第10話:正義という名の非効率。……「人道支援」の請求書、お受け取りくださいませ
「……ああ、五月蝿いですわね。音量を三割カットしてくださる?」
通信魔導具から漏れ出す絶叫――マリアンヌ様の、なりふり構わぬ泣き言。
私は耳を塞ぐことすら非効率だと判断し、リィンに指示を出しました。
画面の向こうでは、帝都の空が『アイギス』によって吸い上げられた魔力で紫色の渦を巻いています。
人々は腰を抜かし、兵士は武器を捨て、そして主犯であるエドワード様は、巨大な請求書……もとい、起動した巨神の足元で、自らの魔力を吸い取られて青白い顔で震えていました。
『助けて、エルゼ様! わたくしたち、死んでしまいますわ! あなたが何とかしてくださるんでしょう!? 元・公爵令嬢として、民を救う義務があるはずですわ!』
義務、ですか。
私は、シグルド様が剥いてくれたリンゴの欠片を一口食べ、冷淡に答えました。
「マリアンヌ様。……『義務』という言葉は、対価を支払っている者が使うものですわ。……現在の帝国は、わたくしに対して債務不履行の状態。……契約上の義務は、既に消失しておりますの」
『ひっ……そんな……! 冷たいですわ! あなたは、帝都の何十万という民が死んでもいいと言うのですか!?』
「いいえ。……何十万という労働力が失われるのは、極めて重大な経済的損失ですわ。……ですから、わたくしは『ボランティア』ではなく、『事業』として介入させていただきます」
私は指先でコンソールを弾きました。
北方の洞窟から、帝都全域に向けて巨大な魔導障壁のパッチを送信します。
「シグルド様。……出番ですわ。……あの巨神の『徴収ポート』、あなたの魔力で強引に上書き(オーバーライド)してくださる?」
「ああ。……あの不細工な貯金箱に、俺の魔力を叩き込めばいいんだな? ……少しばかり、高くつくぞ、エルゼ」
シグルド様が黄金の瞳を輝かせ、虚空に手をかざしました。
次の瞬間、帝都全域に轟音が響き渡ります。
巨神アイギスが、シグルド様の圧倒的な魔力奔流に晒され、その集金システムが「過剰入金」によって一時的にフリーズしました。
「――全市民に告知いたしますわ」
私は帝都の空に、自分のホログラムを投影しました。
「現在、帝国政府は自らの失策により、皆様の生命エネルギーを担保に借金(エネルギー徴収)を行いました。……わたくし、エルゼ・フォン・アシュバッハは、これを『肩代わり』いたします。……ただし」
帝都の人々が、空を見上げて息を呑むのが分かります。
「……これより一時間以内に、わたくしの提示する『私的自治・管理契約』に同意した地区のみ、魔力供給を安定させますわ。……同意しない地区については、引き続き、無能な皇太子の『正義』と共に、巨神に魔力を吸われ続けてくださいな」
非情な通告。
ですが、効果は絶大でした。
一分も経たぬうちに、帝都の全区長、全ギルド、そして全市民から「同意」の信号が、洪水のように私の手元へ届きました。
「……ふふ。エドワード様。……ご覧なさい。……あなたの『正義』は、わたくしの『生存保障』にあっさりと敗北いたしましたわ」
『貴様ぁ……! 卑怯な真似を……! 民の心をお金で買うつもりか!』
「いいえ。……『安心』という商品を提供しただけですわ。……さて、エドワード様。……今の介入により、わたくしは帝国に対して『緊急人道支援費用』として、さらに百二十兆ゴールドの債権を計上いたしました。……担保として、帝都の土地使用権、および行政権の五割を差し押さえさせていただきますわね」
画面の中のエドワード様が、ガクガクと膝を突き、ついには泡を吹いて倒れました。
マリアンヌ様は、もはや宝石すら放り出し、画面のこちら側にいる私に向かって必死に拝んでいます。
「……エルゼ。これで、帝都は事実上の君の『私有地』になったわけか」
シグルド様が、愉快そうに私の肩に腕を回しました。
「ええ、旦那様。……ですが、ここからが本当の『経営』ですわ。……壊れたインフラを直し、無駄な税制を撤廃し、わたくしの色に染め上げる。……あ、シグルド様。……お祝いに、今夜は北方で獲れた最高級の海産物で、豪華な夕食を計上しましょうか。……一単位の無駄も、成功報酬として還元しませんと」
「……はは。……君の報酬は、いつも高くつく。……だが、嫌いじゃないぞ」
私は、勝利の演算結果を閉じ、北方の冷たくて清々しい空気の中で微笑みました。
ですが。
わたくしの視界の端で、また一つ、新しい「ノイズ」が走りました。
――[Warning: Rival Entity Detected. Asset Value Under Observation.]
……あら。
わたくしの買収劇を、指を咥えて見ているだけの『第三者』は、もういないようですわね。
「人道支援」という名の、最も高くつく貸し。
エルゼ様の合理的な介入により、帝都はついに皇太子の手を離れ、彼女の「私有地」へと変貌いたしました。
エドワード様、ついに泡を吹いて退場……。これぞ、完璧なまでの格付け完了ですわね。
シグルド様も、彼女の「契約による世界征服」に、ますます惚れ直しているご様子。
ですが、平和な統治が始まるかと思いきや、新たな「ノイズ」がエルゼ様の計算を乱し始めます。
次回、第11話。
「隣国の『商務官』」。
ついに登場、エルゼ様と互角に「数字」で殴り合える最強のライバル、クラウディアの影が迫ります!
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