第19話:最下層からの叫び。……「戻りたい」? 無理に決まっておりましょう?
地上の世界は、祝福の青い光に包まれていました。
旧宮殿の廃材を再利用して建設された「新中央管理塔」。その最上階から見下ろす帝都は、幾何学的な魔力回路が宝石のように光り輝き、凍えていた街に新しい命を吹き込んでいます。
ですが、その輝きの直下――かつて「牢獄」だった地下最深部には、光も届かぬ淀んだ絶望が溜まっていました。
「……エルゼ。……そこに、いるのだろう?」
地下独房の分厚い鉄格子の向こう。
一組の魔導通信機の前に、這いつくばる影がありました。
エドワードです。
炭鉱での労働ですら「非効率」と判断された彼は、いまや新システムの稼働テストにおける「生体魔力抽出の被験体」……つまり、この建物を動かすための電池代わりという、最低限の役割を与えられていました。
『あら。……作業員EB-001。まだ意識があったのね』
通信機から響く私の声は、水晶のように透明で、そして絶対的な温度を欠いていました。
「エルゼ……! ああ、君の声だ! 頼む、このモニター越しではなく、直接会いに来てくれ! 君の美しい銀髪を、もう一度だけ近くで見せてほしいんだ!」
『お断りいたしますわ。……わたくしのドレスは現在、特殊な魔力コーティングが施されておりますの。……あなたのような汚染された魔力の持ち主を近づけるだけで、わたくしの計算式に「ノイズ」が走ってしまいますもの』
「計算……ノイズ……っ。まだそんなことを言うのか! 私は後悔しているんだ! あの夜、君を追い出したことがどれほどの大罪だったか、毎日、この暗闇の中で数えているんだ!」
エドワードは、血が滲むほどに拳で床を叩きました。
「マリアンヌは偽物だった! 彼女の涙も、愛も、すべてはレムスの王子の台本だったんだ! だが、君との時間は本物だっただろう!? 十年も一緒にいたんだ! 二人で語り合った未来を、もう一度だけ……やり直せないか!」
やり直す。
……ふふ。なんと、時間の価値を理解しない、傲慢な言葉かしら。
『エドワード様。……あなたは、一度こぼしたインクが、自然に瓶の中へ戻るとでも思っていらして?』
「それは……」
『わたくしにとって、時間は「投資」ですわ。……あなたに捧げた十年間は、残念ながら「焦げ付き融資」として既に損切り(ロスカット)を済ませております。……現在のわたくしには、シグルド様と共に築き上げる、一秒で数億ゴールドの価値を生む新しい未来がございますの』
モニター越しに、シグルド様が私の肩に手を置く気配が、エドワードにも伝わったのでしょう。
彼は獣のような叫び声を上げ、通信機に縋り付きました。
「嫌だ! 認めないぞ! その男の隣は、私の場所だったはずだ! エルゼ、私を見てくれ! 君が好きだった、あの頃の私の名前を呼んでくれ!」
『……EB-001。……あなたの個体識別番号なら、何度でも呼んで差し上げますわよ』
「名前だ! エドワードと呼べ!」
『いいえ。……わたくしのシステムに、エドワードという名の変数はもう存在いたしません。……それは、わたくしを「可愛げがない」と切り捨てた瞬間に、あなた自身が消去した名前ではありませんか』
私は、モニターの向こう側に映る、痩せこけて瞳の光を失った「かつての王子」を、哀れむことすらなく眺めました。
『戻りたい、とおっしゃいましたわね。……残念ながら、わたくしの辞書に「巻き戻し(アンドゥ)」というコマンドはございませんの。……それに、物理的にも不可能ですわよ』
「……何?」
『あなたが今いるその場所。……来週には、新システムの「廃魔力処理槽」として埋め立てられることが決定しております。……つまり、あなたが立っている足場そのものが、わたくしの新しい帝都を支えるための「土台」に変わるのですわ』
「埋め立て……!? 私がここにいるのにか!」
『ええ。……価値を生み出さない古い物質は、基礎として固めてしまうのが最も効率的な処分方法ですもの。……あなたの最後の役割は、わたくしたちの楽園の「縁の下の重石」になることですわね。……ふふ、ようやく誰かの役に立てるのだから、光栄に思いなさいな』
「待て! やめろ! 助けてくれ、エルゼ! 私は……私はまだ生きているんだ! 私は……っ!」
絶叫が響き渡る中、私は優雅な指先で、通信機の「終了」ボタンを押し込みました。
プツン、という小さな音と共に、地下からの悲鳴は遮断され、部屋には再び、北方の穏やかな調べだけが満ちました。
「……エルゼ。本当に、慈悲というものが欠片も無いな。君は」
背後から、シグルド様が愉しげに笑い、私の髪を掬い上げました。
「あら、シグルド様。……わたくし、合理主義者ですもの。……不要なノイズを遮断するのは、快適な生活のためのマナー(エチケット)ではありませんこと?」
「ふふ、違いない。……さあ、行こうか。……君の戴冠式の準備が整った。……かつて君を蔑んだ者たちが、いまや君の足元の土になる。……最高の結末じゃないか」
私は、シグルド様の腕に手を添え、窓の外の青い輝きを見つめました。
下界の叫びは、もう届きません。
わたくしたちの世界には、光と、数字と、完璧な秩序だけがあればいいのですから。




