惑星迷子のパイロット版の一話。
海外ドラマでよくある世話焼きな女性と、問題を引き起こす男という構図にしたかったけど
【星間トラブルメイカーズ】って仮タイトルが浮かんだ時に、トラブル起こす人物は多いほうがいいなと思って、惑星迷子の三馬鹿方式に決定したはず。
宇宙はあまりに静かすぎた。
星々の光がガラス越しに瞬くたび、【鈴音ラン】は自分が小さな船の中に閉じ込められていることを思い知らされていた。
長い茶色のウェーブの髪をガラスに映し、反射する自分越しに孤独が広がる宇宙を眺める。
だが、彼女は恐怖ではなく、不思議な安堵を抱いていた。向かいにいる彼の存在が、それを与えてくれているからだ。
「なぁ……ラン」
彼の声がカフェの低いざわめきを切り裂くように響く。
「もし、この航海が終わっても……また、一緒にいられると思う?」
ランの指が、カップの縁で止まった。窓の外には、漆黒の闇を切り裂くように青白い彗星の尾が流れていく。彼女の胸も同じようにざわめいた。
――答えを返せば、ふたりの関係は変わってしまう。
その瞬間が、すぐそこまで迫っているのをランは感じていた。そうして、答える前にコーヒーカップに砂糖を注いだ。ティースプーンに一杯、二杯と飲めないコーヒーを甘くしていく。まるでこの甘い味が答えかのように。
しかし、ランがコーヒーカップに口をつけた途端――
「うえぇぇぇっ!」彼女はすぐさま吐き出し「コウイチ!!」と叫んだ。
叫ばれた名前は向かいに座る、吐き出されたコーヒーで汚れた顔の彼のことではない。同僚で悪友である【スペンサー・皇一】のことだ。
砂糖入れに入っていたのは、砂糖でもなければ古典的な間違いの塩でもない。
それは――胡椒だった。そして、このカフェで雑務をしているのがコウイチだった。
ランはコウイチの姿を見つけると、すぐさまシャツの胸元を掴み、古い漫画のヤンキーさながらに彼を揺らした。
「どうやったら砂糖と胡椒を間違えるのよ!」
ランはまくし立てながらも何度も咳とくしゃみを繰り返していた。
「間違ったんじゃない。今日から入れ替えたんだ」
コウイチは肩をすくめる余裕顔。
「なんでよ!」
「オレのくしゃみを『豚が鳴いたみたい』って言った奴に復讐するためだ」
ランは一瞬呆然とした。確かにコウイチのくしゃみは独特だった。
普通の人の「ハクション」ではなく、どうしても「ブヒー」と聞こえてしまう。
「あぁ……あの豚っぽいくしゃみね」
「豚っぽくない!」
「確かに豚っぽいわよ。私も最初驚いたもの」
コウイチがそう言った瞬間、ランは瞬時に理解した。
彼は『今日から入れ替えた』と言っていた。
つまり、ランの席だけではなく、全部の席に置かれた砂糖入れに胡椒が入っているということになる。
ランが振り向いたその時、まるでそれがスイッチかのように、店の中にいるほとんどの人間が、くしゃみか咳、もしくは両方をしながらむせはじめた。
「ちょっと待て……まさか全部?」
「当たり前だろ。どの席に座るかまではわからないんだから」
カフェテリアは一瞬で戦場と化した。
あちこちで咳き込む声、くしゃみの大合唱、そして混乱に乗じてテーブルにぶつかる音が響く。
「今回は別にランを狙ったわけじゃない。ターゲットは別だ。なぁ、見ろよ。実にたまらないだろう……」
コウイチはランの手を振りほどくと、ある一人の男の元まで歩いていく。その男は床でのたうち回っていた。
「数日前、キミは通りすがりにしたオレのくしゃみに過剰反応したね」
コウイチは嫌味な笑顔でしゃがむと、男の後頭部を見下ろした。
「豚が鳴いたみたいって言っただけだろう……」
「そうか。だが床をのたうち回るキミのほうがよっぽど豚みたいだと思うが」
