第29話 後輩との休日――甘え上手な彼女
十一月。
朝の空気は、すっかり冷たくなっていた。
大学へ向かう学生たちは、コートやマフラーを身につけている。
そんな中。
「先輩!」
後ろから聞き慣れた声がした。
振り返る。
「心春」
「おはようございます!」
天野心春が、笑顔で駆け寄ってくる。
「今日も一緒に行きましょう!」
「ああ」
「やった!」
心春は嬉しそうに俺の隣を歩く。
「先輩」
「ん?」
「この前、約束しましたよね?」
「何を?」
「私とお出かけするって」
「ああ」
花音との休日を思い出す。
「今週の日曜日、空いてますか?」
「空いてるよ」
「本当ですか!?」
「うん」
「じゃあ!」
心春が目を輝かせる。
「私とデートしてください!」
「……」
俺は一瞬、言葉を失った。
「デート?」
「はい!」
「……二人で?」
「二人でです!」
心春は恥ずかしそうにしながらも、笑顔を崩さない。
「先輩と二人きりで、行きたいです」
「……分かった」
「本当ですか?」
「ああ」
「やった!」
心春は小さくガッツポーズをした。
日曜日。
待ち合わせ場所の駅前。
「先輩!」
心春が俺を見つけると、嬉しそうに手を振った。
「お待たせしました!」
「いや、今来たところ」
「よかった~」
心春は安心したように息を吐く。
「今日はどこへ行くんだ?」
「実は、行きたいところがいっぱいあります!」
「いっぱい?」
「はい!」
心春は指を折りながら話し始める。
「まずはショッピング!」
「うん」
「それからカフェ!」
「うん」
「そのあと水族館!」
「……かなり詰め込んでないか?」
「だって、せっかく先輩と二人なんですよ?」
「……そうだな」
心春は嬉しそうに笑った。
最初に二人が向かったのは、駅近くのショッピングモール。
「先輩、これどうですか?」
心春が服を手に取る。
「似合いそうだな」
「本当ですか?」
「ああ」
「じゃあ、試着してきます!」
「分かった」
しばらくして。
「どうですか?」
心春が出てくる。
「似合ってる」
「……」
「どうした?」
「先輩にそう言ってもらえると、嬉しいです」
「そうか」
「はい!」
心春は鏡を見る。
「これ、買っちゃおうかな……」
「気に入ったならいいんじゃないか」
「じゃあ買います!」
買い物を終えた二人は、カフェへ。
「先輩、何飲みます?」
「コーヒー」
「じゃあ私も!」
「無理しなくていいぞ」
「大丈夫です!」
注文した飲み物が届く。
心春は一口飲む。
「……」
「どう?」
「ちょっと苦いです」
「だから言っただろ」
「でも」
心春が笑う。
「先輩と同じものを飲んでみたかったんです」
「……」
俺は少しだけ照れくさくなった。
「先輩?」
「何でもない」
カフェを出る。
次は水族館。
「わあ……!」
大きな水槽を見た瞬間。
心春の目が輝いた。
「綺麗ですね!」
「ああ」
「見てください、先輩!」
心春が俺の袖を掴む。
「あの魚!」
「大きいな」
「こっちも!」
「分かった、ゆっくり見よう」
「はい!」
心春は楽しそうに水槽を眺めている。
そんな姿を見ていると。
「……」
俺も自然と笑っていた。
「先輩」
「ん?」
「今、笑いました?」
「そうか?」
「はい!」
心春が嬉しそうに笑う。
「先輩が楽しそうだと、私も嬉しいです」
「……ありがとう」
しばらく歩く。
クラゲの水槽の前。
青白い光の中で、クラゲがゆっくりと漂っている。
「綺麗……」
心春が呟く。
「静かですね」
「ああ」
「なんだか落ち着きます」
「そうだな」
心春が隣に立つ。
「先輩」
「ん?」
「私、先輩とこうやって二人でいるの、好きです」
「……」
「大学では、みんな一緒にいることが多いじゃないですか」
「そうだな」
「それも楽しいです」
心春は水槽を見る。
「でも、二人だけだと……」
「……」
「先輩を独り占めできてるみたいで」
「心春」
「すみません」
「謝らなくていい」
「……」
「俺も楽しいよ」
「本当ですか?」
「ああ」
心春は少しだけ頬を赤くする。
