第20話 ふわふわ天然、橘花音との二人きり
夏休みも三週目に入った。
大学の図書館で課題を進めていた俺のスマホが震える。
【橘花音】
『藤堂くん~』
『今度、一緒にお出かけしませんか?』
その直後。
『二人で……』
少し時間が空いて。
『だめですか?』
「……」
俺は思わず笑ってしまった。
『もちろんいいよ』
送信。
数秒後。
『やった~!』
『楽しみです!』
『どこに行きましょう?』
そこからしばらく、花音と予定を決めることになった。
そして――。
約束の日。
「藤堂くん!」
駅前に着くと、花音が大きく手を振っていた。
「おはよう」
「おはようございます~!」
花音はいつもの柔らかな笑顔。
「今日はよろしくお願いします!」
「ああ」
「えへへ……」
「どうした?」
「いえ」
花音は少し照れながら。
「二人でお出かけするの、楽しみだったので」
「俺も楽しみにしてたよ」
「……!」
花音の顔が赤くなる。
「そういうの、急に言うんですね~」
「そうか?」
「そうですよ~」
花音は笑った。
「それで、今日はどこへ行くんだ?」
「えっと……」
花音が鞄からスマホを取り出す。
「こっちです!」
「分かった」
「たぶん……」
「たぶん?」
「こっちだと思います~」
「……」
嫌な予感がした。
「花音」
「はい?」
「道、分かってる?」
「もちろんです!」
花音は胸を張る。
「地図を見れば完璧です!」
「スマホの地図は?」
「……」
花音が画面を見る。
「……あれ?」
「どうした?」
「現在地が……」
「うん」
「分からなくなりました~」
「……」
「大丈夫です!」
「本当に?」
「たぶん!」
数分後。
俺たちは完全に道に迷っていた。
「……」
「……」
「花音」
「はい」
「ここ、さっき通った気がする」
「奇遇ですね~」
「……」
「私もそう思ってました~」
「やっぱりか」
二人で顔を見合わせる。
そして。
「ふふっ」
花音が笑い出す。
「何がおかしい?」
「だって」
花音は楽しそうに笑う。
「藤堂くんと一緒なら、迷子でも楽しいなって」
「……」
俺も少し笑った。
「じゃあ、目的地を探すか」
「はい!」
しばらく歩いて。
ようやく目的地に到着した。
「着きました~!」
「結構歩いたな」
「でも、楽しかったですね」
「ああ」
そこは、大きな水族館だった。
「ここに来たかったのか」
「はい!」
花音の目が輝く。
「私、水族館大好きなんです~!」
「知らなかった」
「言ってませんでしたから~」
「なるほど」
「今日は全部見ましょうね!」
「ああ」
館内。
「わぁ……」
大きな水槽を見上げる花音。
青い光が二人を包む。
「綺麗ですね~」
「ああ」
「見てください、藤堂くん!」
花音が指差す。
「魚がいっぱいいます!」
「本当だな」
「……」
花音は水槽を見つめている。
その横顔は、普段より少し大人びて見えた。
「花音」
「はい?」
「こういうの好きなんだな」
「はい」
「意外だ」
「どうしてですか~?」
「いつもふわふわしてるから」
「むぅ」
花音が頬を膨らませる。
「私だって、ちゃんといろいろ考えてますよ?」
「ごめん」
「本当ですか?」
「ああ」
「じゃあ許します~」
また笑う。
その笑顔を見ると。
自然とこちらも笑顔になる。
館内を進んでいく。
クラゲの展示。
ペンギン。
イルカ。
深海魚。
「藤堂くん」
「ん?」
「ちょっと待ってください」
花音が立ち止まる。
「どうした?」
「……」
花音が水槽を見つめている。
「クラゲ、綺麗ですね」
「ああ」
「ふわふわしてて」
「花音みたいだな」
「……」
花音が固まる。
「え?」
「いや」
俺も少し恥ずかしくなる。
「なんとなく」
「……」
花音の顔が赤くなる。
「もう……」
「ごめん」
「謝らなくていいです~」
花音は小さく笑った。
「むしろ……嬉しいです」
昼。
館内のレストラン。
「何食べます?」
「俺はハンバーグ」
「じゃあ私も!」
「また同じ?」
「一緒がいいんです~」
「そうか」
料理を待っている間。
花音が少し真面目な顔になる。
「藤堂くん」
「ん?」
「私、昔からこうなんです」
「何が?」
「よく天然って言われて」
「……まあ」
「やっぱりそう思ってますよね~」
「いや、悪い意味じゃない」
「分かってます」
花音は笑う。
「でも」
少しだけ声が小さくなる。
「昔は、それが嫌だったんです」
「……」
「みんなに笑われたり」
「……」
「何をしても『花音だから仕方ない』って言われたり」
「……」
