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自作品について色々語ったり、執筆について色々書いたりする。ブログが作るのが面倒臭いからここに集約する。  作者: ふん


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19/22

配信文化が荒れてきている理由を自分なりに考えてみた

配信文化というもは「若者文化」から「全世代文化」に移行中なのか

◯承認の変換期——配信者たちの中年の危機


 人間は歳を取ると、求める承認の形が変わる。

 若い頃は「おバカで面白いやつ」として笑われることに喜びを感じていたのに、年齢を重ねるにつれて「人生を知っている賢い人」として見られたいという欲求が芽生えてくる。


 自分のケースで言うと、B級モンスターパニック映画を無駄に装飾した言葉でレビューすることかも知れない。


 この変換期は、アイデンティティの再定義を迫られる不安定な時期だ。

 男性で言えば「中年の危機」という言葉がある。

 そして今、配信業界で起きている「荒れ」は、まさにこの変換期の症状なのではないだろうかと思うことがある。

 消費される面白さから、尊重される深みへ


 若い頃の承認は、ある意味シンプルだ。「ちょっと抜けてる」「勢いある」「バカやってる」——無邪気さや消費される面白さで承認される。

 これは手軽で、即効性があり、量産できる。

 笑顔にあふれる思い出だ。


 しかし歳を重ねると、同じ行動が徐々に痛々しく見え始めることが増えてくる。

 一方で自分の中には「人生経験は確実に増えている」という実感がある。

 知識も増え、視野も広がり、若い頃には見えなかったものが見えるようになっている。

 ここで「おバカで面白い」から「人生を知っていて賢く見られたい」という承認の軸の切り替えが起きる。

 問題は、この移行が決して自動的には起こらないことだ。


 男の中年の危機とよく言われる現象と、配信文化の荒れは構造がほぼ同じに思える。

 若さ・勢い・役割を失うか、あやふやになり始める。

 でも「自分はまだ何者かでいたい」という欲求は消えない。

 だから語りたくなる。教えたくなる。評価されたい。そして軽く扱われると嫌な気分になり、小さく爆発したものが、視聴者の小さな爆発を誘発し、そこらで爆発する。

 小さくても、煙と音が聞こえていてれば、全く関係のない人達からは、煩わしいものだと思われるのが世の常だ。




◯最もきついズレ


 この変換期で何が一番荒れるかというと、自分と他者の認識のズレだ。

 自分は「もう浅く笑われる存在じゃない」と思っている。

 でも周囲——視聴者や世間——はまだ前の役割を求めてくる。「あの頃の○○が見たい」「昔は面白かったのに」という声が聞こえてくる。

 このズレが一番きつい。

 自分の中では成長し、深みを得たはずなのに、周囲はそれを認めてくれない。むしろ変化を裏切りのように受け取られる。


 配信者の場合、この痛みはさらに過酷だ。数字、コメント、切り抜き、炎上――そのすべてが即座に可視化される上に、SNSで瞬く間に広がる。

 それは言葉通り、瞬きをした一瞬の間に広がるのだ。


 承認欲求が剥き出しになる環境で、承認の形が変わろうとしている。

 拒絶されるたびに、それが具体的な数字として突きつけられるのだ。



◯なぜ今、配信が荒れがちなのか


 配信文化が長寿化した。

 初期から走っていた人たちが一斉に「変換期」に入っている。

 2010年代前半にニコニコ動画やYouTubeで活動を始めた配信者たちは、今30代後半から40代に差し掛かっている。

 しかし視聴者は常に若返る。

 求めるノリは変わらない。

 インターネットには常に新しい10代、20代が流入し、彼らは「早く、軽く、面白い」コンテンツを求める。

 結果として「本人は賢く、深く扱われたい」対「視聴者は軽く、早く、面白さを消費したい」という衝突が起きる。

 これが、説教臭く見える。プライド高く見える。荒れてる、拗ねてる、攻撃的に見える——という現象につながる。のではないだろうか。

 本人は真面目に伝えたいことがあるのに、視聴者には「昔の面白さを失った説教おじさん・おばさん」に映ってしまう。



◯残酷だが大事な分岐点


 この変換期には、明確な分岐がある。

 わかりやすく言えば、テレビのMC(司会)だ。

 それが報道番組であれ、バラエティであれ変わらない。

 うまく乗り換えられる人は「深みのある人」になる。

 若い頃の面白さを捨てずに、経験から来る洞察を加える。承認の質が変わることを受け入れ、「笑われる」から「頼られる」へ、「驚かせる」から「安心させる」へと移行する。


 乗り換えられない人は「過去に縋って荒れる人」になる。昔の成功体験を手放せず、変化を拒否し続ける。

 あるいは変わりたいのに変わり方がわからず、宙ぶらりんのまま苦しむ。


 そして誰も手取り足取り教えてくれない。承認の形を変える方法に、マニュアルはない。自分で試行錯誤し、痛みを伴いながら探すしかない。


 たまにだが、よく見かけるという、矛盾した言葉の体験の一つに「性格が悪くなった」といいうコメントがある。

 自分が思うのは――「ではなく」だ。


 だから今、荒れている配信者を見るとき、「性格が悪くなった」「天狗になった」と断じるのではなく、「承認の置き場を探して迷子になっている」と見ると、かなり腑に落ちる。

 彼らは悪人になったわけではない。

 ただ、かつて自分を支えていた承認の形が機能しなくなり、新しい承認の形をまだ見つけられていないだけだ。

 その過渡期の不安定さが、攻撃性や説教臭さ、あるいは過剰な自己主張として表れているのだ。

 配信者の「荒れ」は、個人の問題であると同時に、配信文化全体が成熟する過程で必然的に訪れる痛みでもある。

 インターネットという舞台で承認を得て生きることの、避けられない副作用なのかもしれない。

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