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第8話 先輩たちの優しさ

 大学祭まで、あと三週間。


 星ヶ丘大学は、完全に大学祭モードへと変わっていた。

 中央広場にはステージ。

 正門には巨大な看板。

 各学部の建物には装飾。

 学生たちが、それぞれの場所で準備を進めている。

 普段から広い大学が、いつも以上に広く感じる。


「藤堂!」

「はい!」


 実行委員の先輩に呼ばれる。


「この資料、学生会館まで持っていってくれる?」

「分かりました」

「助かる!」


 資料を受け取り、学生会館へ向かう途中。


「晃」

「ん?」


 颯太が追いついてきた。


「お前、また仕事?」

「そう」

「働きすぎじゃね?」

「そうでもない」

「いや、絶対働きすぎ」


 直人も後ろから歩いてくる。


「藤堂は頼まれたら断らないからな」

「そうなんだよ」

「二人とも大げさだ」

「大げさじゃない」


 颯太が俺を見る。


「お前、昔からそうだったの?」

「……」


 一瞬。

 足が止まりそうになる。


「昔?」

「いや、なんとなく」

「……どうだろうな」

「そっか」


 颯太はそれ以上聞かなかった。

 その気遣いがありがたかった。


 学生会館。

 資料を届ける。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 戻ろうとすると。


「藤堂くん」

「?」


 振り返る。

 結衣先輩だった。


「これから実行委員室?」

「はい」

「じゃあ一緒に行こう」

「分かりました」


 二人で歩く。


「最近、忙しいね」

「そうですね」

「ちゃんと寝てる?」

「寝てます」

「食事は?」

「食べてます」

「無理してない?」

「大丈夫です」


 結衣先輩が微笑む。


「それ、みんなに言われてるでしょう?」

「……まあ」

「藤堂くんは、頼られると頑張りすぎちゃうから」

「そうですか?」

「うん」


 少しだけ間が空く。


「でもね」

「はい」

「頑張ることと、無理することは違うよ」

「……」

「辛いときは言ってね」

「ありがとうございます」


 先輩は優しく笑った。


「それだけ覚えておいて」


 実行委員室。

 俺が戻ると。


「遅かったわね」


 葵先輩が言った。


「資料を届けてました」

「そう」

「何かありました?」

「これ」


 葵先輩が大量の紙を置く。


「……多いですね」

「そうね」

「これ全部?」

「全部」

「今日中ですか?」

「そう」

「分かりました」


 俺が椅子に座ろうとすると。


「待って」

「?」

「それ、私もやる」

「でも」

「一人でやる必要ないでしょう」

「……」

「あなた、すぐ一人で抱えるから」


 葵先輩が向かいの椅子に座る。


「ほら」

「……ありがとうございます」

「礼は終わってから」


 二人で作業を始める。

 しばらく無言。

 紙をめくる音だけが聞こえる。


「藤堂」

「はい?」

「あなたは」

「?」

「人に嫌われるのが怖い?」

「……」


 手が止まる。


「急にどうしたんですか?」

「なんとなく」

「……」


 俺は少し考えた。


「昔は」

「ええ」

「怖かったです」

「今は?」

「……分かりません」

「そう」


 葵先輩はそれ以上聞かなかった。

 しばらくして。


「私もね」

「はい」

「人と距離を取ることがあるの」

「先輩が?」

「ええ」

「意外です」

「そう?」

「はい」


 葵先輩は少し笑った。


「私は、誰とでも仲良くできるタイプじゃないから」

「でも人気ありますよね」

「そういう話じゃないわ」

「すみません」

「ふふ」


 先輩が笑う。


「ただね」

「はい」

「一度信頼した人は、大切にするほうだと思う」

「……」

「だから」

「?」

「あなたが私を頼ってくれるなら、私はちゃんと応える」

「……ありがとうございます」


 胸の奥が、少し温かくなった。


 昼休み。


「藤堂くん!」


 莉奈が駆けてくる。


「一緒に食べよ!」

「いいよ」

「やった!」


 その後ろから花音。


「私もいいですか~?」

「もちろん」


 心春も。


「私もです!」


 凛も。


「……私も」


 さらに。


「俺たちは?」


 颯太。


「当然いる」


 直人。


「……多いな」


 俺が呟く。


「今さらでしょ」


 莉奈が笑う。

 中央広場のベンチ。

 みんなで昼食を食べる。


「そういえば」


 花音が口を開く。


「大学祭の前日に前夜祭がありますよね?」

「あるな」


 直人が答える。


「今年は結構大きいらしい」


 颯太が続ける。


「ステージでライブとか、イベントとかやるんだろ?」

「そうそう!」


 莉奈が頷く。


「しかも今年は一般の人も結構来るらしいよ」

「へえ」


 俺は資料を見る。


「……あ」

「どうした?」


