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「作者の死」から考える、AI小説におけるAIの立ち位置について  作者:


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物書きとしての体力の無さをAIで補強する

 ここまで語ってみてつくづく、自分は物書きとしての体力が無いなあと痛感しています。

 まず、一般的な知識が無い。よってさまざまな事柄を見ても「ふーん」と素通りしがちである。なんか、世の中の出来事は自分とは関係の無い事情で動いているような、そういう感じで生きている部分もあるので。それは社会不適合者ではないかと誰かが言っている気がしますが、違うと思う。作家活動不適合者なんだと自分では思っています。


 で、そもそもの話ですよ。AI小説は、アリか無しか。そういう意見に対しては、私はこう答えます。

「ある無しじゃなくて、現に存在するからね。法律で禁止されないかぎり、それは存在し続けるよ。何なら法律で禁じられても存在するよ。世の中を見たらわかるだろうけど」と。


 前回の話に戻ると、作品というときに4者関係がある。

・作品

・作者

・読者

・AI


 作者じたいが連綿と続く文化の背景を持った存在である以上、その人物によって書かれた作品たるや、あらゆる事象の寄せ集めであることは否定できない事実。となれば、AIが生成した作品もまた、作品たりえるのではないか。なぜならAI小説もまたネット上にある情報(人間の知)の寄せ集めなのだから。


 では、作者とAIを同一視してもよいものか。明らかに同じものとは言い難い。

 AIは、作者の体力不足を補強する道具のようなものと言えないだろうか。


 つまり、AIを使うと作者は体力以上の作品を仕上げる。そこが、AIを使わない作者からドーピングの使用のように思われ嫌悪されるのではないだろうか。


 そう。結局、ドーピングが禁止されていない場では、ドーピングした方が成果を出せるのであれば、使いたい人は使うだけなのだ。当サイトでは、自己申告の義務があるにせよ。


 次回は、読者としてはどうしたらいいんだろうという話をしようかと思います。


***


 思っている事をそのまま語りました。もう散々語られた内容かもしれませんが。

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