第8話:計算外の「体温」。……一単位の休息も、わたくしの資産管理ですわ
「……システム、復旧。……いえ、再起動を要請しますわ……」
まどろみの中で私が最初に発したのは、およそ令嬢の寝言とは思えない無機質な言葉でした。
重い瞼をゆっくりと持ち上げると、そこは吹雪の検問所ではなく、いつもの北方洞窟の寝室。ただし、天界から運び込ませた最高級の寝具は、今や「別の熱源」によって包み込まれていました。
「……目覚めたか、合理主義の塊」
すぐ耳元で響いたのは、低く、そしてどこか安堵を含んだシグルド様の声。
視線を動かせば、彼は私のベッドの縁に腰掛け、私の手を大きな掌で包み込んでいました。龍の体温が、冷え切った私の指先を容赦なく「最適化」していきます。
「シグルド様。……わたくし、何時間ほど『非アクティブ』でしたの?」
「六時間だ。……騎士団の契約を終えた瞬間に、君は糸の切れた人形のように倒れた。……レオンの野郎が『ボスの魂が抜けた!』と叫んで大騒ぎだったぞ」
思い出すのは、ステーキを頬張る騎士たちの笑顔と、脳内に走った赤い警告ログ。
私は溜息をつき、シグルド様の掌から手を抜こうとしましたが、彼は逆に力を込め、私を布団ごと引き寄せました。
「離してくださる? ……わたくし、まだやるべき計算が……」
「却下だ。……エルゼ、君の脳は今、熱を持った魔導炉と同じ状態だ。……このまま無理をさせれば、君という『最強の演算機』が壊れる。……それは、この俺の『所有物』が傷つくということだ。……許せると思うか?」
黄金の瞳が、至近距離で私を射抜きました。
その瞳に宿っているのは、冷酷な龍の王ではなく、ただ純粋に、私の欠損を恐れる一人の男の熱。
私は、その熱にあてられたように、再び瞼を閉じました。
「……シグルド様。……わたくしとしたことが、自分の肉体という『基本インフラ』のメンテナンスを怠るとは、経営者失格ですわね」
「……気づくのが遅いんだ、馬鹿者が。……ほら、食え。……リィンが作った特製の『脳専用・急速充填用糖分』だ」
シグルド様が差し出してきたのは、スプーン一杯の濃厚な蜂蜜。
彼が不器用に、けれど丁寧に私の口元へ運ぶのを、私は拒むことができませんでした。……ええ、これは単なる「栄養補給」という名の義務ですわ。決して、彼に甘やかされるのが心地よいからではありません。
甘い蜜が喉を通ると、焼き付いていた脳が、ゆっくりと冷却されていくのを感じました。
「……シグルド様。……わたくしが寝ている間、騎士団の方々は?」
「……。連中、今朝から洞窟の入り口で、交代で雪かきをしている。……『自分たちの契約主が寝込んでいるのに、寝ていられるか』だとさ。……君が与えた肉と金は、奴らの『忠誠』という名の非合理を呼び覚ましたらしい」
私は、ふっと微笑をこぼしました。
論理と利害で結んだはずの契約が、私のあずかり知らぬところで「感情」という名の利息を生んでいる。……これもまた、わたくしの計算式にはない、面白い誤算ですわね。
「……ふふ。……ならば、彼らには追加の『特別病欠見舞い金』として、明日の朝食に最高級の果物を支給してあげてくださる? ……あ。シグルド様、その……」
「なんだ?」
「……わたくしの演算機能が回復するまで……。その……体温の共有を、継続することを……許可いたしますわ。……一単位の温もりも、無駄にするのは……非効率、ですので……」
私は、シグルド様の腕の中に、自分から深く潜り込みました。
彼の胸から聞こえる、力強く、そして穏やかな鼓動。
それは、どんな複雑な数式よりも、今の私を安心させるリズムでした。
しばらくして、私はリィンが持ってきた「帝都の定点観測データ」を、シグルド様と共に眺めました。
そこには、騎士団を失い、完全にパニックに陥った皇居の様子が。
「……エルゼ。エドワードの野郎、ついに『開けてはいけない箱』に手を伸ばしたようだぞ」
「……。帝国宝物庫に眠る、古代の自律型魔導兵器……。わたくしが、その維持コストを懸念して封印し続けてきた、呪われた『負債』ですわね」
私は、シグルド様の腕の中で、冷徹な瞳を取り戻しました。
準備は、すべて整いましたわ。
エドワード様。……わたくしを捨てるだけでなく、ついに『未来の破産』まで確定させようというのですか。
よろしいですわ。……その壊れた玩具ごと、わたくしが根こそぎ「スクラップ価格」で買い取って差し上げますわよ。
「温もり」さえも「効率」という名の理由で受け入れる、不器用なエルゼ様……。
シグルド様による「強制的なメンテナンス(看病)」は、彼女の冷徹な計算機に、また一つ新しい「例外(愛)」を書き込んだようです。
しかし、一文無しになったエドワード様、ついに「禁断の魔導兵器」を起動させるという、最大の悪手を指してしまいました。
物語は、経済戦争から、ついに「物理的な最終決戦」へと加速いたしますわ!
次回、第9話。
「空っぽの金庫の正体」。
エドワード様が頼った兵器には、エルゼ様が仕掛けた「恐ろしい爆弾」が……!?
エルゼ様の「看病ざまぁ」と、物語のクライマックスに期待してくださる方は、ぜひブックマークをポチッとお願いいたしますわ。
皆様の評価が、エルゼ様の次なる「デバッグ」の精度を高めますのよ!