コウイチは連絡端末のカメラアプリを開くと、男の姿を写真に収めた。
復讐に満足したコウイチは満足げに去っていこうとしたのだが、店内はまだ胡椒が舞っているせいで、出ていく時に鼻を刺激されて――
「ブヒー!」
またしても豚っぽいくしゃみが響いた。
「……やっぱり豚が鳴いたみたいだ」
ランのデート相手が正直に口からこぼした瞬間、彼女は男に別れを告げた。
「ちょっと待って、なんで? 友人を侮辱したから怒ったの?」
男は何度も謝ったが、ランは首を横に振った。
「違うの。巻き込まれるのはゴメンなのよ……。コウイチは地獄耳よ。次のターゲットはあなた。今日の惨状を見たでしょう?」
ランはあっさりと別れを告げると、その足でコウイチを追いかけ、後ろ姿が見えた途端に蹴りをかました。
「なにをする! バカ女!」
「こっちのセリフ! 何回デートぶち壊したと思ってるのよ!」
「言わせてもらえば、飲めないコーヒーを見栄を張って飲まなければ、ランには被害が及ばなかった」
「今回は度が過ぎるのよ! 私だけじゃない、カフェテリア中の人を巻き込んで!」
ランの怒りは今までとは違っていた。いつもなら軽口を叩いて済ませるところを、今回は本気で怒っていた。
「たかが胡椒だろう? 死にやしない」
「たかが? たかがですって?」
ランは声を荒らげた。カフェテリアにまだ残っていた数人の客が振り返る。
「あなたのせいで、私のデートは台無し。お客さんたちは咳き込んで苦しんで、掃除の人たちも大変な目に遭って……それが『たかが』なの?」
「オレは復讐しただけだ。先に笑ったあいつが悪い」
「一人の復讐のために何十人も巻き込んだのよ!」
コウイチはフンっと鼻を鳴らした。
「ランには関係ないことだろう。オレとあいつの問題だ」
「関係ないですって? 私も被害者よ! それに――」
ランは言いかけて止まった。そして深く息を吸うと、冷たい声で言った。
「もういいわ。あなたとはもう一緒に仕事したくない」
「は?」
「聞こえなかった? もう一緒に働きたくないって言ったのよ。【働きアリ】の部署異動願い出すから」
コウイチは呆気にとられた。
今まで何度も怒らせてきたが、ランがここまで怒ったのは見たことがない。
「ちょっと待てよ、ラン……」
「待たない。さようなら、スペンサー・皇一」
ランはフルネームで呼び捨てにすると、その場を立ち去った。コウイチは慌てて追いかけようとしたが、足が動かなかった。
それから三日が過ぎた。
ランは本当に部署異動願いを出していた。
コウイチは一人でカフェテリアの雑務をこなしていたが、どうも調子が出ない。
いつものように小さないたずらをしても、ランがいないと面白くないのだ。
そんな時、コウイチの前に現れたのは、例のくしゃみを「豚みたい」と言った男だった。
「おい、オマエのせいで俺は三日間も咳が止まらなかったんだぞ」
男は怒っていた。当然のことだだ。
「それがどうした?」
コウイチは相変わらず不遜な態度で返した。
「医務室で薬をもらったが、副作用で声がガラガラになった。おかげで今度のプレゼンテーションが台無しだ。責任を取れ」
「知らないよ」
「知らないじゃ済まない! それに、オマエの相棒はどこだ? あの茶髪の女も同罪だろう」
コウイチの表情が変わった。
「ランは関係ないだろう」
「関係ないって? オマエらいつも一緒じゃないか。今回だって――」
「ランは、関係ないって言ってるだろう!」
コウイチの声が低くなった。男はその迫力に少し後退ったが、引き下がらなかった。
「そんなわけないだろう。あいつも同じ部署だし、オマエのやることを知ってたはずだ」
その時、コウイチは初めて気づいた。ランが本当に怒った理由を。
彼女は巻き込まれることを怒っていたのではない。