「……じゃあ」
「ん?」
「もう少しだけ、独り占めさせてください」
「分かった」
「ありがとうございます!」
心春は満面の笑みを浮かべた。
水族館を出る頃には、夕方になっていた。
「今日はありがとうございました!」
「こちらこそ」
「本当に楽しかったです」
「俺も」
「……」
駅へ向かう道。
心春が少しだけ黙る。
「どうした?」
「先輩」
「うん」
「今日、一つだけお願いしてもいいですか?」
「何?」
「……手、繋いでもいいですか?」
「……」
心春は少し恥ずかしそうにしている。
「嫌なら大丈夫です!」
「いや」
俺は手を差し出す。
「いいよ」
「……!」
心春がそっと手を重ねる。
「ありがとうございます……」
二人で歩く。
冷たい風が吹いている。
けれど、繋いだ手は、不思議と温かかった。
駅に到着する。
「今日はここまでですね」
「ああ」
「……」
心春が名残惜しそうに俺を見る。
「先輩」
「ん?」
「また、二人で出かけてくれますか?」
「もちろん」
「約束です!」
「ああ」
「……」
心春が笑う。
「じゃあ、今日は帰ります!」
「気をつけて」
「はい!」
心春は数歩進む。
そして。
「先輩!」
「ん?」
「大好きです!」
「……」
心春は顔を真っ赤にして走っていった。
「……」
俺はその背中を見送る。
胸の奥が、少しだけ騒がしかった。
翌日。
大学。
「藤堂先輩」
「心春」
「おはようございます!」
心春はいつも通りだった。
ただ。
昨日より少しだけ距離が近い。
「昨日、楽しかったです!」
「ああ」
「また行きましょうね」
「約束したからな」
「はい!」
そこへ。
「……」
莉奈が通りかかる。
「おはよう、二人とも」
「おはようございます!」
心春が元気に挨拶する。
「……」
莉奈は二人を見る。
「昨日、楽しかった?」
「はい!」
心春が嬉しそうに答える。
「先輩と水族館に行ったんです!」
「そっか」
莉奈は笑顔を作る。
「よかったね」
「はい!」
心春が去ったあと。
莉奈が晃を見る。
「藤堂くん」
「ん?」
「……私も」
「?」
「今度、二人でどこか行きたい」
「分かった」
「本当?」
「ああ」
「……約束だからね」
莉奈は笑った。
けれど。
その笑顔の奥には。
少しだけ焦りが見えていた。
その日の放課後。
六人が集まっていた。
「……」
莉奈が口を開く。
「みんな」
「何?」
葵が見る。
「私たち」
莉奈は真剣な表情を浮かべる。
「もう、時間がないよ」
「……」
「卒業まで、あと少し」
結衣が静かに頷く。
「そうね」
「だから」
莉奈は全員を見る。
「これからは、もっとちゃんと晃くんと向き合おう」
「賛成です」
心春が答える。
「私も」
凛も頷く。
「私もいいと思う」
花音。
「……」
葵も頷く。
「ええ」
結衣も。
「うん」
六人の気持ちは同じだった。
誰かを押しのけるのではなく。
自分の気持ちを、ちゃんと伝える。
それだけだった。
その夜。
俺は自室で一人、今日一日のことを思い返していた。
花音と過ごした休日。
心春と過ごした休日。
莉奈との会話。
葵先輩との時間。
結衣先輩との時間。
凛との会話。
どれも大切な思い出だ。
「……」
俺はベッドに横になる。
昔なら。
こんなに誰かと近づくことなんて考えられなかった。
傷つくのが怖かった。
誰かを信じるのが怖かった。
でも。
今は違う。
この人たちと過ごす時間を。
失いたくないと思っている。
そして――。
「……俺は、誰を……」
そこで言葉を止める。
まだ答えは出ない。
だけど。
卒業までの時間は、確実に減っている。
だからこそ。
俺はもう逃げない。
自分の気持ちと向き合う。
そう決めた。
冬の足音が近づく中。
六人の恋は。
少しずつ、最終局面へ向かっていた。
初めましての方は初めまして。
SqkurqBitと申します。
3日ぶりの更新っということで大変お待たせいたしました!
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