第5話:エドワード様、その契約書……よく読みまして?
「――何だと? 決済が降りないとはどういうことだ!」
帝国中央銀行の重厚な応接室に、エドワード様の怒号が響き渡りました。
彼の前には、隣国から緊急輸入した魔石の山と、その代金の支払いを求める商人たち。そして、真っ青な顔で震える銀行頭取が立ち尽くしています。
「も、申し訳ございません、エドワード殿下! 殿下が引き出そうとされた『国家予備費』ですが……現在、全額が『アシュバッハ信託』による担保権の行使により、凍結されております!」
「担保権だと!? ふざけるな、あれは皇室の資産だぞ!」
「それが……三年前、帝都が洪水に見舞われた際の復興資金として、アシュバッハ家から融資を受けられた際……エドワード殿下ご自身が『予備費を担保にする』という条項にサインをされておりまして……」
頭取が差し出した羊皮紙の写しを見て、エドワード様の顔から血の気が引いていくのが分かりました。
そこには確かに、彼の流麗な署名と、エルゼ・フォン・アシュバッハの冷徹なまでの『実印』が押されていたのです。
――同時刻。北方の封印地、贅を尽くした執務室。
「……ふふ。リィン、エドワード様の顔色を遠隔魔導鏡で確認してくださる? おそらく、わたくしが愛用している最高級のブルーベリージャムよりも、もっと毒々しい紫色になっているはずですわ」
私は、シグルド様が淹れてくれた二杯目のコーヒーを楽しみながら、空中を浮遊する数多の「債権書類」を眺めていました。
「左様でございますね。……あ、今、殿下が頭取の胸ぐらを掴みましたわ。非効率な暴力ですね、一回につき五千ゴールドの慰謝料を追加しておきます」
リィンが淡々と手帳に書き込みます。
私の隣で、退屈そうに指先で小さな炎を転がしていたシグルド様が、低く笑いました。
「エルゼ。貴様、三年前からこの『追放』を予見して動いていたのか? だとすれば、あの皇太子は最初から君の掌の上で、破産までのカウントダウンを踊らされていたわけだ」
「あら、旦那様。……わたくしはただ、最悪の事態に備えて『保険』をかけていただけですわ。……彼がわたくしを追放せず、真面目に政務に励んでいれば、この条項が発動することは一生ございませんでしたのよ?」
私は扇子を閉じ、窓の外に広がる氷の世界を見つめました。
雪はシグルド様の魔力によって統制され、今やこの地は、帝都のどの庭園よりも美しく整えられています。
「シグルド様。……わたくし、可愛げがないと言われるのは心外ですけれど、『無駄』が嫌いなのは事実ですわ。……愛だの、伝統だのというあやふやな定規で国を測り、数学的な真実を無視した結果がこれです。……エドワード様は、わたくしを捨てたつもりでしょうけれど、実際に彼が捨てたのは『帝国の倒産を止める唯一のブレーキ』だったのですわ」
私は立ち上がり、コンソールを操作して、ある「コマンド」を実行しました。
「さて。銀行が予備費を差し押さえられたということは、帝国中央銀行の自己資本比率は一気に危険水域に達します。……リィン、あらかじめ準備しておいた『資本注入』を開始なさい。……帝国中央銀行の株式、市場価格の二割引きで全株買い叩きますわ」
「かしこまりました。……買収完了まで、あと三、二、一。……おめでとうございます、エルゼ様。本日を以て、あなたは帝国の通貨発行権と全銀行口座の『実質的な所有者』となられましたわ」
シグルド様が、感心したように私の腰を引き寄せ、黄金の瞳を細めました。
「……はは。……神でも龍でもなく、一人の令嬢が、紙切れ一枚で帝国を『買った』か。……エルゼ、君の隣にいると、戦場での殺し合いが、あまりに安っぽい余興に思えてくるな」
「あら、旦那様。……暴力は、交渉が決裂した後の『最終清算』に取っておいてくださいな。……今はまだ、わたくしの『計算書』が、彼らをじわじわと追い詰める様を楽しんでいただきますわ」
私は、帝都へ向けて一通の魔導書簡を飛ばしました。
『――拝啓、エドワード殿下。
お支払いが滞っているようですので、わたくし共「アシュバッハ・ホールディングス」が、貴殿の銀行を買い取り、再建をサポートさせていただくことにいたしました。
ついては、明日より王族の皆様のお小遣いを「現状の九割削減」とさせていただきますので、ご了承くださいませ。
追伸:マリアンヌ様のドレス代、わたくしの計算では既に、彼女の身分では三回ほど人生をやり直さないと返せない額になっておりますわよ?――』
準備は、すべて整いましたわ。
エドワード様。……あなたが愛を語るその口を、わたくしの「請求書」で塞いで差し上げますわ。
「お小遣い、九割削減」。
エルゼ様の経済制裁は、ついに王族の「財布」にまで到達いたしました。
神や龍といった神秘の力ではなく、ただの「契約書」と「計算」で国を買い叩く姿……。
シグルド様も、この「物理を使わない無双」に、すっかり魅了されているご様子です。
しかし、全てを失ったエドワードが、マリアンヌと共にどのような「無謀な反撃」を試みるのか。
窮鼠猫を噛むといいますが、エルゼ様の監査から逃れられる穴は、果たして存在してまして?
次回、第6話。
「不純物への『再教育』」。
エルゼ様の元に送られた暗殺者たちが、なぜか「高給取りの労働者」に作り変えられる!?
エルゼ様の「ロジカル・ざまぁ」にシビれた方は、ぜひブックマークをポチッとお願いいたしますわ。
皆様の評価が、エルゼ様の「次の企業買収」の資金になりますのよ!