自分の身勝手な復讐で、無関係な人たちを傷つけたことを怒っていたのだ。
そして今、この男がランまで同罪だと言っている。
「おい」
コウイチは男の胸ぐらを掴んだ。
「ランはオレの復讐なんて知らなかった。あいつはオレのせいで巻き込まれただけだ。同罪なんかじゃない」
「離せよ!」
「ランに迷惑をかけたのはオレだ。あいつは被害者だ」
男は暴れたが、コウイチは離さなかった。
「二度とランのことを悪く言うな。分かったか?」
男は慌てて頷いた。コウイチが手を離すと、男は慌てて逃げていった。
一人残されたコウイチは、ぺたりとその場に座り込んだ。
「オレ、なにやってんだ……」
その夜、コウイチはランの部屋の前に立っていた。
手には宇宙船内のコンビニで買った最高級アイスクリーム【ガニメデ・バニラ】を持っている。
一個500クレジットもする高級品だ。
ひとつ細い息を挟むと、勇んでドアチャイムを鳴らした。
「はーい」
ドアが開くと、ランが顔を出した。パジャマ姿で、髪はゆるく結んでいる。
「なに?」
すぐに声は冷たくなった。
「これ」
コウイチはうつむいたままアイスを差し出した。
「賄賂?」
ランは腕を組んだまま睨み続けている。
「違う。謝罪だ」
ランは眉をひそめた。
「コウイチが謝るなんて珍しいじゃない。どこか体調悪いの?」
「ランが怒った理由がわかった」
「あら、やっと理解したの?」
「オレが身勝手だった。ランを巻き込んで、他の人たちも傷つけて……」
コウイチは珍しく素直に謝った。ランは少し驚いた。
「それで? アイス一個で許してもらえると思ってるの?」
「思ってない。でも、これしか思いつかなかった」
ランは少し考えて、アイスを受け取った。
「入りなさい。話を聞いてあげる」
ランの部屋は意外にも片付いていた。コウイチは恐る恐る中に入る。
「座って」
ランはソファを指した。
「あのな、ラン……」
「アイス、一緒に食べましょう」
ランは台所から二本のスプーンを持ってきた。
「え?」
「ガニメデ・バニラでしょ? 一人で食べるには贅沢すぎるわ」
二人は並んでソファに座り、アイスを分け合って食べ始めた。
「うん、美味しい」
「だろ? 給料の半分飛んだ」
「バカね。そんなに高いもの買わなくても良かったのに」
しばらく無言で食べ続けた後、コウイチが口を開いた。
「ラン……異動取り消せないのか?」
「なんで?」
「一人だと つまらない」
「は? つまらないって何よ」
「いたずらしても、ツッコんでくれる奴がいないと面白くない」
ランは呆れた顔をした。
「私はあなたのツッコミ要員じゃないわよ」
「違う。そうじゃなくて……」
コウイチは言葉を探した。
「ランがいないと、オレのバカさ加減を止めてくれる奴がいないんだ」
「今さら何よ」
「今日、あの男がランも同罪だって言ったとき、初めて気づいたんだ。オレはいつもランを巻き込んでた。でも、ランは毎回オレを止めようとしてくれてたんだろ?」
ランは少し驚いた。コウイチがそんなことを考えていたなんて思わなかった。
「まぁ……そうね」
「オレ、一人だとどんどんエスカレートしちゃうんだ。ランがいないと、歯止めがきかない」
「そんなの自分でコントロールしなさいよ」
「できない。オレにはランが必要なんだ」
コウイチは珍しく真剣な顔をしていた。
「でも、今回みたいにランを傷つけるくらいなら、一人の方がいい」
ランはアイスを食べながら考えた。
「コウイチ」
「なに?」
「私がいないと歯止めがきかないって言ったけど、逆もあるのよ」
「逆?」
「私も、あなたがいないとつまらないの」
コウイチは目を丸くして驚いた。彼女の口からそんな言葉が出るとは思わなかったからだ。
「ランが?」
