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第30話 「君だから、話してみようと思った」

 冬の大学。

 吐く息が白くなるほどではないものの、朝の空気はすっかり冷たくなっていた。

 講義を終えた俺は、いつものように友人たちと別れ、校舎を出る。


「……さて」


 スマホを見る。

 そこには、一通のメッセージが届いていた。


――『今日、少し時間ある?』


 送り主は、星野凛。


「凛からか」


 珍しい。

 凛は六人の中でも、あまり自分から誘ってくるタイプではない。


 返信を打つ。


『あるけど、どうした?』


 数秒後。


『話したいことがある』


 短い。


 相変わらず凛らしい。


『分かった。どこに行けばいい?』


 すると、すぐに場所が送られてきた。


 大学の中庭。

 人の少ない場所だった。


「……何の話だろうな」


 少しだけ気になりながら、俺は中庭へ向かった。



 中庭のベンチ。

 そこには、既に凛が座っていた。

 長い髪が風に揺れている。

 俺に気付くと、凛は小さく手を上げた。


「来た」

「ああ。待たせたか?」

「今来たところ」

「そうか」


 俺は凛の隣に座る。


 少しの沈黙。


 普段なら、この程度の沈黙は気にならない。


 けれど今日は――。


「……」


 凛が何かを考えている。

 それが分かった。


「話したいことって?」

「……うん」


 凛は前を向いたまま答える。


「私のこと」

「凛の?」

「そう」


 少しだけ間が空いた。


「晃には、まだ話してなかったから」

「無理に話さなくてもいいぞ」


 そう言うと、凛は首を横に振った。


「ううん。話したい」

「……分かった」


 凛は静かに息を吐いた。


「私ね、人と話すのが昔から得意じゃなかった」

「今も、そんなに得意そうには見えないけどな」

「……それ、失礼」

「悪い」


 凛が少しだけ笑った。

 その表情は、いつもの無表情に近いものとは違っていた。


「でも、本当に苦手だった」

「……」

「何を話せばいいのか分からないし、相手が何を考えてるのか気になってしまう」


 凛は膝の上で手を組んだ。


「だから、いつも少し離れてた」

「俺と似てるな」


 思わず口にすると、凛はこちらを見る。


「晃も?」

「ああ」

「……意外」

「そうか?」

「うん。今の晃は、みんなと普通に話してるから」

「昔は違ったんだよ」


 俺は少しだけ視線を落とした。


「人と関わるのが怖かった時期があった」


 それ以上は言わなかった。

 凛も聞かなかった。


 ただ、静かに頷いた。


「……そっか」


 それだけだった。


 余計なことを聞かない。

 無理に励まそうともしない。

 その距離感が、凛らしかった。


「だからかな」

「何が?」

「晃が気になったの」

「……俺が?」

「うん」


 凛は真っ直ぐ俺を見る。


「最初に見た時から、少し変だと思ってた」

「変って……」

「悪い意味じゃない」

「ならいいけど」


 凛は小さく笑った。


「みんなが楽しそうにしているところで、晃だけ少し離れて見てた」

「……」

「でも、誰かが困ってると、必ず助けに行ってた」

「そんなことしてたか?」

「してた」


 即答だった。


「本人は何でもないことみたいにしてたけど」


 凛は少しだけ目を細める。


「私は、そういうところが好きになった」

「……」


 言葉が出なかった。

 凛は照れた様子もなく、淡々と続ける。


「自分が目立つことはしないのに、誰かのためには動ける」

「買いかぶりすぎだろ」

「そうかも」

「だったら――」

「でも」


 凛が言葉を重ねた。


「私がそう思ったことは、本当」

「……」


 その言葉が、不思議なくらい胸に残った。


「それで?」


俺は尋ねた。


「それだけじゃないんだろ?」

「……うん」


 凛は少しだけ空を見上げた。

 冬の空は、雲が少なく綺麗だった。


「私には、昔から仲の良かった友達がいた」

「友達?」

「うん」

「今は?」

「……もう、あまり会ってない」


 凛の声が少しだけ小さくなる。


「大学に入る前に、離れちゃったから」

「何かあったのか?」

「大きなことじゃない」


 凛は首を振った。


「進む道が変わっただけ」


 それから、少しだけ笑う。


「でも私は、それを勝手に『置いていかれた』って思ってた」

「……」

