第15話 夏休み前、約束の一日
大学祭が終わってから、二週間。
季節は少しずつ夏へ向かっていた。
窓の外から聞こえる蝉の声。
強くなった日差し。
そして、講義中に聞こえてくる学生たちの「夏休み」という言葉。
「もうすぐ夏休みか……」
俺は講義資料を見ながら呟いた。
「藤堂」
隣の直人が小声で話しかけてくる。
「何?」
「お前、夏休みの予定あるのか?」
「まだない」
「そうか」
直人が少し考える。
「じゃあ、今年はみんなでどこか行くか?」
「みんな?」
「ああ。大学祭のメンバーで」
「いいな、それ」
前の席から颯太が振り返る。
「海行こうぜ!」
「気が早い」
「夏と言えば海だろ!」
「まだ試験が残ってるぞ」
直人が冷静に言う。
「……」
「……」
「忘れてた」
「お前な」
俺は思わず笑った。
こういう何気ない時間が最近は本当に楽しい。
講義終了。
教室を出ると。
「藤堂くん!」
莉奈が待っていた。
「桜井?」
「今日、暇?」
「特に予定はないけど」
「じゃあ!」
莉奈が少し緊張したように笑う。
「一緒に行きたいところがあるの」
「どこ?」
「秘密!」
「また秘密か」
「いいから!」
莉奈に連れられて大学を出る。
「こっちだよ」
「何かあるのか?」
「うん」
しばらく歩くと駅前の商店街に着いた。
「ここ?」
「そう!」
莉奈が指差したのは、小さな喫茶店だった。
「ここ、前から行ってみたかったんだ」
「一人で行けばいいのに」
「……」
莉奈が少しむっとする。
「一人じゃ嫌なの」
「そうなのか?」
「うん」
そして。
「藤堂くんと行きたかったから」
「……」
まただ。
莉奈は時々俺の心臓に悪いことを平然と言う。
「入ろう?」
「ああ」
店内は落ち着いた雰囲気だった。
二人で窓際の席に座る。
「何食べる?」
「俺はコーヒーで」
「私はケーキ!」
「昼食は?」
「食べたよ」
「ならいいけど」
注文を終える。
「……」
「……」
何故か少し緊張する。
大学祭のときとは違う。
学校の中じゃない。
二人だけ。
「ねえ、藤堂くん」
「ん?」
「大学祭の後、私のこと考えた?」
「……」
「少しくらい?」
「……考えたよ」
「本当?」
「ああ」
莉奈の表情が明るくなる。
「どんなこと?」
「……」
俺は少し考える。
「桜井といると楽しいなって」
「……」
「それに」
「それに?」
「もっと一緒にいたいと思った」
莉奈が固まる。
「……」
「桜井?」
「ちょっと待って」
「?」
「今の、反則」
「何が?」
「そういうこと普通の顔で言うところ!」
「……?」
莉奈は顔を赤くしている。
「もう……」
そして小さく笑った。
「やっぱり」
「何?」
「藤堂くんのこと好き」
「……」
「ちゃんと好き」
俺は何も言えなかった。
ただ。
その言葉を真っ直ぐ受け止めた。
喫茶店を出る。
「楽しかったね」
「ああ」
「また来ようね」
「うん」
駅へ向かって歩いていると。
莉奈が突然立ち止まる。
「藤堂くん」
「ん?」
「手」
「手?」
「……」
莉奈が少しだけ手を差し出す。
「人、多いから」
「……」
「迷子になったら困るでしょ?」
「大学生だぞ」
「いいから」
俺は少し迷って。
その手を取った。
「……」
「……」
二人とも黙る。
でも。
手を離そうとはしなかった。
莉奈の手は少しだけ震えていた。
俺の手も。
少し熱かった。
その頃。
大学では。
「……」
葵が一人で資料を整理していた。
「小鳥遊先輩」
凛が声をかける。
「星野さん?」
「少しお話してもいいですか?」
「ええ」
凛は葵の前に座る。
「先輩は」
「何?」
「藤堂先輩のこと、どう思っていますか?」
葵は少し考える。
「大切な後輩よ」
「それだけですか?」
「……」
葵は答えない。
「私は」
凛が静かに言う。
「先輩のことが好きです」
「……」
「だから」
「うん」
「負けたくありません」
葵は少し驚いた。
そして。
「そう」
「はい」
「なら、私も自分の気持ちを誤魔化さないことにするわ」
凛が目を見開く。
「……」
「私も」
葵は窓の外を見る。
「彼のことが好きなのかもしれない」
初めて自分の気持ちを認めるように小さく呟いた。
夕方。
俺は莉奈と別れて一人で帰宅していた。
スマホを見る。
メッセージが届いている。
【小鳥遊葵】
『今日、少し時間ある?』
俺は足を止める。
『あります』
すぐに返信。
『大学にいるわ』
『分かりました』
俺は再び大学へ戻る。
大学の中庭。
夕暮れの空。
ベンチに葵先輩が座っていた。
「先輩」
「来てくれたのね」
「はい」
俺は隣に座る。
「今日」
「はい」
「何をしていたの?」
「……」
俺は迷った。
「桜井と喫茶店に行ってました」
「そう」
先輩は少し笑う。
「楽しかった?」
「はい」
「そう」
沈黙。
「先輩?」
「何?」
「何かありました?」
「……」
葵先輩は空を見る。
「私ね」
「はい」
「大学祭が終わってから、ずっと考えてたの」
「何を?」
「あなたのこと」
「……」
「あなたが誰かと楽しそうにしていると」
先輩は少しだけ俯く。
「何故か、気になってしまう」
「……」
「他の女の子と一緒にいると」
葵先輩が俺を見る。
「少しだけ、嫌だと思ってしまう」
「先輩……」
「だから」
先輩は小さく息を吐く。
「たぶん私は」
「……」
「あなたのことが好きなんだと思う」
胸が大きく鳴った。
「……」
「まだ、付き合ってほしいとは言わない」
「はい」
「でも」
先輩が微笑む。
「私も、あなたに近づいていい?」
「……もちろんです」
「ありがとう」
夕焼けに照らされた先輩の笑顔。
俺はその瞬間、改めて思った。
この人が好きだ。
それは確かだった。
でも。
同時に。
今日、莉奈と過ごした時間も。
心春と話した時間も。
花音や凛や結衣先輩と過ごす時間も。
全部、大切だった。
「……」
俺は。
まだ答えを出せない。
その夜。
俺のスマホには六人からメッセージが届いていた。
夏休みにどこへ行くか。
何をするか。
誰と過ごすか。
みんながそれぞれ予定を話している。
そして。
俺は気づく。
大学祭が終わって。
俺たちの関係は。
もう「仲のいい友達」だけではなくなっていた。
それぞれの想いが少しずつ交差している。
そして。
夏休みは。
まだ始まっていない。
俺はスマホを置いて、窓の外を見る。
「……夏、か」
今年の夏はきっと今までとは違う。
そんな予感がしていた。
そして翌日。
颯太から突然――。
『みんなで海行こうぜ!』
というメッセージが届く。
こうして。
俺たちの「夏休み編」が始まろうとしていた。