 直人が聞く。


「前夜祭の警備担当、俺たちの実行委員が手伝うことになってる」

「マジか」

「うん」

「じゃあ忙しくなるな」

「そうだな」


 その瞬間。


「藤堂くん」


 結衣先輩が声をかける。


「前夜祭の日、少しお願いがあるんだけど」

「何ですか?」

「私と一緒に会場を回ってほしいの」

「分かりました」


 莉奈の箸が止まる。


「……」


 心春も。


「……」


 凛も。


 花音だけは。


「ふふ」


 楽しそうに笑っている。


「何?」


 莉奈が花音を見る。


「なんでもないですよ~」

「……怪しい」


 心春が結衣先輩を見る。


「先輩、二人で回るんですか?」

「うん」

「そうですか……」


 心春の声が少し小さくなった。

 凛は何も言わない。

 ただ。

 俺を見ている。


「藤堂」


 葵先輩が口を開く。


「前夜祭は忙しくなるわよ」

「分かってます」

「なら、覚悟しておいて」

「はい」


 俺は知らなかった。

 この前夜祭が。

 俺たちの関係を大きく変えることになるなんて。


 放課後。

 実行委員室。


「じゃあ、前夜祭の担当を決めるね」


 白石先輩がホワイトボードに名前を書いていく。


「会場案内」

「藤堂くん」

「はい」


「桜井さん」

「はい!」


「橘さん」

「はい~」


「天野さん」

「はい!」


「星野さん」

「はい」


「小鳥遊さん」

「はい」


「瀬戸くん」

「おう」


「それと私」


 結衣先輩。

 メンバーはほぼ全員。


「結構大掛かりですね」


 俺が言う。


「うん」


 結衣先輩が頷く。


「一般のお客さんも来るからね」

「分かりました」


 準備が進む。

 その途中。


「藤堂」


 葵先輩が俺の隣に来る。


「はい?」

「前夜祭の日」

「はい」

「桜井たちが忙しくしている間、少し時間を借りてもいい?」

「もちろん」

「そう」


 葵先輩はそれだけ言った。


「何をするんですか?」

「当日まで秘密」

「……?」

「楽しみにしておいて」


 珍しく。


 先輩が少し楽しそうに笑った。


 帰り道。


「晃先輩!」


 心春が追いついてきた。


「ん?」

「一緒に帰ってもいいですか?」

「いいよ」

「ありがとうございます!」


 二人で歩く。


「先輩」

「ん?」

「前夜祭、楽しみですね」

「ああ」

「私、実はこういうイベント好きなんです」

「意外だな」

「そうですか?」

「もっと家でゆっくりしてるタイプかと思ってた」

「私、結構アクティブですよ?」

「そうなのか」

「はい!」


 心春が笑う。


「だから」

「?」

「先輩と一緒に回れたらいいなって思ってます」

「……」

「でも」


 心春は少しだけ寂しそうに笑った。


「先輩、みんなに頼られてますから」

「……」

「私だけっていうのは、無理ですよね」

「天野」

「はい?」

「別に、一緒に回ればいいだろ」

「……え?」

「時間が合えば」

「本当ですか?」

「ああ」


 心春の顔がぱっと明るくなる。


「約束ですよ!」

「分かった」

「絶対ですからね!」

「ああ」

「……ふふ」


 心春が嬉しそうに笑う。


 その夜。

 俺は部屋で前夜祭の資料を確認していた。


 スマホが鳴る。


【桜井莉奈】

『前夜祭の日、楽しみだね!』


 返信する。


『そうだな』


 すぐに返信が来る。


『藤堂くんは誰と回るの?』


 少し考える。


『仕事だから、みんなと』


 既読。


 しばらくして。


『そっか』


 それだけだった。

 次に。


【白石結衣】

『明日の資料、確認しました。ありがとう』


 そして。


【天野心春】

『今日はありがとうございました!』


【星野凛】

『前夜祭、楽しみですね』


【小鳥遊葵】

『明日、少し早めに来て』


 俺はスマホを眺める。


「……」


 みんな。

 それぞれ違う。

 明るくて。

 ふわふわしていて。

 クールで。

 優しくて。

 甘え上手で。

 ミステリアスで。


 それぞれが俺の中に少しずつ入り込んできている。

 今までは人との距離を取ることが当たり前だった。


 でも。

 最近は。

 その距離を縮めることが、怖くなくなってきた。


「……誰かを好きになるって」


 どんな感じなんだろう。

 まだ分からない。

 でも。

 いつか。

 この中の誰かを。

 特別に思う日が来るのかもしれない。


 そして。

 前夜祭当日。


「藤堂くん!」

「晃先輩!」

「藤堂!」

「先輩」

「藤堂くん」

「藤堂」


 朝。


 大学の正門に集まった六人。

 全員が、それぞれ違う表情で俺を見る。

 大学祭前夜祭。

 そして――。

 俺たちの距離が。

 もう一段階変わる一日が。

 始まろうとしていた。

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