文章を書くという経験
これは読む読まれないではなく、書く書かないの話である。
個人的にだが、今すぐAIについて書け。というHOTな話題がある。
AIをどう思うのか。AIを使うことについてどう考えるのか。そんなことを、自分の言葉で書いてみる。
それはAIに書かせたりまとめさせたりしない。(個人の自由なので、当然してもいいけど、まずしないでほしい。自分の言葉のみで構築したものに沸き立つドーパミンがある)
こういう話題が盛り上がっている今だからこそ、文章を書いてみたいと思っている人には、かなり大きなチャンスなんじゃないかと思う。
たぶん、これは「自分の意見をぶつける最後のチャンス」なのかもしれない。
AIは、当たり前に一般化する。
今はまだ、AIについて人それぞれ違う意見を持っている。使ったほうがいいと思う人もいれば、使いたくない人もいる。便利さを評価する人もいれば、何かしらの危うさを感じている人もいる。
でも、みんな薄々気付いてるAIを捨てて生活をするのは不可能。(だから反対派の人は、今強い行動力を示してるのかと思ってる)
つまりそれは「自分はどう思うのか」を考える余地があるということだ。
でも、AIが当たり前になったら、きっと今とは違う。そんな疑問すら浮かばなくなる。
スマホを持って生活するのが当たり前のように。
それに、日本には「ダメ、絶対」という、ものすごく強い言葉がある。
なぜダメなのかを考える前に「ダメなものはダメだから」と納得してしまうし、それに意見する人はマイナスなレッテルを貼られる。
そういうことは、たぶんこれからAIについても起こる。
「AIを使ってはいけない」
そんな言葉が当たり前になったとき、どうして使ってはいけないのかを考える人は、今より少なくなるかもしれない。
もちろん、逆もある。
「AIを使えばいいじゃん」ということが当たり前になって、どうしてそれを使うのか、どこまで使うのかを考えなくなることもある。
だからこそ、今のうちに一度、自分の意見を書いてみる意味があると思う。
しかも、文章を書くというのは、頭の中で考えているだけとは少し違う。
書き始めたときには「自分はこう思う」と思っていたのに、文章にしていくと、「あれ、ちょっと違うかもしれない」となることがある。
自分の意見を述べる。
それを文章としてまとめる。
そして、書いているうちに自分の意見が少し変わる。
それこそが人に堂々と胸を張って主張できる意見。
この経験そのものが、文章を書く面白さなんじゃないだろうか。
胸を張って主張できる意見というのは間違ってもいい。今の世の中間違ってもいいは最強のツールの一つ。
なぜなら、自分で構築した意見は自分で壊すこともできる。意見は普遍だからだ。
だから、文章を書くのが苦手な人にも、今は一度書いてみてほしい。
特に、文章を書くことには興味があるけれど、自分の文章を世に出すのが恥ずかしい人。
ネットで創作をしてみたいけれど、最初の一歩がどうしても踏み出せない人。
そういう人にとって、AIを題材にして書くことは、案外いい入口になると思う。
「AI関係のことだと荒れるし、こんなことを書いて大丈夫かな」と考えるかもしれない。
でも、今はAIについて語ること自体が一つの話題になっている。
誰もが何らかの意見を持ち始めているからこそ、自分の考えを文章にしてみる意味がある。
最初から立派な文章を書く必要はない。
人に評価されるような意見である必要もない。
まず、自分が今どう考えているのかを書いてみる。
そして、できるならそれを誰かに見せてみる。
ネットに出してみる。
そこから何かが始まるかもしれない。
AIについて書いていたはずなのに、気がつけば「文章を書く」ということそのものを経験している。
自分の考えを言葉にする。
言葉にしたことで、自分でも気づかなかった考えに気づく。
書き終わったときには、書き始める前と少し違う自分になっている。
それだけでも、書く意味はあると思う。
何度も言うが、AIはこれから当たり前になる。
そうなったとき、「AIについてどう思う?」と聞かれても、今ほど立ち止まって考えることはなくなるのかもしれない。
だから今、書いておく。
AIについての正解を残すためではない。
今の自分がAIについてどう考えていたのかを、自分の言葉で残すために。
そして、文章を書いてみたいと思っていた人が、最初の一歩を踏み出すきっかけとして。
今のAIモラルを取り巻くこの空気は、文章を書き始めるには面白い時期なのかもしれない。




