「持たざる老人」にならないための、ささやかな生存戦略
街のデジタル化が進む一端で、スマートフォンの操作が分からず、駅の券売機や役所の窓口で立ち往生している高齢者の姿をよく見かける。
それを見るたび、胸の奥がざわざわとすることがある。
それは同情というよりも、数十年後の自分たちの姿を鏡に見るような、切実な危機感に近い。
世間では今、AIの進化やその是非について喧々諤々の議論が交わされている。
生成されたイラストの権利がどうだとか、人間の仕事が奪われるだとか、議論のレイヤーは様々だ。
しかし、自分たちが真に目を向けるべきは、もっと泥臭く、確実にやってくる「自分たちの老後」という現実ではないだろうか。
したくないけど、想像してみてほしい。
自分たちが高齢者になったとき、社会のインフラを支え、医療や介護の現場で働いているのは、生まれたときからAIが隣にいた「AIネイティブ」の世代だ。
彼らはAIに相談し、AIと共に思考し、AIを前提とした圧倒的な効率性という高速の時間の中で生きている。
その世界で、「私は昔からAIなんて信用していないから」と頑なに拒絶する老人が現れたらどうなるか。
それは単なる「こだわり」では済まされない。今の時代に「ネットは怖いから繋がない、連絡はすべて手紙にしてくれ」と若者に要求するのと同じ、凶暴なまでの「他者へのコストの押し付け」になってしまうのだ。
AIなら一瞬で済む行政手続きや意思疎通のために、貴重な若者の生身の労働力と時間を奪うこと。それこそが、未来における「老害」の新しい定義になるのかもしれない。
自分たちが今やるべきことは、AIを使いこなしプロフェッショナルになることではない。
新しいテクノロジーを「悪」と決めつけて思考を止めないこと。
変化していく社会のインターフェースから、必死に目を背けないことだ。
未来の若い世代に、気持ちよく支えてもらうために。
そして社会の片隅で言葉の通じない「持たざる老人」になってしまわないために。
自分たちは今から、この新しい道具の手触りを、嫌悪せず、恐れず、確かめ続けていく必要がある。
オレは将来寝たきりになった時「今日は宇宙旅行しましょうねー」とさとされながら、窓枠いっぱいに生成された宇宙の映像を見ながらぼーっとしてたい。