俺は黙って聞く。
「だから」
花音は少し俯く。
「ちゃんとしなきゃって思ったこともありました」
「うん」
「でも」
花音は俺を見る。
「藤堂くんは」
「……」
「私が失敗しても、笑わないんです」
「そんなことで笑わないよ」
「だから」
花音は小さく微笑む。
「一緒にいると安心するんです」
「……」
「なんでも話していいんだって思えるんです」
俺はその言葉を聞いて。
胸の奥が少し温かくなった。
「俺も」
「え?」
「花音といると楽しいよ」
「……」
「だから、これからもそのままでいいと思う」
「……はい」
花音は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
午後。
水族館を出る。
「楽しかったですね~」
「ああ」
「次はどこに行きます?」
「まだあるのか?」
「ありますよ~」
花音が案内したのは、近くの商店街だった。
「ここで食べ歩きしましょう!」
「なるほど」
二人でいろいろな店を回る。
「これ美味しいです!」
「本当だ」
「一口どうぞ」
「いいの?」
「はい」
花音が差し出す。
俺は一口食べる。
「美味しいな」
「ですよね~!」
すると。
花音が少し黙る。
「……」
「どうした?」
「いえ」
花音が笑う。
「こういうの、デートみたいですね」
「……」
「……あ」
花音の顔が赤くなる。
「今の忘れてください~!」
「無理だな」
「もう~!」
二人で笑う。
夕方。
商店街を抜ける。
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ」
「……」
花音が立ち止まる。
「藤堂くん」
「ん?」
「今日、一つだけお願いしてもいいですか?」
「もちろん」
「……」
花音が少しだけ手を差し出す。
「手」
「手?」
「繋いでもいいですか?」
「……」
「嫌だったら大丈夫です」
「いや」
俺はその手を取る。
「いいよ」
「……!」
花音の手が少し震える。
「温かいですね~」
「そうか?」
「はい」
花音は嬉しそうに笑う。
「今日、一番嬉しいかもしれません」
「そんなに?」
「そんなにです」
二人で駅まで歩く。
駅に到着。
「今日はありがとうございました」
「ああ」
「また二人で行きたいです」
「もちろん」
「約束ですよ?」
「約束」
花音が手を離す。
少し名残惜しそうだった。
「それじゃあ、また大学で」
「うん」
花音は電車に乗り込む。
扉が閉まる。
窓越しに。
「藤堂くーん!」
花音が手を振る。
俺も手を振り返す。
電車が遠ざかっていく。
「……」
今日一日、花音のことを少しだけ深く知ることができた。
普段はふわふわしていて。
天然で。
誰にでも優しくて。
でも。
その裏には。
人知れず悩んでいた過去があった。
「……」
俺は空を見る。
みんな、それぞれ違う。
莉奈は明るくて。
葵はクールで。
心春は甘え上手で。
凛はミステリアスで。
結衣先輩は優しくて。
花音はふわふわしている。
そして。
俺はそんなみんなといることが。
いつの間にか当たり前になっていた。
その夜。
スマホを見る。
【橘花音】
『今日はありがとうございました~!』
『とっても楽しかったです!』
『藤堂くんと二人で行けてよかったです』
少し間が空いて。
『……また、二人で行ってくれますか?』
俺は返信する。
『もちろん』
すぐに。
『やった~!』
続けて。
『次は私が迷子にならないように頑張ります!』
「……」
俺は笑った。
『それは期待しておく』
『ひどいです~!』
そんなやり取りをしていると。
別の通知が入る。
【白石結衣】
『藤堂くん』
『明日、時間ある?』
『この前話していた買い物、付き合ってもらえたら嬉しいんだけど』
「……」
次は結衣先輩。
俺は返信する。
『もちろんです』
すると。
『ありがとう』
『明日、楽しみにしてるね』
俺はスマホを置く。
「……明日か」
夏休みはまだ始まったばかり。
そして俺の周りでは少しずつそれぞれの恋が動き始めていた。
翌朝。
駅前。
「藤堂くん」
結衣先輩が立っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
優しく笑う先輩。
「今日はよろしくね」
「はい」
「じゃあ、行こうか」
二人で歩き出す。
その少し離れた場所。
「……」
凛が二人を見ていた。
そして。
スマホを取り出す。
『私も、そろそろ動かないと』
小さく呟く。
夏休み。
それぞれの想いは。
確実に加速していた。




