの。うちの銀狼亭のスープも辛さが自慢なんだから!」
ルルは胸を張る。
「先にちょっと食べてみて……」
と郁乃が促すと、ルルは勧められるままスープを一口すすり――直後、
「ふぎゃあーーーっ!! 痛いっ! 辛いっ!」
みるみるうちに涙目になり、激しくせき込んだ。
「ルル、自分で作っておいて辛いんだ。ダメじゃん……」
「だ、だって、辛くないと『パンチがない、料理人の気概が足りない』ってお客様に怒られちゃうんだもん……。 でも本当は、あたしもこれ、痛くて苦手なんだよね……」
ルルはしょんぼりと肩を落とし、スープを恨めしそうに見つめた。その姿を見た瞬間、郁乃の料理人としての魂に火がついた。
(素材の旨味が、このバカみたいな激辛のせいで全部台無しになってる……。 よし、この宿にお世話になる代わりに、この子が涙を流さずに、心の底から『おいしい』って笑顔になれる料理を、私がこの厨房で作ってあげる!)
さっき荷車でみたマルコが運んでいる素材をわけてもらう。
(『いやしの根』は、きっと『ターメリック』だ。『どくけしのハーブ』は、特徴的な葉の形と青臭いにおいからすると『パクチー』に違いない。おじいちゃん、お腹の調子を整えるデトックスにいいって言ってたっけ……)
この2つの素材を活用してルルの激辛スープをどうリメイクすべきか、学校で教わったことを必死に思い出そうと思案する。
「ええと、ええと、どうしたっけ……? 確か、ええと、ええと……」
記憶を必死に呼び覚ましていると、カルの声が響いた。
「郁乃、何を取り乱してるにゃ。 ……ミーザンは済んだかにゃ?」
(……?)
「カル、なんでその言葉を知ってるの?」
郁乃は、直立するサバトラ猫をハッと見つめた。
「ミーザン」——それは調理師学校の実習で、嫌というほど聞く言葉だ。フランス語のミザンプラス(Mise en place)を指し、器具を並べる、計量する、食材を切って下ごしらえをするなど、調理を始める前にすべての準備をしかるべき状態に完璧に整えておくことを厳しく指導されるのだ。サバトラ猫の口から出るはずのない言葉だった。
カルはフスッと鼻を鳴らし、セージグリーンの瞳を細めて言った。
「神様から加護を貰った時、郁乃の頭の中の『料理の知識』が俺にも流れ込んできたんだにゃ。だから、学校で習った言葉の意味はだいたい分かるにゃ」
「あ、そうなの……?」
(ちょっと恥ずかしい……)
「でもにゃ、郁乃。俺が言いたいのは、学校の指導のことじゃないにゃ」
カルは短い前足を腕組みするように胸の前で合わせ、また目を細めた。
「郁乃のおじいちゃんは、窓の外の俺に向かってこう言ってたにゃ。 『よしカル、今日も【段取り】は完璧だ。カレーってのはな、火をつける前の準備が大切なんだよ』ってにゃ」
「おじいちゃんが……」
「おじいちゃんの【段取り】と、学校の【ミーザン】が別々のものだと思ってるのかにゃ?」
「呼び方が違うだけで、言ってることは全く同じにゃ。聞き慣れた言葉に合わせて聞いてやったんだにゃ」
「……!」
郁乃の胸の奥に、熱いものがこみ上げてくる。おじいちゃんの料理と、学校で習うフランス料理は別物だと思い込んでいた。けれど、プロとしての本質は同じだったのだと気づく。大切な言葉が、今、カルの言葉を通してカチリと一本の線で繋がった。
「……ありがと、カル」
「ではあらためて。郁乃、ミーザン(調理イメージの段取り)は済んだかにゃ?」
「ええと、たぶん……」
「ちょっと頼りないにゃ。まぁいいにゃ」
「では、シェフ、シルヴプレにゃ!(調理開始、お願いしますにゃ!)」
学校と同じ掛け声に、身体が反射的に反応する。
「ウィ!(はい!)」
思わず声を返した瞬間、不思議な琥珀色の光が優しく郁乃の身を包み込んだ。直後、光の輝きが一気に増し、コックコートとコック帽をまとった姿へと変わっていく。
「ふえぇぇーー!?」
何が起こったのか自分の姿を確認しようと視線を落とすと、胸元のポケットに目が留まった。赤い糸の学校ロゴの刺繍ではなく、金糸のスズランの刺繍が縫われている。驚く間もなく、今度は頭の中に濁流のように知識が流れ込んでくる。マルコのホロ付き荷車の中で読んだ『あなたの知らないカレーのすべて』のイラストが、鮮明にフラッシュバックする。
(――そうか、こうすればいいんだ!)
もう迷いはなかった。オムレツ作りに失敗したようなオドオドした動きは少しも感じられない。スープの表面に浮いていた油をすくい、その油の中でいやしの根を弱火でじっくり温めていく。香気が立ち上ったところでスープ鍋へと戻す。スープを器に取り分け、仕上げにどくけしのハーブをパッと散らして皆の前に差し出した。
我ながら完璧に出来た、という確かな手応え。
高揚感に突き動かされるまま、郁乃は満面の笑みを浮かべ、凛とした声で発した。
「ボナペティ!(召し上がれ!)」
――刹那、郁乃を包んでいた琥珀色の光がふわりと霧散した。
「……え?」
コックコートとコック帽は跡形もなく消え去り、変身前のダンガリーシャツと千鳥格子のコックズボン、ピンクのスニーカー姿に戻っていた。
目の前で今起きた不思議な変身と調理の手際の良さに戸惑いながらも、まずルルが恐る恐るスープを口にした。その顔が一瞬で輝く。
「辛さがやわらいでる。お、おいしい……!」
刺激の強かった辛味が嘘のようにまろやかになり、ルルが涙目になることもなかった。
「お姉ちゃん、凄いんだね。おいしいスープをありがとう!」
ルルの笑顔が嬉しい。
「うん、これはいけるな!」
マルコも満足そうにうなずく。
「……」
シンは無口のままだが、全部飲み干していた。
見事なリメイクの成功に、郁乃はホッと胸をなでおろす。嬉しい気持ちで調理台の上を片付けていると、『どくけしのハーブ』の茎からこぼれ落ちた丸い緑色の粒が、いくつも転がっているのが目に留まった。初めて異世界で料理をした、その第一歩のメモリアルを、おじいちゃんの形見の空瓶にとどめておきたい――そんな想いが自然と湧き上がる。
「ルル、お塩、少しだけもらえる?」
「え? いいけど、どうしたの?」
「これ、今日の記念に残しておきたくて。そのままだと腐っちゃうだろうから、お塩と一緒がいいかなと思って」
「塩漬けにするんだね! 郁乃、頭いいー!」
「論理的なリスク管理というわけだにゃ!」
分けてもらった塩と一緒に緑色の粒を瓶に詰め、しっかりと封をした。この瓶に触れるたび、懐かしいおじいちゃんとの思い出だけでなく、今日の皆の笑顔を思い出すに違いない。
大切にガラス瓶をかばんにしまい、残りの片付けを済ませた。
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