エピローグ 婚約者は男の娘
○ エピローグ
私がこの王都にやって来て、もう結構な月日が経っていた。
とはいえまだ半年も過ぎてはいない。これからも学園生活は続いていくし、この貴族社会のしがらみが壊れたわけではない。
星光祭が終わった次の日も、やはり同じように私達は教室の最後列に陣取っていた。
下級生徒のたまり場。
もはやスコッティやリリィ、ルック、そしてフェロと一緒に黒板からもっとも遠いここで授業を受けるのがすっかり馴染んでしまっている。
まあ不自由はないから別にいいのだけれど。
今日も今日とてリリィは教室の鞄に持ち込んだマンドラゴラとこそこそ独り言のように会話している変な子になってるし、スコッティは自慢の長髪をまるでドリルのように天高く纏めて整髪剤で固めており、教室にタケノコのインテリアが導入されたのかと目を疑う格好をしている。その元凶であるルックはというと、「それをすれば髪に頭が体ごと引っ張られて背が伸びるんだ」なんていう出鱈目を至極真面目な顔で言い聞かせている。スコッティも何一つ疑うことなく信じているからまた滑稽だ。
――そりゃ変人グループだって思われるわよね。
そんなことを思いながら、唯一の常識人であるつもりの私は一限目の授業の準備をしていた。
「おはよう」
ふと声をかけられ、私は顔を持ち上げた。
ライゼだった。
席は一番前のはずなのに、どうしてこんな最後列にまで来たのか。初めてのことに、私は思わず心を身構える。
そんな私を気にもかけない風に、ライゼは私の隣の空いていた席に腰掛けたのだった。そして何の気もないように教科書などを出し始めた。
「……?」
小首を傾げる私よりも更にざわついたのは、教室の前の方に座っている生徒達だった。誰もが驚いた顔で振り返り、ライゼを見やっている。
「お、おいライゼ。どうしたんだ?」と、長ネギが信じられないといった風に尋ねる。
「ああ。いや、なんだ。今日はここで授業を受けたい気分だったんだ」
爽やかにライゼはそう答える。
「あら。だったら私はどいたほうがいいかしら」と私がわざとらしく言うと、ライゼは参ったような顔で、
「俺が来るのはイヤかい」と苦笑を浮かべた。
「別に。イヤではないけれど、お偉い貴族様と並ぶには私のような下級貴族じゃないほうがいいかと思って」
「ははっ。参ったな」
教科書を机に並べながら、ライゼは困り顔を浮かべてつぶやく。けれどその声調はどこか、いつもよりも楽しそうに弾んでいる気がするのはきのせいか。
「俺も、俺なりのやり方で変わろうと思ったんだ」
ぼそり、私にだけ聞こえるように小さくそうライゼが呟いた。
昨日の今日で随分と殊勝になったこと。
変わるも何も、ただ席を変えただけ。けれどもたったそれだけのことなのに、教室はざわついて、いつもとは違う雰囲気になっていた。
前の方にいた生徒達が少しずつ立ち上がり、そしてライゼのいる後方へと席を移動し始めている。一人、また一人、やがてぞろぞろと集団が動き始め、気がつくと教室の後ろ半分にほとんどの生徒が密集する羽目にまでなっていた。
最後まで取り残されていた長ネギと彼の友人数人も、ぽつんと取り残され、やがて気まずそうな顔を浮かべながら少し後ろの席へと移っている。
こんなことは初めてだ。
これまで見向きされていなかった下級の私達の周りに人だかりができている。
――極端すぎるでしょ。とは思うけれど、まあいい。
ライゼが変わって他の生徒達もちょっとだけ変わったということだろうか。
いや、本質はまったく変わっていないのだろう。けれどそれは、間違いなく一つの変化ではあった。
スコッティは賑やかになってどこか嬉しそうにニマニマしている。それに反してリリィは挙動不審に落ち着かない様子で、鞄の中のマンドラゴラに「どどどどどうしようっ?!」と助けを求めてる。ルックにいたっては相変わらず頭に鳩を乗っけながら、我関せずとばかりに黙々と読書を続けていた。
私達は良くも悪くもそのまんまだ――と思ったけれど、そうでもないらしい。
「あら? どうしよう。教科書を忘れたみたい」
「ああ。それじゃあ俺のを――」
隣に座ったライゼがそう言って教科書を取り出そうとした時、私と彼の間にすっと割って入ってきた人がいた。
フェロだ。
無言で無理やり私達の狭い間に入り込んでくると、ライゼとの間を裂くように椅子へと腰掛け、鞄から教科書を取り出して見せた。
「はい、ユフィ。これを使って」
「あ、ありがと……フェロ」
「うん。任せてよ」
えへっ、と笑顔を浮かべるフェロ。
とても優しい彼の親切かと思ったが、フェロは席に座ったきり、まるですぐ隣にいるライゼに背を向けるかのように一瞥もせず、私ばかりを見ていた。突然遮られたライゼも困惑しているほどの図々しさっぷりだ。
「フェロ。ここに入られると狭いんだが」
「僕はあまり困らないよ」
ライゼに言われてもフェロは平然とそう返す。
これまでのおどおどした弱気はあまり無い。雰囲気の違いはライゼも感じ取ったようだ。
「反対側が普段のキミの席だろう」
「今日はこっちの気分なんだ」
「じゃあ、俺は狭いからそっちに座ろうかな」
がたりとライゼが席を立って私の反対側に回りこむと、フェロも同じように回り込み、やっぱり私とライゼの間にすとんと座る。
なんというか。
まるで独占欲を漏らした子供みたいだ。
けれどそれもどこか可愛らしくて、私はついほくそ笑んで眺めていた。
「まったく。何なんだ、フェロ」
「そっちこそ」
あくまでもライゼに食い下がるフェロが、ふと私を見て胸を張るように言う。
「ユフィの隣は譲れない。たとえライゼでも。だって僕は……ユフィの婚約者だから!」
力強いフェロの言葉に、私は不意に胸の奥がぐらりと揺さぶられたような気がした。びっくりして、息が詰まるようだった。心なしか鼓動が早くなってきて、耳元が少し熱い。
どうしてだろう。
最近、やっぱりフェロを見ているとこうなることがある。あの演劇の時に庇われてから特にそうだ。
「……ねえ、フェロ」
「なに?」
可愛らしい円らな瞳を向けて、私の婚約者が顔を覗きこんでくる。ちょっとそれから目を背け、私はその気恥ずかしさを誤魔化すように明るく言った。
「ちょっと昨日のスカートに着替えてきてくれないかしら。もっと女装力を高めて立派な女の子力を磨きましょう!」
「ええっ?! いや、僕はユフィに寄り添えるくらい男らしく……」
「そんなのいいから! 私好みの可愛い男の娘になってちょうだいよ!」
「えええっ?!」
やっぱり私がほしいのは、とても可愛い女の子みたいな婚約者。女の子が大好きだし、そうじゃないと絶対にイヤ。これ以上男らしくなる必要なんてどこにもない。たとえ、フェロがそんな変化を望んでいても。
だって。
――そうじゃないと、私の痛いくらいドキドキする胸がもちそうにないもの。
終
ご愛読ありがとうございます!
この度めでたく完結しました!
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