「だから、人と仲良くなっても、いつか離れていくんじゃないかって考えるようになった」


 凛の言葉は静かだった。

 だけど、その奥にあるものはよく分かった。


「だから、人と距離を取ってたのか」

「うん」

「……それでも、俺には近づいてきたんだな」

「そうだね」


 凛は俺を見る。


「晃は、追いかけてこなかったから」

「え?」

「私が離れても、無理に追いかけてこなかった」

「……」

「でも、私が戻ったら、普通に話してくれた」


 凛は少しだけ微笑んだ。


「それが、嬉しかった」


 俺は何も言えなかった。

 凛がそんなことを考えていたなんて知らなかった。


「だから――」


 凛が立ち上がる。

 そして俺の前に立った。


「私は、もう逃げないことにした」

「凛……?」

「好きな人ができたから」

「……」

「その人から離れたくないと思った」


 凛の瞳が、真っ直ぐ俺を見る。


「だから、晃」

「……なんだ?」

「私は、ちゃんと自分の気持ちを伝える」


 一歩だけ近づく。


「私は晃が好き」

「……」

「誰かに勝つためじゃない」

「……」

「自分が後悔しないため」


 凛らしい言葉だった。

 静かで。

 真っ直ぐで。

 迷いがない。


 俺はしばらく何も言えなかった。

 六人から向けられる想い。


 莉奈の真っ直ぐな告白。

 花音といる時の安心感。

 心春の素直な「大好き」。

 葵の落ち着いた優しさ。

 結衣の温かさ。

 そして、凛の静かな想い。


 どれも大切だった。


 だからこそ――。


「凛」

「うん」

「俺も、ちゃんと考える」

「……」

「逃げない」


 凛の目が少しだけ大きくなる。


「本当に?」

「ああ」


 俺は頷いた。


「今までは、誰かを選ぶことが怖かった」

「……うん」

「誰かを選んだら、他の誰かを傷つける気がして」


 凛は黙って聞いている。


「でも、それじゃ駄目なんだと思う」


 俺は空を見上げた。


「俺自身が、ちゃんと自分の気持ちを見ないと」

「……そうだね」


 凛は小さく頷いた。


 そして――。


「じゃあ、待ってる」

「え?」

「晃が答えを出すまで」

「……分かった」

「でも」


 凛は少しだけ悪戯っぽく笑った。


「待ってるだけじゃない」

「?」

「私も、ちゃんと晃に好きになってもらうから」

「……」


 思わず苦笑する。


「凛って、意外と負けず嫌いだよな」

「今頃気付いた?」

「今まで気付かなかった」

「じゃあ、これからもっと知って」


 そう言って、凛は歩き出した。

 数歩進んだところで、振り返る。


「晃」

「ん?」

「今日は話せてよかった」

「俺も」

「……それならよかった」


 凛は今度こそ歩いていった。

 その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐く。


「……本当に、みんな真っ直ぐだな」


 俺はまだ答えを出せていない。


 でも。


 以前の俺なら、きっと逃げていた。

 誰かを傷つけるのが怖くて。

 自分の気持ちを見ないふりをして。


 けれど今は違う。

 ちゃんと向き合いたい。

 六人それぞれの気持ちに。


 そして――。


 自分自身の気持ちに。



「おーい、晃!」


 突然、聞き慣れた声が響いた。

 振り返る。


 そこには颯太と直人がいた。


「……お前ら、何してるんだ?」

「いや、こっちのセリフ!」


 颯太が笑う。


「最近のお前、なんか青春してんな!」

「してない」

「してるって!」


 直人も呆れたように言う。


「まあ、本人が楽しそうならいいんじゃないか」

「……楽しそうに見える?」

「少なくとも、前よりはな」


 その言葉に、俺は少し考える。


「そうかもな」

「お?」


 颯太がニヤニヤする。


「何かあった?」

「別に」

「怪しい!」

「うるさい」


 三人で歩き始める。

 冬のキャンパスを、ゆっくりと進んでいく。


 その時。


 俺のスマホが震えた。


 画面を見る。


『今日はありがとう』


 凛からだった。

 俺は少しだけ笑って返信する。


『こちらこそ』


 送信。


 そしてスマホをポケットにしまう。


――俺はまだ、誰を選ぶのか分からない。


 だけど。


 その答えから、もう逃げるつもりはなかった。

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