無責任の温存 ~最近の謝罪文には辞書を引かないと読めない漢字が紛れ込んでいる~
「酒の席のことだから」
この言葉は、現代社会においてもっとも機能している「免罪符」の一つだ。
理念や建前の上では、誰もが「酔っていたからといって責任が軽減されるべきではない」と知っている。
だが、酔いによる記憶喪失を言い訳にした謝罪の文章は、日本人ならば物心付く前から目にし、耳してきたのは事実だ。
飲酒が理性を奪うリスクは事前に予見できたはずであり、それを言い訳にすることは倫理的に許されない、というのが私たちの共通認識だ。
しかし、実際の社会運用に目を向けると、この理念はあっさりと敗北している。
家族や友人間ならいざ知らず。
タレント、アーティスト、警察、司法、企業の労務、あるいは地域コミュニティの揉め事の現場で、「酔っていた」という言い訳は、むしろ積極的に温存され、使われ続けているのだ。
なぜか。
理由は実にシンプルだ。
それが実務において「あまりにも便利だから」である。
誰かの重大な責任を問うには、「最初から悪意や故意があったか」を証明しなければならない。
これには膨大な時間とコストがかかる。
だが、加害者が「酔っていて覚えていない」と言い、処理する側も「酒の席の過失」として処理すればどうだろうか?
悪意の証明という泥沼のステップをスキップして、話を素早く着地させられる。
さらに「普段は良い奴だが、酒のせいで暴れた(だから酒が抜ければ元に戻る)」という“フィクション”を共有することは、コミュニティの現状復帰を早めるための、最悪だが、手っ取り早い交渉ツールとしても機能する。
社会のルールを決めるマジョリティたちが、「自分もいつかやるかもしれない」と互いに免罪符を貸し借りしている側面もあるだろう。(現代の心のマフィアとも言える現象だろう)
理念としては絶対に否定されているものが、実務のコストカットのために机の下で握りしめられている。
この歪んだ構造を眺めていると、ふと一つの不気味な予感が胸をよぎる。
自分たちは今、これとまったく同じ道を、別の道具を使って爆走しているのではないか。そう、人工知能(AI)という道具だ。
AIが間違った情報や有害な出力を吐き出したとき、開発者やユーザーは「ハルシネーションを起こした」と言い訳をする。
理念としては「不正確なものを社会に出すべきではない」はずだが、実務レベルでは「AIの性質上、確率論的に嘘をつくのは仕様である」という免罪符がすでに成立しつつある。
「酒の言うことだから」が、「AIの言うことだから」に置き換わっているのだ。
さらに、AIの判断プロセスはブラックボックスである。
なぜその不祥事が起きたのかを完全解明するのは不可能に近い。
だからこそ、トラブルが起きた際に「AIが勝手にやった」ということにしてしまえば、組織や人間の「悪意」や「怠慢」を証明する泥沼のプロセスを回避できる。
お酒のせいにすれば人間の責任を煙に巻けたように、AIのせいにすれば人間の罪を隠蔽できる。
社会はすでに、「AIのミスは一切許さない」という厳格な理念を適用するのを諦めつつある。
なぜなら、それをすると業務の効率化がストップしてしまうからだ。
「多少の倫理的・法的なグレーゾーンには目を瞑ろう。だってAIを使わないと、これからの社会は回らないのだから」という、実務上の「共謀」が始まっている。
お酒は人間の「理性を麻痺させるツール」だった。しかしAIは、人間の「責任を麻痺させるツール」になり得る。
かつて人間が「お酒のせい」にして有耶無耶にしてきたあらゆる社会の歪みや責任逃れは、これからは「AIの仕様ですので」というスマートな言葉でコーティングされ、なし崩し的に温存されていくのだろう。
きれいごとの裏で、泥臭く妥協の免罪符を回し続ける人間の本質は、テクノロジーがどれだけ進化しても変わらないのだろう。