「毎回デートをぶち壊されて腹は立つけど、でもちょっと期待してる自分もいるのよ。今度はどんなことしてくるんだろうって」
「マジで?」
「マジよ。私の恋愛が長続きしないのは、きっとコウイチのせいもあるけど……でも、それで構わないと思ってる自分もいる」
コウイチは呆気にとられた。
「なんで?」
「どの男も、あなたほど私を理解してくれないから」
「理解って?」
「私がどんなときに機嫌が悪くて、どんなときに本気で怒ってるか。何を言ったら傷つくか、何をしたら喜ぶか。あなたは全部知ってるでしょ?」
コウイチは考えた。確かにランのことは何でも知っている気がする。
「それって……」
「だから、今回みたいに本気で怒ったとき、すぐに分かってくれるのもあなただけ」
ランはアイスの最後の一口を食べた。
「でも、条件があるわ」
「条件?」
「これから無関係な人を巻き込むような復讐は禁止。やるなら一対一でやりなさい」
「わかった」
「それと、私のデートを邪魔するのも、月一回まで」
「月一? 多すぎない?」
「じゃあ二ヶ月に一回」
「……わかった」
ランは立ち上がった。
「じゃあ、異動願い取り消してくるわ」
「本当に?」
「でも、今度同じことしたら、今度こそ本当に異動するからね」
コウイチは安堵の息を吐いた。
「ありがとう、ラン」
「お礼はいらない。でも……」
「でも?」
「今度からもうちょっと高級なアイス買いなさい。ガニメデ・バニラなんてケチくさい」
「え? あれ500クレジットもしたんだぞ?」
「土星リング産の【ミルキーウェイ・スペシャル】は1000クレジットよ」
「ぼったくりだろそれ!」
「謝罪の誠意を見せなさい」
「オレの給料考えろよ!」
翌朝。
二人は【ゼロライド】で宇宙船内を移動していた。重力制御された廊下の上を静かに滑る浮遊バイクの後部座席で、ランはコウイチの背中に寄りかかりながら、昨日の続きを話している。
「それで、データ解析課の課長に『気が変わったので異動を取り消します』って言ったら、すごく嫌な顔されたのよ」
「そりゃそうだろ。無駄な仕事増やされたから」
「あなたのせいでしょ。責任取りなさいよ」
「どうやって?」
「今度の給料日、回転寿司おごり」
「宇宙船の回転寿司なんて、どうせレプリカフードだろ」
「文句言わない。これでも安く済ませてあげてるのよ。本当は焼肉食べ放題って言おうと思ったんだから」
ゼロライドは宇宙船の長い廊下を滑るように進んでいく。窓の外には相変わらず星々が瞬いて、静寂な宇宙が広がっている。
だが、この二人にとって、互いにツッコミを入れ合うこの日常こそが、宇宙で最も騒がしく、そして最も安心できる音楽なのだった。
「そういえばコウイチ」
「なに?」
「昨日、あのくしゃみを馬鹿にした男から連絡が来たのよ」
「は? ランに?」
「『もうあなたたちには関わりたくないので、今後一切近づかないでください』って」
「……オレ、なにか言ったかも」
「何を言ったの?」
「覚えてない。でも、ランのことを悪く言ったから、ちょっと脅した」
「ちょっとって?」
「胸ぐら掴んで『二度とランのことを悪く言うな』って」
ランは背中に顔を埋めて笑った。
「私を守るために喧嘩するなんて、いい弟じゃない」
「弟? オレが?」
「でも、私の弟は豚っぽいくしゃみをするのよね」
「豚っぽくないって言ってるだろ!」
「その女神様って私のこと?」
「違う」
「じゃあ誰よ」
「企業秘密だ」
「ケチ」
窓の外で彗星がまた一つ、長い尾を引いて流れていく。二人の会話も、その彗星のように、どこまでも続いていくのだった。
惑星迷子の一話↓
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