第6話:不純物への「再教育」。……時給の見直し、なさってはいかが?
「――死ね、冷血令嬢!」
漆黒の夜、北方の洞窟に設置された私の執務室。その天井から、影が三つ、音もなく舞い降りました。
月光を吸い込むような、鈍い光を放つダガーが私の喉元へ迫ります。
「……リィン。計算通り、三秒遅い介入ですわね」
私はペンを置くことすらなく、手元の帳簿に数字を書き込み続けました。
ダガーの先が私の肌に触れる寸前――。
「――主の邪魔をするな。不愉快だ」
低い、地を這うような声。
次の瞬間、暗殺者たちの身体は「見えない圧力」によって床に叩きつけられました。シグルド様が指先一つ動かさず、ただ魔圧を放っただけで、洞窟内の重力が数十倍に跳ね上がったのです。
「ガ……ハッ!? な……なんだ、この化け物めいた魔力は……!」
「シグルド様、殺さないで。……彼ら、まだ『利用価値』がございますわ」
私は椅子を回転させ、床に這いつくばる三人の暗殺者――帝都の「影のギルド」に属する一級の刺客たちを、無機質な視線でスキャンしました。
視界の端に、彼らの「市場価値」と「推定年収」が数値となって浮かび上がります。
「……名前は不要ですわ。あなた方の『時給』、おいくらですの?」
「……はぁ? 何を言って……」
「エドワード様、あるいはその取り巻きから、わたくしの首にいくら提示されましたの? 十万ゴールド? それとも五十万? ……ふふ、笑わせないで。その程度の端金で、伝説の龍がいるこの地に命を懸けるなんて。……あなた方、算数が壊滅的に苦手なようですわね」
私は扇子を広げ、リィンに用意させていた「新規雇用契約書」を彼らの目の前に放り投げました。
「現状、あなた方の仕事におけるリスクとリターンの比率は、一対一億を超えています。……つまり、死ぬ確率に対して報酬がゴミ同然だということですわ。……わたくしが提案するのは、今の報酬の十倍。さらに、最新の魔導防具の支給と、三食昼寝付き。……そして何より、わたくしという『潰れない雇用主』の下での、安定したキャリアプランですわ」
「な……十倍……!? 十倍だと!? 嘘をつけ、そんな予算がどこに……!」
「あら、ご存知ないのかしら。わたくし、先ほど帝国中央銀行のオーナーになりましたのよ? 帝国中の金貨の動きは、すべてわたくしの指先ひとつで決まるのですわ」
暗殺者たちは、顔を見合わせました。
彼らが狙っていた相手が、単なる追放令嬢ではなく、国家を買い叩いた「化け物」であることに、ようやく気づいたようです。
「……で、どうなさる? そこで無益な死を遂げて、ゴミとして処分されるか。……それとも、わたくしの『資産管理部・隠密局』の正社員として、正当な対価を受け取るか。……わたくし、非効率な殺戮は嫌いですけれど、不採用通知(死)を出すことに躊躇いはありませんわよ?」
シグルド様が、愉しげに瞳を細め、魔圧をさらに一段階強めました。床の石材がミシミシと悲鳴を上げ、暗殺者たちの骨がきしむ音が聞こえます。
「わ……分かった! サインする! サインするから、その圧力を解いてくれ!」
一分後。
床には、震える手で血判を押した三通の契約書が並んでいました。
「……賢明な判断ですわ。……シグルド様、解放してあげて」
重力が一気に元に戻り、暗殺者たちは酸素を求めて激しく喘ぎました。しかし、彼らの瞳にはもはや殺気はなく、代わりに「福利厚生」への期待が宿っています。
「さて、隠密局の皆様。……初仕事ですわ。……帝都へ戻り、わたくしの代わりに『噂』を広めてきてくださる? ……内容は簡単。『アシュバッハ領では、働いた分だけ金が出る。……そして、エルゼ様を裏切った者は、経済的に消滅する』と。……特に、給与未払いで不満が溜まっている帝国騎士団の耳に入るように、ね」
「……御意、ボス。……いや、社長」
影たちは、入社式を終えた新入社員のような、どこか晴れやかな顔で闇に消えていきました。
「……エルゼ。君は、殺し屋すらも『部品』として買い取るのか」
シグルド様が呆れたように、けれど愛おしそうに私の隣に座りました。
「あら、旦那様。……一級の隠密を育成するには、十年以上の歳月と莫大な訓練コストがかかりますわ。それをただ殺すなんて、損失以外の何物でもありませんもの。……わたくしは、彼らというリソースを『最適化』しただけですわよ」
「……はは。……やはり、君には敵わないな。……だが、エルゼ。……少しは自分の身体も労わってはどうだ? ……数字ばかり見て、眉間に皺が寄っているぞ」
シグルド様が、大きな温かい手で、私の眉間をそっと撫でました。
その瞬間、私の計算式が、ほんの一ミリだけ、非論理的な方向に揺れ動きました。
「……シ、シグルド様。……そういう不要なスキンシップは、演算のノイズになりますので、お控えくださいませ」
「……ふん。……ノイズか。……なら、もっと増やしてやるとしよう」
黄金の瞳が、悪戯っぽく輝きました。
準備は、すべて整いましたわ。
エドワード様。……あなたが送り込んだ「死」は、わたくしの王国を支える「力」に変わりました。
次はいよいよ、あなたの国を守るべき「盾」……帝国騎士団を、わたくしの資金力で買い叩かせていただきますわよ。
暗殺者を「正社員」に引き抜く――。
エルゼ様の合理主義は、もはや倫理や恐怖といった枠組みさえも軽々と超えていきました。
シグルド様も、彼女の「人をリソースとして扱う冷徹さ」の中に、妙な人間味を感じ始めているようですわね。
一方、雇い主(社長)となったエルゼ様。
次なるターゲットは、給料が払われず、お腹を空かせた帝国騎士団の皆様です。
「騎士の誇り」は、果たしてエルゼ様の提示する「厚遇な給与明細」に耐えられるのでしょうか……?
次回、第7話。
「騎士の誇りと雇用契約」。
お腹を空かせた最強の騎士団に、エルゼ様が極上のステーキ(と契約書)を振る舞います。
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