第31話 「それぞれの距離」
「……最近の晃、変わったよな」
昼休み。
大学の食堂で、颯太が突然そんなことを言った。
「またその話か?」
俺は箸を止める。
向かいに座っている直人も、静かに頷いた。
「俺もそう思う」
「直人まで?」
「以前のお前なら、人から相談を受けても必要最低限しか関わらなかっただろ」
「……まあな」
「でも最近は違う」
直人が水を一口飲む。
「誰かが困っていたら、最後まで面倒を見る」
「それだけじゃない!」
颯太が身を乗り出した。
「最近のお前、めっちゃ笑うようになった!」
「そうか?」
「そうだよ!」
「昔から笑ってただろ」
「いやいや、全然違うって」
颯太は笑いながら言う。
「なんていうか……前は『笑ってる』って感じだったけど、今は『楽しんでる』って感じ」
「……」
その言葉に、少しだけ考え込む。
確かに。
最近は、大学に来ることが以前より楽しくなっていた。
講義も。
友達との時間も。
そして――彼女たちと過ごす時間も。
「……みんなのおかげかもな」
俺がそう呟くと、颯太と直人が顔を見合わせる。
「お」
「……なるほど」
「何だよ」
「いや」
颯太がニヤッと笑う。
「やっと自覚してきたなって」
「何を?」
「お前が六人のことを、どれだけ大切に思ってるか」
「……」
反論できなかった。
午後。
講義が終わると、教室の外で声を掛けられた。
「晃」
振り向く。
そこにいたのは莉奈だった。
「お疲れ」
「お疲れ! ねえ、今日ちょっと時間ある?」
「あるけど」
「じゃあ、一緒に帰ろ!」
「いいぞ」
莉奈は嬉しそうに笑った。
二人でキャンパスを歩く。
「そういえばさ」
「ん?」
「この前、花音と一緒に買い物してたでしょ?」
「見てたのか?」
「たまたまね」
莉奈は笑っている。
けれど、その笑顔には少しだけ複雑なものが混じっていた。
「楽しかった?」
「ああ。花音らしくて、落ち着いた時間だった」
「そっか」
莉奈は少し黙る。
「……私とも、またどこか行こうよ」
「もちろん」
「約束ね」
「ああ」
「絶対だよ?」
「分かったって」
莉奈は満足そうに笑った。
「じゃあ、次は私が行きたいところ決める!」
「了解」
その横顔を見ながら思う。
莉奈といると、自然と笑ってしまう。
明るくて。
真っ直ぐで。
一緒にいるだけで、こちらまで元気になる。
「……莉奈」
「なに?」
「ありがとう」
「え?」
「いや……なんとなく」
「ふふっ。変なの」
莉奈は笑った。
翌日。
講義室に入ると、花音が手を振っていた。
「晃くん、おはようございます~」
「おはよう、花音」
「昨日、ちゃんと眠れました?」
「普通に寝たぞ」
「よかったです」
花音は嬉しそうに笑う。
「最近、晃くん忙しそうですから」
「そう見える?」
「はい」
「そうか」
「だから、無理しないでくださいね」
「……ありがとう」
花音の言葉には、不思議な安心感があった。
凛と話した時とは違う。
莉奈といる時とも違う。
それぞれに違う心地よさがある。
「晃くん」
「ん?」
「また、一緒に出掛けましょうね」
「ああ」
「今度は私が行きたいところ、いっぱい考えておきます」
「楽しみにしてる」
花音は嬉しそうに頷いた。
その日の夕方。
サークルの用事で校舎を歩いていると、葵と出会った。
「晃」
「葵先輩」
「少し時間ある?」
「ありますけど」
「なら、少し付き合って」
二人で静かな廊下を歩く。
「最近、忙しそうね」
「そうですか?」
「ええ」
葵は俺を見る。
「でも、前より楽しそう」
「……今日、それ言われるの二回目です」
「なら、本当にそうなんでしょうね」
「そうかもしれません」
「良いことだと思うわ」
葵は微笑んだ。
「大学生活は長いようで短いから」
「……先輩も、もう卒業ですもんね」
「そうね」
その言葉に、少し寂しさを感じる。
「だからこそ、今を大切にしたいの」
葵は前を向いた。
「あなたもね」
「俺も?」
「ええ」
そして、少しだけ優しい声で。
「自分の気持ちを、後回しにしないこと」
「……」
凛にも似たことを言われた。
最近、みんなから同じようなことを言われている気がする。
――逃げないで。
――自分の気持ちを見て。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
さらに翌日。
「晃先輩!」
心春が駆け寄ってきた。
「お疲れさまです!」
「お疲れ、心春」
「先輩、今日お昼一緒に食べませんか?」
「いいぞ」
「やった!」
心春は嬉しそうに笑う。
食堂へ向かう途中も、心春は楽しそうに話していた。
「この前のこと、覚えてます?」
「この前?」
「私が……その……」
顔を赤くする。
「『大好きです』って言ったこと」
「……覚えてる」
「忘れてたらどうしようかと思いました」
「忘れるわけないだろ」
「……!」
心春の顔がさらに赤くなる。
「そ、それならよかったです!」
「心春」
「はい?」
「俺、ちゃんと考えてるから」
「……」
心春は少しだけ驚いた顔をして。
「はい!」
と、元気に答えた。
「待ってます」
その笑顔は、どこまでも真っ直ぐだった。
そして。
放課後。
一人で帰ろうとしていた俺の前に、結衣がいた。
「晃くん」
「結衣先輩」
「今、帰るところ?」
「はい」
「よかったら、一緒に帰らない?」
「もちろん」
並んで歩く。
しばらくすると、結衣が口を開いた。
「最近、みんなとよく一緒にいるね」
「そうですね」
「楽しそう」
「……はい」
「それなら、よかった」
結衣は微笑む。
「でもね」
「はい?」
「無理して誰かに答えを出そうとしなくてもいいと思う」
「……」
「晃くんが本当に大切だと思う人を、自分で見つければいいんだよ」
「結衣先輩……」
「私は待てるから」
その言葉は、とても優しかった。
だからこそ。
胸に響いた。
その夜。
自宅の机に座りながら、俺はスマホを眺めていた。
六人とのメッセージ。
莉奈。
花音。
葵。
結衣。
心春。
凛。
それぞれから届いた言葉を、一つずつ思い返す。
――一緒にいると楽しい。
――安心する。
――自分の気持ちを大切にして。
――待ってる。
――大好き。
――逃げない。
「……」
俺はスマホを伏せた。
誰か一人を考えようとすると、別の誰かの顔が浮かぶ。
だから今までは、決めることを避けていた。
けれど。
「……そろそろ、向き合わないとな」
俺は窓の外を見る。
冬の夜空。
冷たい空気。
静かな街。
大学生活も、永遠じゃない。
卒業という時間が、少しずつ近づいている。
だから――。
「俺は、誰と一緒にいたいんだろう」
その答えは、まだ分からない。
でも。
初めて、自分からその答えを探してみようと思った。
そして翌朝。
大学へ向かう途中。
俺のスマホが震えた。
画面に表示された名前を見て――。
「……」
思わず、足が止まる。
そこにあったのは――。
星野凛からのメッセージだった。
『今日、放課後にもう一度会いたい』
俺は少し考えてから、返信する。
『分かった』
送信。
この時の俺は、まだ知らなかった。
この日の放課後が――。
俺の気持ちを、大きく動かす一日になることを。




